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ホモ・ネーモへの独占インタビュー:哲学者でありアーティスト。2023年、世界の音楽界を揺るがせた男。

アンチワーク哲学者を名乗り精力的な執筆活動を続け、多くのフォロワーを獲得しているホモ・ネーモが、『World without Work』を引っ提げて2023年音楽界に彗星のごとく現れた。いや、それは彗星というより、音楽界という生態系を破壊し尽くす隕石のようなものだろう。しかし、破壊の後に創造がある。ホモ・ネーモが新たに思い描く音楽界、いや世界とは一体どのようなものなのだろうか? 『夜明けの歌』のリリースも控えるホモ・ネーモに本誌が独占インタビューを決行した。

−普段は哲学者として活動されているホモ・ネーモさんですが、『World without Work』『夜明けの歌』の二曲はどのような想いで制作されたのですか?

ホモ・ネーモ(以下、ネーモ):
まず、アンチワーク哲学の公式テーマソングを制作するという話が前提としてありました。アンチワーク哲学は象牙の塔で議論されるような難解なものではなく、人々に開かれた哲学です。そのイメージに合うように、とにかく明るくてキャッチー、かつユニークな曲にしたいと考えていました。そして最初に『World without Work』のコード進行とイントロができ、そこから発展させてオケを作りました。完成形は同じオケをループさせていますが、最初にできたものは泣きのコードを随所にいれて、転調も挟んでと、結構ドラマチックに展開していて、今のものとはかなり異なりましたね。


−つまり、そこからかなり紆余曲折があったわけですか?

ネーモ:
それはもう大変な紆余曲折でしたね(笑) そもそも初めはラップじゃなくて歌モノでしたから。これはミュージシャンあるあるだと思うのですが、最初にコードとオケを作ってからメロディを作っていると、どうしても縛られるんです。予定調和的なメロディと、恐る恐る帳尻を合わせたような歌詞。とりあえず歌詞もメロディも一旦は完成しましたが、「やっぱり、違うな」と感じて一度白紙に戻しました。アンチワーク哲学は、人々が持つエネルギーから生まれてくる創意工夫を礼賛する哲学ですから、僕自身がオケに支配されていてはダメだったんです。


−なるほど。そこからどのように今の形に変わったのですか?

ネーモ:
実を言うと、その後に着手したのは『World without Work』ではなく、『夜明けの歌』の方でした。全くオケを考慮しない状態で、自由にメロディを考えていたら、だんだん明るくてキャッチーという方向性から離れていき、ちょっとアンニュイな印象のメロディになってきたんです。そして、歌詞もメロディに引っ張られて、ラブソングのような印象の歌詞になった。それでも、そのメロディや歌詞が持つエネルギーはまさしくアンチワーク哲学を体現するモノであると感じ、気にせず作っていったんです。すると、当初はピアノで作っていた伴奏がギターになって、歌詞もメロディもキャッチーから離れていって…


−それは大変な紆余曲折でしたね。

ネーモ:
ええ。でも、思い描いた計画を逸脱していくこともアンチワーク哲学は肯定しているので、「それでいいか」と結論づけました。キャッチーで明るい曲を作るという目的は確かにあったものの、あくまでそれは口実のようなもの。制作のプロセスを楽しめているのなら、成果物が当初の計画と違っていても、胸を張ってオープンにすればいいと思えたんです。


−実際、ホモ・ネーモさんのパブリックイメージとは異なるラブソングが完成したように思えますが、その点はどうお考えでしょうか?

ネーモ:
それは斜に構えてラブソングを皮肉っていそうなパブリックイメージですよね(笑) もちろん、気にしなかったと言えば嘘になります。ただ、僕は周りからの評価を恐れてやりたいことを捻じ曲げる方が、ファンの方々への裏切りになるのではないかと考えました。とは言え、僕自身は男女関係に矮小化される狭義のラブソングを書いたつもりはなく、いわゆる「人類愛」的な広義のラブソングを書いたつもりです。ただ、広義のラブソングはお説教臭くなりがちで、僕は誰しも普遍的に「愛」の感情を持っていて、それは当たり前にそこらじゅうにあるものであると伝えたい。


−確かに「神棚にあった愛を泥んこに頬張る」といった歌詞は、狭義のラブソングにも、広義のラブソングにも前例のなさそうな表現です。

ネーモ:
僕はあまりにも愛を崇めたてるような歌詞は、逆説的に愛を貶めると考えています。説教くさいラブソングは「人を愛せるように努力せよ」という暗黙の命令であって、「お前はまだまだ人を愛せるレベルではない」という批判にもなるのです。だからこそ、神棚から引きずり下ろしたかったんですよね。


−では、『World without Work』はどのように完成したのですか?

ネーモ:
『夜明けの歌』が完成したとき、楽曲そのものは肯定していた一方で、やはり当初の目的である明るくてキャッチーとはそぐわないことも事実だと感じていました。そこで、もう1曲作ろうと決めたんです。


−もともとは2曲作る予定ではなかった?

ネーモ:
そうです。結果的に裏と面、オープニングとエンディングといった形で、お互いを補ってくれたのでよかったですが、初めは1曲だけのつもりでした。で、2曲目を作るとなった時に、せっかく作った初めのコード進行とオケをもう一度持ち出してきました。そして試しにラップしてみたら、魔法みたいにスラスラ言葉が出てきて…


−歌モノよりもラップに向いていたオケだったのでしょうか?

ネーモ:
今ならそう思いますね。ただ、最初は「みんなで歌える」という制約があったためにラップは選択肢にありませんでした。しかし、『夜明けの歌』の方で歌モノという要件をクリアしていたので、ラップも試してみたんです。するとバッチリはまって、ラップ詞自体はおそらく1~2時間くらいで完成しました。そしてオケもイントロをループさせるだけのシンプルなものに作り直して、フックもつけた。みんなで歌えるようにシンガロング部分も加えた。結果オーライって感じですね。


−歌詞の内容は、『夜明けの歌』とも共通するテーマのように思えますが、どのように制作されたのでしょうか?

ネーモ;
おっしゃるように、アンチワーク哲学を2つの角度から表現しているだけであり、やはり人間の持つ欲望や創造性、自由の肯定に終始しています。ただ「パーティ」とか「ホーミー」みたいなHIPHOP味のある言葉をチョイスしているだけであって(笑)


−ホモ・ネーモさんの音楽のルーツはHIPHOPにあるのでしょうか? 『夜明けの歌』を聴く限りは、そうとも限らない印象ですが。

ネーモ:
かなり雑食ですね。小学生や中学生の頃はお姉ちゃんが家で流していたNEWSやKAT-TUNといったアイドルの曲を聴いたり、Mステをぼんやり眺めたりしていました。中学3年の頃にBUMP OF CHICKENにはまってからはバンド至上主義に染まって、高校生になれば自分でバンドも初めました。当時は「Mステに出ていたら本物の音楽じゃない」「バンドじゃなければ本物の音楽じゃない」と思い込んでいましたね(笑)


−思春期にありがちなやつですね(笑)

ネーモ:
ええ。そしてBUMP OF CHICKENだけでなくRADWINPSやELLEGARDENといったJ-ROCKも聴きましたし、OASISやRadiohead、Arctic Monkeysといった海外のバンドも聴きました。ところが高校生の高学年になってくるとバンド至上主義も落ち着いてきて、もともと聴いていたアイドルの曲やJ-POPの魅力も認められるようになりました。AKBにハマった時期も旧ジャニーズにハマった時期もあります。ジャンルへの偏執狂的なこだわりが消えていったところで、当時仲の良かった友達の影響でHIPHOPも聴き始めたというわけです。RHYMESTERやKREVAといったアーティストはよく聴きました。


−海外のHIPHOPアーティストはいかがでしたか?

ネーモ:
実を言うとあまりハマらなかったんです。僕がHIPHOPにハマったのは真っ先に歌詞の魅力でした。HIPHOP特有のメッセージ性やライムの文化は日本語じゃないと理解できなかった。僕は英語が大の苦手ですから(笑)


−なるほど。では日本のHIPHOPのどういう点を好きになったのでしょう?

ネーモ:
HIPHOPって、「この前、あいつにこんなことを言われて腹が立った」みたいな属人的な歌詞がバンバン登場しますよね? また「金稼ぎたい」とかそういう綺麗事じゃない本音も隠さない。そういうあっけらかんとしたところが好きですね。歌モノはどうしても綺麗に見せようとしてしまって、本質がぼやかされるような印象があるんです。もちろん、ぼやかす美しさもあるのですが、そうではない所にHIPHOPの衝撃がありました。あとは単純に言葉遊び的なライムにもハマりましたし、リズム重視の歌詞というのもバンドの世界では珍しかったので新鮮でした。


−楽曲の制作はいつ頃からはじめたのですか?

ネーモ:
ちゃんと曲を完成させられるようになったのは大学を卒業してからですね。大学では軽音楽部に入ったのですが、あまり馴染めなくて。卒業してから軽音楽部とは別の友達とバンドを組んでオリジナル曲を作り始めました。そこで作曲ソフトの使い方を覚えたので、同時進行でラップ曲も作っていました。バンドの曲はバンドで演奏するために作りましたが、ラップ曲は本当に日常的なことを書いていましたね。例えば、「合コンにいったら相手が年増ばっかだった」とか「遅刻されて腹が立った」とか(笑)


−それはもう、属人的なテーマですね(笑)

ネーモ:
人様には聴かせられませんね(笑) そういう曲を友達同士で送り合ってゲラゲラ笑っていた。実を言うとバンドの方も似たようなもので、バンド全体で10曲くらいはオリジナル曲を作ったのですが、ライブをやったのは1回きり。結局は身内で演奏して、録音して楽しむだけでした。別に音楽で生計を立てるようなつもりはなかったので、それで満足していました。今なら、音楽の楽しみ方ってそういうモノでいいんじゃないかと感じますね。


−というと?

ネーモ:
曲を作ったり演奏したりすることって、どこかで「プロを目指さなければならない」とか「プロを目指さないならやらない方がいい」といった思い込みに支配されているような気がするんです。プロが演奏して、素人が鑑賞する。プロじゃないなら素人として鑑賞に徹する。それはそれで楽しいのだけれど、やっぱり1番の音楽の楽しさって自分たちで表現することだと思うんです。だからアマチュアでも、下手くそでも、僕のように30歳をすぎてからでも、音楽を作ればいい。マスにアプローチする必要もなくて、身内だけに伝わるものでもいい。それ自体が楽しければ、それでいいのではないか、と。


−なるほど。今お話しいただいた内容は、アンチワーク哲学の理念とほとんど一致するように感じますが、いかがですか?

ネーモ:
おっしゃる通りです。アンチワーク哲学者として活動する中で、僕自身の音楽との向き合い方もアンチワーク哲学を体現していたのだと気づきました。


−そして今回のテーマソング制作に至ったというわけですね。

ネーモ:
ええ。もっと自由でいいんじゃないかというわけです。


−リスナーの方々にどんなふうに楽しんでほしいですか?

ネーモ:
もちろん楽しみ方は人それぞれです。リピートしてくれるだけでもいいし、リミックスしてくれてもいいし、ラップを載せてくれてもいい。逆に言えば聴いてくれなくてもいいんです。作って発信すること自体が僕にとっての喜びなのですから。


−ホモ・ネーモさんの音楽への向き合い方は音楽業界には馴染みのないものですが、今後音楽業界はどのように変化すると思いますか?

ネーモ:
作ることや、表現することそのものが喜びであると、純粋に思えるような世界になればいいと思います。どうしても今はマネタイズや、社会的な成功がなければならないという強迫観念がありますから。そうではなく、喜びそのものを目的化する。そういうスタンスが音楽に限らず、あらゆる場面に必要だと感じます。僕の音楽が、そういう価値観の転換に一役買えば嬉しいです。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!