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同世代とつるむ社会

よくよく考えれば、こんなにも同世代とばかりつるむ社会は、これまでなかったのではないだろうか?

学校化。核家族化。少子化。地域コミュニティの喪失。老人ホーム。これらによって僕たちは概ね同世代のコミュニティに閉じ込められてしまった。

学生の頃は同世代か、せいぜい親や先生程度。社会人になれば同期が、せいぜいが年上の上司である。

僕が何を問題視しているのかといえば、要介護のお年寄りや小さい赤ちゃんと関わる機会がほとんどないことである。自分の親の介護や自分の子育てのタイミングでもない限り。

このことは、子育てや介護がぶっつけ本番となるだけではなく、周囲のサポートが簡単には得られないことも意味する。

そして最大の問題は、自分で自分の世話をできない人がこの世界に存在することや、そういう人に対して貢献することが喜びとなり得ることを理解できないことだろう。

いや、もちろん頭では理解しているはずだ。しかし、社会が合理的で利己的な計算と独立した個人同士の相互不可侵の原則によって成り立っていると人々が想定しているとき(社会について議論するとき、人はこういう観点に陥りがちである)、赤ちゃんや老人のことはすっぽり頭から抜け落ちている傾向にある。

赤ちゃんや老人と接するときは「まぁまぁええがな」や「ほなやっとくわ」と「気にせんといて」が必要不可欠なのだ。

計算を放棄するコミュニズム的な価値観がなければ、こういう人々が生きていくことはできない。「将来介護してくれる人を育てなければ‥」と考えながら計算ずくで赤ちゃんにおっぱいをあげる母親はいない(むしろ母と祖母が同居しているようなケースなら、子どもの世話を取り合うようなことすらあるわけだ)。

同世代としかつるまないということは、コミュニズム的価値観に触れることなく大人になっていくということだ。もちろん、多かれ少なかれ人々はコミュニズム的な価値観に則って振る舞っているわけだが、その極端な例に触れることがなければ、そのことに自覚的になれないはずだ。

とはいえ僕には解決策は思いつかない。町内会のバス旅行でも企画すれば良いのかといえば、それも違う気がする。問題はもっと根本的なところにありそうだ。たぶんベーシック・インカムで解決する(僕はBIであらゆる問題が解決すると思い込む病気にかかっているのだ)。

会社員とばかりつるむと会社員に染まる。よくよく考えれば日本の労働人口は半分くらいしかいないわけだ。いろんな人と関わっていろんな価値観を認められると良いね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!