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普段あまり夢を見ない、というか、起きた時点で覚えているような夢がないのだが、一昨日久しぶりに夢を見た。しかもそれが悪夢。最悪だ。そういうわけで印象に残っており、夢なのに引きずっている。

ナイトメア

それは仕事に関係する夢である。
ライターになったら職場に行かなくて済むし、仕事イヤイヤ病からおさらばできるのではないかとずっと思っていた。

悪夢の内容は、とてもリアルで、この前の記事、わかりづらすぎて意味わからん、何を書いているんだ、と誰からかメールが来て、しょんぼりしてしまう夢だ。確かに、最近公開したnoteの伸びが悪い。仕事関連のnoteを出すと最近伸びが悪い。やはり鶏肉ばかり食べるチェンマイ生活を日記にした方がよかったのか。。。

ライターの仕事を始めてからは、おおかたは心平安に過ごせているのではあるが、締め切りに常に追われているような感じでもある。書き進めていても完成しなければ終わっていない。私は結構リサーチに時間をかける(最先端技術を調べるとなると海外の情報を調べたり、論文などもたまに読まなくてはならないので時間がかかってしまう、という言い方の方が正しいのかもしれない。)ので、リサーチに時間を取られて、筆を取れていないときは、より焦ってしまう。

焦らないための見本

大学の先輩に研究者がいるのだが、博士○年目なのにあまり焦らず淡々と仕事をして、自分の研究もして、タイのドラマをどれだけ知っているんだと思うほど趣味のタイドラマ視聴をされている。日本でまだ流行っていない系統のもよく知っている。

いわゆる文系の博士は調査に時間がかかるため、理系よりも博士取得に時間がかかるし、就職先も日本国内ではあっても非正規で賃金も低い。これが日本の研究レベルを反映していると思う。

私がその立場でいたら、焦って毎日研究づくしで倒れてしまうだろう。そして心休まるときがなく、心労で倒れてしまう。修士を取った友人と先輩のことを話していると、やっぱりあの落ち着きがないとなかなか博士まで進めないだろうとのことだった。

多分研究が得意な人はメリハリをつけて、社会から急かされるようなことがあっても動じず、自分のペースでやるべきことを淡々とやり続けられる人なのだろう。

焦らないための見本2

私の周りはなぜかわからないが、修士を出ている人が多い。まあ妻も私も教育者だから周りの人も必然とそうなのだろう。

妻が修士で学んでいた時には遠距離カップルだったので、たびたび会いに行っていたが、妻も大学の先輩と同じく、マイペース(マイペースというと遅いイメージがあるが、彼女のそのペースは結構早い)に、焦らず淡々としている。

レポートや修士論文を書いていて締め切りがせまっている時でも、全然いつもと変わらない。私がゲームしたり、本を読んだりしている時に黙々と作業していることもあるが、焦りのオーラを感じたことはない。

私はそういう場合は、口に出てしまう。あああやばいいいいとか、忙しすぎるわ、ヤバいとか、語彙が少なくなる。そして返事もあいまいになる。心のキャパシティが大事なのだろう。

心のキャパシティ=シゴデキ

私の中での方程式ができた。もちろんその仕事における技術も大事だし、効率的に捌けるというのも必要だろうが、その中にこの方程式をぶっこんでもいいのではないかという結論に至った。

この方程式が正しければ、私は仕事ができないことになる。それは悲しい。
実際に今月の記事が全然かけていない。壁にぶち当たっている。

一方で、ずんずん書けていた時と比べると、何かしら予定が毎日入っていてそれに縛られているので、この予定の詰まり具合で私はいつライターの仕事ができるのだろうとも同時に思う。

タイ語の授業に通っているのがまあまあ予習も時間かかるし、授業も長いし行き帰りも往復1時間ぐらいかかってしまうので、よく頑張っているほうということにしている。
成長は著しくはないが、身の回りのことをするだけであればタイ語のみで一応済ませられる。会話を数ラリー続けようとしたらもうアウトだ。

なんだかんだ言っても常に心のどこかでああ、今日も予定ぎっしりできついなあと思ってしまっている私がいるので、シゴデキではないということに話は落ち着く。



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