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(超長編)【本要約】フロー体験入門

2021/8/17

フロー概要

フロー現象は1970年頃に発見された。

子どもが「遊び」の研究対象だったが、成人でも「遊び」の性格を持つ何かをしているときに、最も楽しく、ワクワクし、有意義である体験が起こる。

遊びは、自発的に行い、行為自体の他に成果はなく、遊びが生み出す感覚のために行う何かだ。

遊びという体験は、現実的で力強いモノである。

たくさんのエネルギーや時間を投入する活動 ( 遊び ) をしている時には、行為が明確で、目標が具体的でハッキリしている。そして、活動の時々で、自分が正しい動きをしたのかどうかが確認できる。活動は、自分の動きに迅速なフィードバックを与える。

自分がチャレンジであると感じる活動は、自分のスキルとのバランスが取れている。

・目標がハッキリしている。
・迅速なフィードバックがある。
・スキルとチャレンジのバランスが取れた状態である。

3つの条件を満たす活動をしている時、私たちの意識は、変わりはじめる。

そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、私たちは「活動をコントロールできている」という感覚を経て、「世界に一体化している」という感覚を得る。

この体験の特別な状態を、「フロー」と名付ける。

【私たちの実際の日常生活】
・自分のスキルに対してチャレンジが高すぎるか、低すぎるかである。
・フィードバックが遅いか、存在しない。
・目標がハッキリしない。

私たちの日常生活は、フロー状態とは、疎遠である。

チャレンジがスキルに対して低すぎるときには、退屈を感じる。
チャレンジがスキルに対して高すぎるときには、ストレスや不安を感じる。

私たちにとっての平均的な1日は、交互にやってくる退屈とストレスや不安の連続である。

アジアにおける古代の文献の多くが類似性を持ってフロー現象を描写していた。フロー現象は、ずっと以前に発見されていたのだ。現代において、フローを再発見した。

【フロー状態】
・集中した精神的・情緒的・身体的活動を通じてもたらされる。
世界との完全な一体化したリラックスした状態である。
・自分自身で自力で発見しなければならない。
自分独自の時間・空間における体験の結果である。

フローは、自分の外側から、自分の内面へと、視点を変化させる。

【フロー手順】
①自分のスキルを活用するチャンスを見つける。
②集中して活動をしている間は我を忘れるほどのチャレンジに取り組む。

自己を意識的に変化させるのでなく、行動に移し、行為に没頭することで、自己に変化が生じる。

フロー状態についての科学的な証明はない。

私たちの日常生活

生きる

生物学的な生命は「できるだけ長く肉体を保ち続ける」という自動的なプロセスである。

自分で、人生をコントロールする意識がないのなら、人生は自分の外側の自動的なプロセスに支配されてしまう。

【私たちの人生を支配するモノ】
生物学的にプログラムされた本能は、遺伝子を複製して後世に残すために、私たちの人生を使う。
→結婚・子育て
文化が、文化の価値やルールを増殖させるために、私たちの人生を使わせようとする。
→社会
他人は、自分たちのやるべきことを更に進めるために、私たちの人生を利用しようとする。
→資本主義

「生きる」とは、生物学的に命を永らえることを意味しない。

「生きる」とは、時間や能力を無駄に浪費することなく、個人の独自性を発揮し、人の役に立ち、穏やかで充実した人生を過ごすことである。

価値のある人生

価値のある人生は、何によってもたらされるのか?

3つの重要な仮定を基盤とする。

・過去における重要な真実、祖先が最も重要とした最高の知識の宝庫である宗教の聖典
過去に書き残されたモノが永遠に続く絶対的な真実ではない。
・現在、人間にとって最も必要不可欠な情報を提供している科学
科学的な真実も、その時代の世界観に基づいて表現されるので、将来への確実性はない。
・過去の知識と科学の知識を統合する。

「人がどう生きるのか?」は、人生の体験である。
人生とは、生きている間に経験するすべての体験である。
人生の体験は、生産・消費・休息・交流がある。
人生の体験は、時代・国・性別・年齢・社会的地位によって決まる。

人は生まれつき様々な条件下で人生をスタートしているけど、日常生活なんて、みんな大して変わらない。だから、自分の人生、体験をどうしていくかは、自分次第である。

生きることは、行動・感覚・思考を通じて体験することである。

体験は、時間の代替として得られる。
時間こそ、私たちの希少で最大の資源である。

体験の内容が人生の質を決定付ける。だから、私たちは自分の時間をどこにどのように投資するかを決めなければならない。

資本主義では、時間の価値を測れるモノサシとしては、金銭が有用とされてきた。金銭は、なんでもやりたいことができる自由時間を持つことを可能にして、人生の束縛から自由にしてくれる。

資本主義:時間 = 金銭 = 自由(時間)

日常生活の活動

私たちの日常生活は大きく3つの活動に分けることができる。

・生産的活動
学校・仕事
・生活維持活動
食事・休息・身繕い
・レジャー活動
自由時間

ギリシャの哲学者たちによると、時間を自己啓発に投じることにより、本当の人間らしくなれる。ギリシャ語でレジャーを指す言葉「scholea」は、「school」学校の語源である。レジャーの最も良い活動は、勉強することである。

現代の社会では、レジャーの自由時間は、3種類の活動で占められている。

メディア消費 ( テレビ・動画・映画 )
趣味 ( スポーツ・音楽・ゲームなど )
人との交流 ( 会話・恋愛・セックス )

他者

【他者の視点】
私たちは、他者と自分を、同じような視点で見ることはできない。

私たちは、他者を見るとき、発言を注視せず、行動だけを信じる。
私たちは、自分を見るとき、感情を重視する。

【他者の存在】
日常生活は「何をするか?」だけでなく「誰と一緒にいるか?」によっても決まる。

私たちの行動や感情は、いつも他者に影響される。

人間は社会的な生き物であり、肉体的にも、精神的にも、複数の他者に依存している。

【他者との関わり】
私たちは、日常生活を3種類の属性で過ごす。

見知らぬ人々 ( 社会人ならば同僚、学生であれば学生仲間 )
家族
孤独

感情とフロー

感情

感情とは?
精神の構成要素の一つである。
意識の本質的な要素である。

感情は、「自分が、愛・恥・感謝・幸福を体験しているかどうか?」を判断する役割を持つ。私たちは、現実に「意識下の感情」を体験している。

感情は娯楽

意識の進化によって、感情を偽ったり操ったりして、遊ぶことができるようになった。例えば、ジェットコースターやホラー映画や音楽やドラッグなどである。

元々は、感情は、外界の信号としての役割だったが、今では、感情は、感情自体を目的として楽しむ娯楽となった。

感情の原形

感情を単純化すると、ポジティブとネガティブに大別される。
幸福がポジティブな感情の原形である。

私たちの行動のすべては、幸福を体験することを目指している。

私たちは、本質的に健康や富や名声を求めているのではなく、それによって幸福になれることを期待している。幸福を探し求めるのは、何かを得られるからではなく、幸福自体を目的としている。

例えば、
私たちが、活動的な感情は、難しいことに関わっているとき、より強くなり、挑戦に失敗したとき、何も挑戦しないとき、より弱くなる。

活動的な感情が強いときに、私たちは幸福を感じる。
活動的な感情は、私たちが、行動を選択するときに影響を与える。
行動の選択によって幸福が決定する。

フロー

私たちは、自分自身が、体験に完全に没頭しているとき、意識が体験で完全に満たされるときに、様々な状態が調和され、フロー状態となる。

フロー状態をスポーツでは、ゾーンに入ったという。

フローは、フィードバックがあるハッキリした目標に向き合うときに起こる。
フィードバックがあることで、自分がどれくらいうまくできているのかが、よくわかる。
フローは、自分のスキルが適度な挑戦に没頭しているときに起こる。

日常生活の典型的な1日は不安と退屈に満ちている。しかし、フロー体験は、強烈な生の実感を与える。

フロー状態の人は、完全に集中していて、自意識が消失し、時間感覚は歪み、その行為に価値を感じ、生きていることを実感し、超越した世界の住人となる。

人生において、幸福を体験することを目指すより、フローに完全に熱中することだ。

フロー状態のとき、幸福を体験できない。
幸福を体験するには、自分の心に意識を向ける必要があるからだ。
フロー体験を後から振り返ったときに、幸福を感じられる。

活動とフロー

日常生活の活動の振り返り

【日常生活の活動】
1.生産的活動
 学校・仕事
2.生活維持活動
 家事・食事・身繕い・休息
3.レジャー活動
 メディア消費 ( テレビ・動画・映画 )
 趣味 ( スポーツ・音楽・ゲームなど )
 人との交流 ( 会話・恋愛・セックス )

仕事

仕事をしているとき、幸福度は低く、モチベーションも低いが、精神の集中度は高くなり、しばしばフロー状態になる。仕事では、スキルに見合ったチャレンジがあり、明確な目標があり、明白なフィードバックがあり、コントロールしている感覚があり、深く集中できるときがある。そんなときに、フロー状態が訪れる。

食事

食事はポジティブな感情を得るので、幸福度は高い。だからといって、人間はずっと食べ続けることはできない。食事のときは、精神の集中度は低くなり、フロー状態にはならない。

メディア消費

受身的レジャーであるメディア消費というは、フローを生み出すことはない。

趣味

積極的レジャーである趣味のことをしているとき、人は幸福で、モチベーションが高く、深く集中していて、フロー状態が訪れる。

人との交流

人との交流 ( 会話・恋愛・セックス ) は幸福度は高いが、深い精神集中が伴わないので、フローは起こりにくい。

活動のまとめ

【幸福度が高い活動】
・食事
・趣味 ( 積極的レジャー : スポーツ・音楽・ゲーム )
・人との交流 ( 会話・恋愛・セックス )
【幸福度が低い活動】
・仕事
・家事
【集中度が高い活動】
・仕事
・趣味 ( 積極的レジャー : スポーツ・音楽・ゲーム )
※フローを生み出しやすい

実際には「どの活動をするのか?」ということよりも「活動をどのようにするか?」によって、体験の質は決まる。場所・人・時間も体験に重要な要素である。

仕事とフロー

子ども

仕事は、お金を稼ぐために必要であるが、ほとんどの人は「仕事をしたくない」と思いながら働いている。

現代では、仕事は、単純な肉体労働から、知的労働へとシフトしていき、仕事が、不明瞭な概念にもなってきている。

仕事と遊びはいつ分断されるのか?

10歳くらいには、学校の学習時間は仕事で、スポーツは遊びだと答える。「仕事とは、自分がしていることは将来のために重要であり、高い集中力を要し、自己肯定感が高まる」と考えている。幸福でなくモチベーションも低い。

「遊びとは、重要性が低く、集中力を必要としない」と考えている。幸福でモチベーションも高い。

「仕事は、必要だが楽しくない」「遊びは、楽しいが役に立たない」という意識を持つ。

仕事と遊びの意識は、10歳くらいで育まれる。

大人の男女

成人男性と成人女性では仕事の捉え方が異なる。それは、アイデンティティ ( 自己認識 ) と自己肯定感が関係している。

・男性は、自分と家族を養うために、外部環境から食糧調達すること
・女性は、子どもを育てる内部環境、心地よい内部環境を創造すること

男性にとって、家族を養うために、外で仕事をすること自体が、アイデンティティであり、自己肯定感をもたらす。自己肯定感が、先天的な本能から生じるのか、後天的な文化から生じるのかは、問題でない。事実として、仕事をしていない男性は、自己肯定感を保てない。

女性にとって、外での仕事とは、「必要なこと」というより、「したいこと」と考える傾向がある。仕事は自発的なモノである。それは、遊びのようで、取捨選択できるモノである。仕事を重要視していない分、仕事をより楽しめる。何からの事情で仕事を解雇されても、彼女たちの自己肯定感は傷付かない。自分の親や家族を最も重要視しているからだ。

成功者

実験によって、レジャー活動時よりも、仕事時に、フロー状態になることが証明された。

仕事は、明確な目標と行動のルールがあり、顧客の評価というフィードバックがあり、集中力を要し、自分でコントロールでき、スキルに見合っているという構造が、一部で存在する。仕事は、フローの条件が整っている環境なのだ。

成功者は、仕事とレジャー活動の境目が存在しない。仕事が、それ以外の日常生活と統合している。

「人生すべての時間に働いていたとも言えるし、1日も働かなかったと言うのも、同じくらい正しい」

成功者は、フロー体現者であり、フローが生活の一部となった人々である。

成功者は、やりたいことをやっていくうちに、フローを発見し、やりたいことを極めていく過程で、フローが繰り返さることを知った。

「仕事が自分にピッタリだと感じ、時間の感覚を忘れ、完全にうっとりして、行為に完全に没頭する。」

レジャーとフロー

レジャー活動において、フローを生み出す活動は、積極的レジャー ( 趣味 : スポーツ・音楽・ゲーム )に限られる。メディア消費や人との交流では、フローは起こりにくい。

積極的レジャーを楽しめるようになる前には、時間の投資が必要になる。スキル獲得のための地道な練習が必要になる。そのため、大衆は、スキルも集中力も要しないメディア消費というレジャー活動を選択してしまう。メディア消費は、くつろぎ・無気力・不安をもたらす。

多くの本を読み、テレビをほとんど見ない人が、最もフロー体験が多い。
本を読まず、よくテレビを見る人が、最もフロー体験が少ない。

マルクスは「宗教」を大衆のアヘンと言ったが、ここでは「メディア消費」が、大衆のアヘンとなる。

仕事

行為が、どんなに難しくても、つまらなくても、強制されたとしても、「その行為をするのが好きだ」という意識によって、その行為がフロー体験となる可能性がある。

仕事は、人生の中心を占めるので、「楽しくやりがいがあるものにしたい」と思う。しかし、大衆の現状はどうだろうか?

「適正な賃金と生活の安定を得る限り、仕事が退屈でも問題ない」と思う。
人生の活動時間のうち、仕事が占める40%を、ドブに捨てている。

【仕事がつまらない理由】
・仕事が無意味である。
・仕事は退屈で月並みである。
・仕事はストレスが溜まる。

多少の経済的損失という代償を支払ってでも、つまらない仕事を辞める。
物質的な快適さより感情的な快適さを選択する。

仕事を辞めることは、大衆には不可能であるから、仕事をおもしろくするしかない。

【仕事をおもしろくコツ】
・仕事を細かいステップに分ける。
・各ステップの必要性の有無を考える。
・ステップが不要なら失くす。
・必要なら、速く効率的にできる方法を考える。または、付加価値を付けられないか考える。

仕事のタスクを減らす努力ではなく、同じ労力で仕事の価値を増大させる方法を考えることで、仕事をおもしろくする。

【成功者の仕事の方法】
すべてのタスクをリストに挙げ、タスクを区分する。
・不要なタスク
・人に任せられるタスク
・自分がやらなけばならないタスク
そして、タスクに優先順位を付ける。

成功者は、自分で仕事をコントロールしている。

私たちは、いつも定型通りに仕事をしているが、その仕事のやり方を変えることで、仕事をつまらないことから、楽しいゲームにすることもできる。

強制されている仕事を、自分のコントロール下に置く。
その仕事のタスクに自分なりの制限時間を付けて、いかに効率よくしてその制限時間内でやるか、というゲームにしてクリアを目指す。

内発的動機

内発的動機とは

メディア消費に勤しむより「他に何もしたくないほど、全身全霊で、没頭して楽しんでいるフロー体験」を味わう人生が至高だ。

内発的動機による活動は、その行為を体験すること自体が目的であるがゆえに、ただ、その行為を体験する。

「ゲームをクリアする」という目的のためにするのではなく、「ゲームをする」という体験のためにする。

内発的動機は、何かしらの目的があってするのではなく、その体験自体に価値を見出しているので、そこには権力・名声・報酬は不要である。

外発的動機では、自分自身や自分の目的や自分の利益になることを対象にエネルギーを注ぐ。
内発的動機では、自分の知的欲求を満たしたり、自分自身の成長のためにエネルギーを注ぐ。
他人の評価に依存せず、自分の興味・関心を探究していく。

内発的動機で行動している人の言動
「目を覚ますたびに、毎朝が、創造の夜明けである」

挑戦

何事も集中して行い、「上達するコツはないか?」と注意深く観察することを習慣化する。それが、やりがいへとつながり、やがては、内発的動機へと転化する。

昔からやりたかったけど、取り組めていないことに挑戦することだ。この世界には、やってみたり、学んだりすれば、おもしろいことは、数え切れないほどある。ただ、気付いていないだけだ。

人々は「時間がない、時間が足りない」と言う。「目の前には、やらなきゃいけないことだらけだ」と言う。しかし、それは、自分の人生をコントロールできていないことに対する言い訳にすぎない。

そのやらなきゃいけないことは、本当に必要なことなのか?

やらなきゃいけないタスクに優先順位を付け、整理し、単純化することで、タスクは簡素化され、時間を節約できる。そうやって生まれた新しい時間を、未来の富や安全のためではなく、今を楽しむために使う。

自分のやるべきタスクを簡略化して、時間を作って、今、ここにある人生を楽しむために、使う。

意識のコントロール

何かに興味があったら、それに意識を集中する。
何かに意識を集中させたら、興味を持つ。

意識と興味は、相互的因果関係にある。そして、その相互的因果関係から、相互的強化というループが生まれる。

おもしろいと感じることは、初めからおもしろいのではない。意識を集中させるから、おもしろいと感じるのだ。

情報は、自分が関心を向けているときのみ、意識に上がってくる。

肉体的苦痛・金銭的損失・社会的不遇は、どれくらい自分が関心を持って意識するかである。関心を持って意識しない限りは、そんなモノは存在しない。

自分の意思で取得したスキルや自分の成功体験によって、意識のコントロールができる。

専門分野を熟練していくことで、自分の知性を伸ばすことができる。ここで大切なのは、目的を持ったり、結果を重視したりせず、ただ、その行為自体を楽しむことだ。結果ではなく、その行為によって得られる、自分で意識をコントロールする力である。

意識の本質

人間の意識は、遺伝・社会的慣習・学校教育によって方向付けられる。

何に意識を向けて、どの情報が意識に上がってくるかを決めるのは、自分自身ではない。自分の人生は、自分のモノではない。人間が体験することは、予めプログラムされている。

何を見るべきで、何を見るべきでないかを学ぶ。
覚えることと忘れること、何を見てどう感じるかを学ぶ。
何のために生き死ぬのかを学ぶ。

歳を取るにつれ、人間の体験は、自分が生まれ育った文化によって記された脚本に従うようになるだろう。

自分の人生を取り戻す唯一の方法は、自分の意識をコントロールする術を学ぶことである。

好むと好まざるに関わらず、人間の人生は、世界に爪痕を残す。人間の誕生は、社会に影響を与える。両親、兄弟、親戚、友人はその影響を受ける。成長するにつれ、人間の行為は、無数の影響を社会に残す。また、人間は社会によって影響を受ける。

人間は、社会に影響を与え、社会から影響を受けて、社会の中で生き、そして、死んでいく。

自己

仏教
常に、宇宙の未来は自分の行動にかかっているかのように振る舞う一方で、自分の行動が宇宙に変化をもたらすと考える自分自身を笑いなさい。

この気遣いと謙虚さが、没入と無頓着を同時に可能にする。この態度が、結果とは関係なく、宇宙の秩序を維持すること自体が報酬となり、フロー状態へ導く。

明確な自己認識
自分が何者であるか、自己イメージを確立する。

動物は、自己の意思を持たないので、生物的欲求が満たされるまで努力するが、それ以上は努力しない。

人間が富や名声や権力に、自己イメージを確立した場合、努力は際限なく続く。
健康を害し、他人を蹴落としてでも、その目的を追求する。

宗教が、人間の不幸の原因として、自我を非難してきたことが理解できる。

「自我の欲望の喪失は、自我の活力を奪う」という考えもあるが、完全に自我を失くすことはできない。

自己をよく知り、その特性を理解することで、自分の真の欲望や欲求に気付くことができる。

私たち一人一人にとって、よい人生への障壁は、自分自身である。自分自身と共に生きるようになれば、自我は友となり、充実した人生へと導く。

自己とフロー

私たちは自分自身について内省するとき、ネガティブな思考に陥る。一方で、フロー状態にあるときは、無気力・心配・退屈な状態である自分を忘れ、集中している。

私たちはモノゴトがうまくいかないとき、自分自身のことで頭がいっぱいになってしまう。「現在の不安で過去を暗くし、過去の辛い記憶が、現在をさらに不安にする」という悪循環に陥る。この悪循環から抜け出すには、調子がよかったときや、人生が好転しているときを振り返る。

フロー体験のためには、明確な目的が必要だが、それは、目的なしでは、意識を集中するのが難しいからである。

登山者が、頂上到達をゴールとするのは「頂上に到達したい」という願望があるからではない。目的は「ゴールに向けて登る」という体験である。頂上というゴールがなければ、登山は無意味な山歩きになる。

フロー体験しなくても、目的に一致することをやるだけで精神状態は改善する。

仕事を目的の一部と考えることができたら、仕事を好きに思えるかもしれない。

うまくやる

「やらなければならない」と思っていることをやる。
他にやりたいことがないからやっている。

大衆は、紐が引かれたときだけ動く操り人形のように感じながら、一生を過ごす。

「やりたい」と思うことをやる。

「やりたい」という気持ちが、意識を集中させ、精神を安定させる。

人生には、「やらなければならないこと」や、「やりたくないこと」がたくさんある。それを嫌々するのか、楽しんでやるかの2つしかない。

いずれにしても、やらなければならないのだが、楽しんでやる場合は、ポジティブな体験となる。そして、目標を設定することで、嫌な気分を和らげる効果がある。


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