ヒトは家畜化して進化した
20240405
ヒトは「 自己家畜化 」によって友好的になり、見知らぬ人とも協力できるよう進化した。相手の心を思いやり、仲間と技術や文化を共有するできたおかげでヒトは繁栄し、他の人類が絶滅しても生き延びることができた。
協力するという行為は私たちが種として存続するための鍵だ。協力は進化における適応度を高めるからだ。
最も共感的な個体を最も多く有する集団が最も栄え、より多くの子どもをあとに残した。
最も体が大きく、最も強くて、不親切な動物はストレスに満ちた一生を送るおそれがある。社会的なストレスにさらされるせいで、体内に蓄えられたエネルギーが消費され、免疫系の機能が低下して、授かる子の数も少なくなる。
友好的な行動は、誰かに近づいて交流したいという単純な行動もあれば、他者の心を読みながら力を合わせて共通の目標を達成するといった複雑な行動もある。
家畜化は、人間が動物を選抜して交配する人為淘汰だけで生じたわけではない。自然淘汰の結果でもある。 自然淘汰を推し進めたのは、友好性という性質だった。自然淘汰で生じた家畜化を「自己家畜化」という。ヒトは自己家畜化によって友好的な性質という強みを獲得したからこそ、他の人類が絶滅するなかで繁栄することができた。
ホモ・サピエンスはだんだん友好的になるにつれて、ネアンデルタール人のように10〜15人の小さな集団での暮らしから、100人以上の大きな集団での暮らしに移行することができた。 他の人類より大きな脳をもたなくても、より大きな集団で仲間との連携を深めることによって、他の人類を容易に打ち負かすことができた。他者を思いやることのできる人間は、複雑な形での協力やコミュニケーションができるようになり、それが人間の文化的な能力を開花させた。人間は新たな手法や技術を生み出し、それをどの人類よりも早く共有することができた。
ヒトは、歩いたり話したりできるようになる前に、生後9カ月頃になると、指さしを始める。もちろん、生まれてすぐであっても指さしはできるのだが、9ヵ月ぐらいになると、それが何らかの意味をもち始める。
生後9カ月までは、母親が指さしをすると、赤ちゃんはたいていその指を見てしまう。
しかし9カ月を過ぎると、指から伸びる架空の線を辿るようになる。
1歳4カ月になる頃には、指さしをする前に母親が自分を見ているか確認するようになる。母親が自分に注意を向けていないと指さしをしても通じないことがわかっているのだ。
2歳までには、他者が見ているものや考えていることがわかってくる。 他者の行動が偶然なのか意図したものなのか区別できるようになる。
4歳になると他者の考えを巧みに推測することが可能になり、人生で初めて嘘をつけるようになる。誰かがだまされたときに助けることもできるようになる。
指さしを始めると、それ以降の人生は他者が考えていることに思いをめぐらしながら過ごすことになる。
生物の脚や目や翼は、独立して何度も進化してきた。それと同じように、コミュニケーションの能力も複数回にわたって進化してきたとも考えられる。
イヌの認知能力は、限定的だが重要な点で、ヒトと非常に似たものに進化したのかもしれない。
イヌはオオカミから進化して以来、さまざまな面でヒトに似た形質を進化させてきた。
ヒトにはでんぷんの消化を可能にする遺伝子があるが、イヌでもその遺伝子が進化した。そのため、イヌは祖先のオオカミとは違い、ヒトが集めたり栽培したりした食物を簡単に消化することができる。
ヒトが標高の高い場所で暮らせるように進化した遺伝子は、大型犬のチベタン・マスティフにも見られる。そのおかげで、どちらの集団も高地で薄い酸素を体に取り込んで生きることができる。
さらに、西アフリカの人々はマラリアに対してある程度防御効果のある遺伝子をもっているが、この地域の飼いイヌもまた同じ遺伝子をもっている。
こうした収斂進化はどのように起きたのか?もともとこうした形質の組み合わせを備えていたオオカミを選んで家畜化しただけなのだろうか?
人間が何かしら関与したとすれば、それは大量のごみを出したことだ。 現代でも、狩猟採集民
は、野営地の外に残った食べ物を捨てるし、排泄もする。人間の集団が定住生活に移行するにつれ、オオカミは人間の捨てた食べ物を食べた。それだけではなかった。人間は食材を調理するし、消化が速いため、その大便は栄養に富んでいた。オオカミは、人間の排泄物を食べた。
人間に友好的なオオカミと人間を怖がるオオカミの間で遺伝子がやり取りされる機会は少なくなり、人間が意図的に選ばなくても、より友好的な新しい種が進化した可能性がある。自己家畜化の過程である。
哺乳類の脳は大きいほどニューロンの数は多くなるが、ある一定を超えると、ニューロン自体が拡大してしまう。その結果、ニューロンの密度としては、限度がある。
霊長類の脳は大きくなるほどニューロンの数は多くなる、そして、ニューロンの大きさは変わらないので、密度に限度がない。
脳の大きさとニューロンの密度が、知能に影響を及ぼす。
ホモ・サピエンスと絶滅した人類に、知能に差はなかった。ホモ・サピエンスは、社会的な結びつきの拡大によって、進化した。それに伴い、技術革新が起こり、人口が爆発した。
ヒトの子どもが一人で無人島にいると、その文化はチンパンジーと極めて似通ったものになる。
タスマニアのアボリジニは12,000年前にオーストラリア本土から隔絶されて孤立した。 それ以前、彼らの道具の性質や数は、はるかに大きな集団を形成していたオーストラリアのアボリジニとだいたい同じだった。しかし、それから10,000年が経つと、本土のアボリジニの数々の道具がめざましい進歩を遂げる一方で、タスマニアのアボリジニの道具群は数十種類に減ってしまった。
同じような出来事が、数百年前にイヌイットの一集団が北極圏に定住したときにも起きた。 感
染症の流行で集団の人口が数百人まで減ってしまうと、その共同体はカヤックや弓、銛を作る技能を失ってしまった。彼らは途方に暮れ、実質的にカリブーを狩ることも、魚を捕まえることもできなくなった。その後、イヌイットの別の部族と遭遇すると、まもなく彼らは失った技術を取り戻したのだった。
ヒトは友好的な行動が有利になるような自然淘汰が働き、それによって協力行動とコミュニケーションを、柔軟にこなす能力が高まった。世代を重ねるにつれて、協力的コミュニケーション能力が高いヒトが生存に優位となった。
自分の情動反応 ( 一時的な急激な感情 ) を小さくし、寛容性 ( 他者を受けれる能力 ) を高める自然淘汰が起こった。
自己家畜化を通じて、情動反応が低下し、熟考してから行動するように進化した。
ヒトが家畜化されることによって、ヒトの集団は大きくなり、社会的ネットワークの規模も大きくなった。それに伴って技術革新が起こり、文化が進歩していった。
ヒトの形態や生理機能、認知の能力の変化が、他の動物に見られる家畜症候群と似通っている。
家畜化された動物では、友好的になる淘汰を通じて、身体的な特徴に変化が生じる。ヒトが自己家畜化したとすれば、我々の祖先にそうした身体的な変化があった証拠が残されている。
ヒトと家畜化された動物だけが、年齢や性別に関わらず、様々な色の瞳を持ち、瞳の色は生涯を通じて変化しない。また、ヒトは白目を持つが、ヒト以外の霊長類は白目がない。ヒトは白目があるおかげで、アイコンタクトというコミュニケーションが取れる。霊長類は白目がないため、どこを見ているのかわかりにくい。
ヒトは生まれたときは、他の動物と比べて自分でできることがはるかに少なく無力なので、生き延びるために助けを求めるとき、目を使う。親は赤ちゃんに見つめられると、体内でオキシトシンが放出され、わが子に愛情を抱き、愛されていると感じる。赤ちゃんも親に目を見つめられると、体内でオキシトシンが放出され、親をもっと見つめたいと思うようになる。
誰かの視線を感じることがあるが、それも、進化による無意識の産物である。
ほとんどの動物は、競争相手に自分の次の行動を悟られないように目を隠している。一方で、ヒトの赤ちゃんは、白い目でコミュニケーションを取る。ヒトは、その独特の目によって、大人になっても、協力的行動を取ることがわかっている。
自己家畜化によって、ヒトは他者とコミュニケーションを取る自然淘汰の結果、目が白くなった。ヒトの目は独特で目立つだけでなく、普遍的である。ヒトの肌や髪の色、瞳の色も、様々であるが、必ず白目があり、多様性がない。
人間らしさを失わせるには、白目を無理つぶす、ホラー映画しかり、グレムリンしかりである。
イヌは目が開いてすぐに、ほかのイヌやヒトと仲良くなれる状態になり、新しい場所やものを探索する。発達期間が長くなると、多様な経験を得られ時間も増える。 イヌは経験を積むにつれて、次々と遭遇する新しい人や場所、事物に対処できるようになっていく。
同様に、社会化期も長くなる。 探索行動が過度に活発化するこの時期はオオカミで数週間続くが、イヌでは数カ月は続く。 成熟しても新しいものに対して子イヌのような反応を維持するし、むしろ反応が強まることもある。
発達期間が長くなったことは、イヌの発声方法にも影響を与えてきた。イヌもオオカミも幼い頃は吠えて母親の気を引こうとするが、成熟してからも引き続きさまざまな状況で頻繁に吠えるのはイヌだけだ。イヌは、発達期間が延長し、ヒトに友好的になる淘汰が起こった。
友好的になる淘汰とは、社会性の発達の期間が長くなる淘汰である。これはイヌは、社会的な柔軟性にとって重要な形質の発達が早まり、遅くまで続くことを意味する。
ヒトと他の絶滅した人類の違いの中でも特に重要なのは、発声や発達の進み方だ。他の人類、さらには他の霊長類と比べると、ヒトは早く生まれ過ぎるし、生殖できるようになるまでかなりの年月を要する。その一方で、出産と出産の間隔が短いので、早く子どもをつくることができ、女性は閉経後も何十年も生きられる。
ヒトの認知能力は、協力的コミュニケーションと寛容性に関連する形質が幼いうちに発現し、発達期間が長いという特徴がある。
他の類人猿の脳は生まれたときに大人の1/2近い大きさがあるが、ヒトの脳は生まれたときには、大人のサイズの1/4しかない。ヒトは赤ちゃんのときには本当に何もできない。にも関わらず、生後9〜12ヵ月になると、走ったり木に登ったりできるようになる前に、他者の心について考え始める。 最初は単純だが、だんだん複雑に考えるようになる。
ヒトの2歳児は、脳がまだ十分に発達していないにも関わらず、より発達した脳をもつ類人猿よりも高い社会的能力を示した。
飲み物の入った容器を置くときに必ずこぼしたり、トイレに間に合わなかったりするくらい幼くても、ヒトの子どもは他者の心の仕組みを推測できるのだ。
こうした早期に出現する社会的能力の恩恵を受け、 ヒトは十分に発達した脳を持っていなくても、他者を利用して高度な問題を解決することができる。幼いうちから他者を理解できるようになるおかげで、人間は世代から世代へと伝えられた知識を受け継ぐこともできる。これは生き延びる上でヒトだけがもつ強みだ。
他の動物は生まれてすぐに脳の成長を終えるが、ヒトの脳は生後2年にわたって胎児の脳の成長速度を維持して成長し続ける。
ヒトの脳が成長するとき、必要以上のシナプス(ニューロン間の接合部)がつくられる。 問題を解決したり異なる環境に適応したりしながら暮らしていく中で、特定のシナプスのネットワークを他よりもよく使うようになる。そうしたよく使うネットワークはさらに大きくなり、情報の処理能力が高まる。そして、ネットワークは接続の無駄が省かれて、さらに効率的になる。 成人する頃には、脳のネットワークは不要な部分がそぎ落とされ、特殊化する。脳からは可塑性が失われるが、普段の生活で直面しやすい問題を解決するための認知能力は向上する。
ヒトは赤ちゃんのとき、他者の意図や考え、感情を読む力を持っており、この力を利用して、弱い筋肉や未完成の頭骨といった身体的な弱点を補っている。 その間に、脳はゆっくりと成長の遅れを取り戻し、脳は、20代前半に成長を終えたときには、生まれ落ちた文化的な環境で学習や技術革新ができるように独自に調整されたスーパーコンピュータになる。
ヒトは、見慣れた人と見知らぬ人に対しては異なる反応をするが、他の動物とは違って、見知らぬ人が自分の集団に属しているかどうかを瞬時に見分けることもできる。ヒトは、自分と同じ集団に属すると思う他者は、自分と似たような考えを持っていると思う。ヒトは、生まれたときから、自分と同じ集団アイデンティティを持つ人に引きつけられる。そのアイデンティティを形成するものは社会的な力に大きく影響される。成長していくにつれ、集団アイデンティティは、服装、食べ物の好み、風習、身体的な特徴、所属する政治団体、出生、大好きなスポーツチームなど、ほぼあらゆるものによって規定されていく。 ヒトは集団アイデンティティを認識するための生物学的な下地を備えているようだが、集団アイデンティティを柔軟に形成することができるのは、社会的な意識をもっているからだ。
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あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。