見出し画像

初個展直前に脳梗塞になった話:入院1日目:救急車要請

脳梗塞発症から2日目。

激痛で失神から目覚めた。何も変わってない。時計を目にする。1日が過ぎてしまった。am2:30。はぁ~さてどうしよう。まったくもってどうしたもんか。しかしただただ眠気も凄い。脳梗塞の初期症状として【眠気】もあるらしい。ここで救急車に気が向けば、気付いていればと悔やまれる。そんなこんなでまた眠ってしまった様だった。

am7。目覚めた。何も変わってない。以前ならもう治ってたのに(→0日目発症"前よりも")。激痛は収まっていた。

ダメだ。とりあえず現実逃避しよう。youtubeを見よう。元気な飲食店の動画を見よう。手鍋振り。魚捌き。原価。売値。利益。量と質。どれも美味しそうだ。 印象的だったのは『味が変わらないね、という意見の本質は味が落ちたと言われてるんだよ』と言ってるその人が、うちは味を変えてないけどねっていう意見だった事。

pm12:00。

予定の仕事先に電話する。動く左手だけで苦労する。『とりあえず右足と右手が動かないので今日は行けません、明日も行けません、とりあえず連絡は返せなくなります』

『十骨さん、ちょっとちょっと、ざっくばらんでなんとも言えないですよ』

という主旨の問答。こんな失礼なやり取りをしてたんだな。とりあえず119番に電話しようとなった。しかし一刻を争うというのに救急車に電話する前にまず母にかけた。『もしもし?』母は月曜だったのもあり立て板に水のごとき喋ってきた。週の初めは先週の反省や詳細を話すのだ。どこかでショックを与えず隙を見て割って入ろう。なるべく大事に感じさせない声で『でさぁ!なんかカエルの足みたいになっちゃってさぁ』

電話の向こうで『えっ?』となる。とりあえず昨日からの経緯を伝えた。とにかく早く救急車を呼びなさいという当たり前の展開になった。

救急車を呼ぶ。

『えーっと怪我です。どうにも動けません。十骨です東京都○○区■■です。』

『本日救急車の要請が立て込んでるためお時間がかかります。』

了解して待つ。ただ移動に時間を要する。電話してた位置からドアまでは距離がある。果たしてこんな途中に電話が鳴ったらどうしよう。這いつくばって進んでる最中。♪♪♪~。思ったより早い。日本の救急はやはり優秀で立派だと感じる。しかしまずい鳴ってしまった。出れないどうしよう。と言ってもやり過ごす他ない。とにかく開けないでくれ、いやドアの鍵を壊さないでくれ。ドアに近寄る。2度目の♪♪♪~。電話に出れた。『はい十骨です』
『救急です今ドアの前に居ます』

僕は、はい、開けるので待ってて下さいとドア越しに声をかける。ロックを外した。救急隊員の『良いですか?開けますよ?』があってホッとした。『はい』僕は返事をしてドアが開いた。見慣れたフロアに水色のズボンと黒い靴が三足見えた。いつもの土足の土間に左手をついていた。

後は質問責め。後遺症に判断されない様に答える。でも後遺症はそんな事で防げない。後遺症は無敵なのだ。

救急隊は3人だった。隊長50代。以下隊員20代。指示系統から察するに隊長の下は平等なのだろう。多少先輩後輩はあるだろうが。いつ?どこで?なんで?何のとき?質問に答える。椅子の形をしたタンカー。救急車に担ぎこまれる。途中2Fベランダから覗く顔が見えた。無遠慮なその顔と目。恥ずかしさやら痛みやらなんなのかわからない。視界がぼやけた。椅子型タンカーからストレッチャーに移動させられた。

思い返せば発症してからずぅーと『俺は正気だから大丈夫なんだ』と自己暗示をかけてた。とにかく冷静になれ、大丈夫だと。そんな事はなく、今読み返しても脳はショックを受けていたと思う。冷静な判断もなにも出来てなかった。

手配先を探している。

探してる間隊長と話す。仕事やらこの先やら。隊長は『とにかく君は若いし先も長いし、短気は損気だよ』と言ってくれた。色々と話を聞いてくれた。人生で始めて『絶望です』と声にし口にした。隊長は優しかった。そんなことないよ私も生死をさまよった事がある、でも諦めないとこうして生きていられる、と淡々と話してくれた。

涙が流れた。

病院に到着。ストレッチャーからベッドに移動させられる。MRIを撮る。ICUに入る。

今日はとても疲れた。

←0日目:発症                入院2~3日目→

Twitter

Instagram

この記事が参加している募集

この経験に学べ

【十骨jukkotsu】 illustrate+アート=Artrator 時代を飾る『 Let show up your generation 』 【HP】 https://qqg984xd2.wixsite.com/ukiyo