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疵物(きずもの)の価値

何がし立身御僉議ごせんぎの時、この前酒ぐるいつかまつり候事これあり、立身無用の由衆議一決の時、何某なにがし申され候は、「一度あやまりこれありたる者を御捨てなされ候ては、人は出来申すまじく候。一度誤りたる者はその誤を後悔いたす故、随分たしなみ候て御用に立ち申し候。立身仰せ付けられしかるべき」由申され候。何がし申され候は、「そのほう御請合おうけあひ候や。」と申され候。「成程それがしうけに立ち申し候。」と申され候。その時何れも、「何をもって受に御立ち候や。」と申され候。「一度誤りたる者に候故うけに立ち申し候。誤一度もなきものはあぶなく候。」と申され候について、立身仰せ付けられ候由。

葉隠 聞書第一 五〇

人間誰しも失敗はあるものだ。そして最も後悔しているのは本人なのである。いつまでもとがめ立てをせず、新たにチャンスを与えれば、名誉挽回ばんかいを期して全力で取り組むはずである。人は自分が信頼されていると感じたときほど、心に張りを覚えるときはないからである。
「一度誤りたる者に候故請に立ち申し候。誤一度もなきものはあぶなく候。」と言って、過去の失敗のため昇進が絶望的になっている人物をえて擁護ようごし、失敗の経験があるからこそ、今後の働きに期待が持てると言い切ってはばからない度量の何と大きいことか。
将来ある若い人に対しては取り分け寛大でありたいものである

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