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「顔真卿」の筆力と書風に出会って

30代前半の頃のことですが、書の指導を専門としている方に出会う機会があり、その方から当時「国立新美術館」で開催されていた『日展』の「書」を見るようにと薦められ、国立新美術館に足を運んだことがありました。
美術館に足を運び、館内に入ってみると、その2階には「書の展示コーナー」が設けられており、そこには掛け軸に表装された多くの書が展示されていました。展示の多さに圧倒されましたが、どの書も「とても丁寧に書かれていて、とても綺麗な書!」というのが第1印象でした。
ここに展示されている書は、修練を重ねて来られた方々の書ですから、素晴らしいなと思いました。
けれども、一方で、何かもの足りなさを感じたことも事実でした。もしかすると、それは空海や王羲之の書を今まで度々眼にしていたことも影響していたのかもしれません。 
当日は、日本画、洋画、そして彫刻も見る予定でしたので、足早にその場を後にし、絵画、彫刻コーナーに向かったことを覚えています。

あれから年月が経ち、3年前の2019年の1月、「東京国立博物館」で、特別展『顔真卿、王羲之を超えた名筆』と題された展覧会が開催されていることを知りました。その時は顔真卿の名前も知りませんでしたし、書も眼にしたことはありませんでしたが「王羲之を超えた…….」とする題に心惹かれ、その月の中旬頃、博物館に足を運んでみました。
博物館に着いてみると、入館を待っている多くの人たちがエントランスの外で列をなして並んでいました。その列の最後尾に並びましたが、漸く入館出来たのは、それから30分から1時間ぐらい後だったかと思います。
漸く博物館に入って、最初に向かった展示コーナーでは、篆書、隷書、楷書と続く書の歴史について展示を通して説明されていました。
そして次のコーナーでは王羲之の書が展示されていました。王羲之の自筆の書を書物を通して見るのではなく、こうして展示場で直接、眼にすると、特に楷書ですが、しみじみとその優美さ、上品さ、そして均整のとれた美しさに、あらためて驚かされてしまいました。
そのとき、今までは深く感心がなかった王羲之ですが、ふっと、王羲之という人はどんな人で、どんな生涯を送った人なんだろうかと。そんな強い感心が生まれて来たことを覚えています。
そしてそんなことを思いながら、次のコーナーに向かいました。 

次のコーナーは顔真卿でした。   
ここでも顔真卿の多くの書が展示されており、順次、書をみながらゆっくり足を進めて行きました。
暫くすると入館者の人混みの多さと、展示されている書の多さに多少疲れを感じてしまい、もう少し人混みの少ない日に来ればよかったかなと、そんなことを思っていたそんなときでした。

突然、眼に飛び込んで来た書がありました。  
今までの疲労感が一瞬にして吹き飛び、その場に暫く立ち尽くして、強く惹きつけられたその書をじっと見続けていたことを覚えています。

見続けている内に「これは凄い!」と心の声でしょうか、言葉では説明出来ませんが「とにかく凄い!」と、これほど強く印象に残った書は、今まで眼にしたことはなかったように思います。

この特別展では多くの書を眼にしましたが、この書を眼にしたこの時だけ、唯一、胸ポケットに入れていた付箋紙を取り出し、その書の名を書き留めたことを覚えています。そのとき書き留めた付箋紙は、2019年のビジネス手帳の1月のメモ書きページに、顔真卿展についての書き込みをしていましたが、そのページの余白に貼り付けてありました。
その付箋紙に書き留めていたその書の題は『千福寺多宝塔碑、「顔真卿筆  唐時代  天宝11年(752)」』というものでした。
この書は顔真卿が44歳の頃に書いたものと記されていましたが、書から精神性を感じたことも含め、ただただ感動と驚きでした。

そしてさらに驚いたのは、次の展示コーナーで眼にした晩年の顔真卿の書でした。   
そこで眼にした書(いずれも楷書)は、44歳の頃の書「千福寺多宝塔」では感じることが出来なかった「力強くておおらかで、堂々としていて、それでいて、とらわれがなくて、そして穏やか」と言ったそんな雰囲気が、あるいは何かが晩年の書から感じたことでした。
これを見て、それにしても、これだけ大きく書風を変えていった顔真卿という人は、どんな人で、どんな生涯を送った人なんだろうかと、とても知りたくなりました。そこで王羲之をも含め、顔真卿について、少し文献をあたってみました。

それによると、
王羲之(303〜361年)は、名家で貴族出身の政治家でした。書家でもありました。
彼は如才がなく、うまく立ち回りが出来る人であったようです。また政治的にも優れたバランス感覚を持っていたようで、その能力を存分に発揮し、自らの活躍の場をつくっていったようです。そんなこともあってか、晩年は悠々自適な生活を送るなど、とても恵まれた58歳の生涯だったようです。

また王羲之が持っていた書風の優美さや上品さは、出自である王家が持っていた血筋的なものを受継いでいたからのようです。  
これはこれでとても素晴らしいと思います。

一方、顔真卿ですが、彼が生きた時代は(709〜785年)ですから王羲之より400年程後になります。
顔真卿も名家出身の政治家でした。また書家でもありました。
文献によると、性格が剛直であったため、それが災いして上司に疎まれ、左遷を繰り返していたとのことでした。その左遷で地方回りをしていたのは58歳から69歳までの11年間という長い期間でしたが、この期間に顔真卿は道教や仏教に強い感心を持ち、それを身と心で深く学んでいったようです。

ところで、顔真卿の性格の剛直さを表すエピソードとして、こんな内容のものが文献にありました。
顔真卿の性格は「馬鹿がつくほどの真面目な人物で、最期は敵軍にたった一人で交渉のために乗り込んで行き、敵将から寝返りしろと言われたのを、あえて断って殺されてしまった」と、それほど剛直な人だったと。 

けれども、私は「性格が剛直さ故に殺された」とする文献の内容と、私が感受した顔真卿の晩年の書風「力強くて、おおらかで、堂々としていて、とらわれのない、そして穏やか」には、あまりにも隔たりがあるように思います。

顔真卿の波瀾万丈な77年の生涯を思うと、度重なる挫折を味わい、苦難に遭いながらも、そのつど自らの人生を立て直してきたそんな軌跡を感じます。
それが出来たのは、波瀾万丈という境遇の中で道教に出会い、仏教に出会い、そこから柔軟な心を身につけていく中で、自らを信じ、強靭な精神力を養い、そして自らを成長させていった。そんな生き方が顔真卿の書風から垣間見えて来る感じがます。

そう考えると「剛直さゆえに殺されたとするエピソード」は、どうでしょうか?
剛直さ故にではなく、自らの命の危機に直面しても命を賭けて、強い意志を持って自らの信念を貫いていった。その結果、自らの命を失った。そのような生き方をしたと、ほそうなふう考えることが出来るように思います。  

顔真卿のこうした心の在り方、生き方、姿勢は、日本の戦国時代において、度重なる厳しい戦を勝ち抜いて来た戦国武将のそれに非常に近いものを感じます。  
 
話を書に戻しますと、 
私はこのように思っています。
書の文字の意味も大切ですが、その書の線の持つ質や余白、そしてその字のかたち、そうしたものから醸し出される何か、余韻とか、雰囲気とか、場合によってはオーラと言ってもいいかもしれません。 そうしたことがとても大切で、それを大事にしていく必要があり、また大切にしていきたいと思っています。
私にとって、こうしたことは書に限ったことではありません。絵画も彫刻も陶器も音楽も、そして風景についても同じように考えています。

こうしたことに出会い、惹きつけられ、驚き感動したときは、そこに思いを巡らし、そして考えます。

これを書いた人は、これを描いた人は、これをなした人は、どんな風景の中に佇んで、どんな生き方をして来たんだだろうか? そしてその人のこころにはどんな風景があるんだろうかと?

何かを表現しようとしたとき、自らの生きてきた軌跡、体験してきたことの全てが、その表現したもに現れる、私はそう思っています。

表現されたものを眼の前に、自らのこころを虚しくして眺めていったとき、その人がどんな人生を送り、どんな心の風景をもっていたのか、それが垣間見えてくるときがあります。そこに自らの人生を重ねてみます。すると自らの足らなさがたくさん見えてきます。

顔真卿の人と書風に出会い、その素晴らしさに感動するとともに、これを通して多くのことを学べたことはとても感謝です。これからの人生の指針のひとつにしていきたいと、そんなふうに思っています。

最後に「東京国立博物館」での特別展『顔真卿、王羲之を超えた名筆』と題された訳、私はこのように解釈しました。
王羲之は人も書も、とても素晴らしかった。
一方、顔真卿は、多くの困難と過酷な状況に出会う波瀾万丈の人生を送る中で、こころの在り方を道教や仏教を通して、それを深く学ぶことによって、自らのこころをつくっていった。そしてその上に、命を賭けた強い意志を持って自らの信念を貫いていった。こうした命を賭けて生きた顔真卿の生き方そのものが、その精神が、書を通して見る人に伝わってきたのではないかと思います。 
つまり、王羲之を超えたものは何か、それは、顔真卿の「広くとらわれのないこころ」と「精神性」そして「貫いた志と意志と信念」、言葉を変えて言えば、顔真卿の内面的なるものが、王羲之のそれを超えていた。その顔真卿か書いたその書は、王羲之の書いた書を超えていた。そういうことだったように思います。

原稿用紙に換算しますと 10枚余になる長い文書になりましたが、読んで頂き嬉しく思います。   
ありがとうございます。
感謝いたします。


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