シェアハウス・ロック2403下旬投稿分

絶対と相対のあわいに0321

 伊藤亜紗さんは、子どものころにピアノを習っていたという。今回のお話は、その関連である。
 たぶん「体感」という語/概念を導きたかったのだろう、伊藤さんは楽譜に書かれる速度指定に触れている。
 速度指定には、2種類ある。
 ひとつは、♩⁼60などという表記で、これは「絶対速度」と言える。1分間に四分音符が60個という意味である。もうひとつは、アンダンテ、アレグロなどという「相対速度」指定である。いずれも譜面の一番先に書かれる。
 余談だが、私が30歳をちょっと過ぎたころ、私の会社には東京女子大学の数学科のお嬢さんたちがバイトに来ていた。これは数学科の学生さんの多いあるクラブの申し送りのようになっていて、80年代中頃くらいまで続いた。
 あるとき、お嬢さんたち数人で、卒業旅行にイタリアに行った。帰国後、ツルちゃんという人の第一声は「イタリアは音楽の言葉でいける!」だった。たとえば、タクシーに乗っていて、急いでもらいたいときは「プレスト!」と言えばいい。「ゆっくり」は、「アダージョ」でいいだろう。ちなみに、前述のアンダンテは「歩く」で、「歩く速さで」ということになる。ツルちゃんもピアノを習っていたのだろう。
 閑話休題。
 伊藤さんは、「速く」に関して、伊藤さんのピアノ教師の解説を紹介している。
「速く」は、では実際にどの程度「速く」なのか。たとえば、モーツァルトの時代、一番速い乗り物は、たぶん馬車だ。私たち現代人の「速く」は、たとえばジャンボジェット機だったり、新幹線だったりする。この説明は、若干ではあるが虚をつかれる。
 一方、確かに時代を追って、一般的に早くはなっている気はする。たとえば、ベートーベンの第五を、フルトヴェングラーとカラヤンで聴き比べてみれば、一目瞭然である。目じゃなくて耳だけどね。倍速はオーバーだが、スピードは2~3割増しくらいにはなっている気がする。ただ、私はフルトヴェングラーのほうが好きだ。カラヤンは嫌い。
 これらは「絶対」「相対」のあわいの話である。
 話を戻して、ジェット機や新幹線の速さで演奏するのはちょっと無理だろうな。技術的にはなんとかなっても、たぶん音楽にはならない。大きなお世話は百も承知で申しあげれば、「タイパ」とか称して映画を倍速で見ている若い衆は、確かに時間は節約できるかもしれないが、なにか大事なものを失うと思う。
『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)は、私にはとてもわかりづらい本で、私は、書かれていることの周辺をうろうろしているだけの感じがするが、ここで伊藤さんのおっしゃりたいことは、なんとなくわかる気がする。
 ところで、音楽にはもうひとつ、「好き」と「いい」という評価軸がある。これは、聞く立場からの話だが、「好き」はどちらかといえば相対的である。「いい」は絶対的な評価だ。
 私の体験談から申しあげると、「好き」な音楽をひたすら聴き続けているうちに、「いい」音楽に目覚めるような気がする。つまり、量が質に変化するようなことである。
 またまたヘンな比喩で説明するが、「好き」は水平方向だが、「いい」は垂直方向のような気がする。「好き」な音楽だけを聴いている人は、一生「好きな音楽」を聴くだけで終わるだろう。つまり、平行移動しているだけだ。それが「いい」に転換するのも、「あわい」においてのような気がする。
  

いつもサポートしてもらう側なのがつらい0322 

 陶芸クラブの帰りに、「安べゑ」という居酒屋によく寄り道をする。だいたいタカダ(夫妻)と、我がシェアハウスのおばさん、私の4人。タカダ(夫妻)の友だちが加わり、5人になることもある。
 その席で、タカダ(妻)が「バスに障碍者の人が乗って来て、それで時間がかかって、みんなが待っていても、『すみません』の一言もない。付き添いの人も、そういうことを言わない」と言ったことがあった。
 タカダ(妻)の弁護を若干すると、彼女は、身障者差別をするような人ではない。むしろ、その逆である。反原発運動もしているし、どちらかといえば(この言葉、私は嫌いだが)「意識高い系」の人である。
 私は、「ご当人はいざしらず、介護している人は、その事務所から『クライアント(障碍者の人ね)に、精神的な負担をかけてはいけない』と言われている可能性はあるね」と答えた。これは山勘なので、根拠はない。
 今回の話は、このことに関連する。
 まず、『ぼけと利他』のなかの伊藤亜紗さんの関連文章を再掲する。
  
9 マルセル・モースが『贈与論』で指摘したとおり、ゲルマン語系の言語では、ギフトという言葉には「贈り物」と「毒」というふたつの意味があります。贈り物を贈ることで、相手にお返しをしなければいけないという負債感を与えることになる。障害とともに生きる人が(そんなこと思う必要がないのに)「いつもサポートしてもらう側なのがつらい」と言ったりするのは、負債の蓄積を感じてしまうからです。だからギフトは毒でもある。(伊藤亜紗)

 今回の話題は9の後半に相当するが、その前に、書名に「利他」をつけたのもこの抜き書き、あるいはその前後に拠っているのではないかという気がすることを言っておく。つまり、「贈り物」からいかに「毒」を排除するかというモチーフが伊藤さんにはあるのではないか。
 『シェアハウス・ロック0317』で、『世界史の構造』(柄谷行人)の「ホネ」たる表1、2を紹介した。表1を再掲する。

 B 略取と再配分 | A 互酬
   (支配と保護)|   (贈与と返礼)
 ―――――――――+―――――――――
 C 商品交換   | D X
   (貨幣と商品)| 
                  表1 交換様式

『世界史の構造』は、大雑把に言えば、「略取と再配分」は「商品交換」というところに着地しているが、では、「互酬」の着地点Xはどのようなものなのだろうか、あるいは、それは可能なのかを考察する論考であると言うことができる。
 私には、その答え、もうちょっと手前でヒントとして差し出したのが、伊藤亜紗さんの「利他」であると感じられる。でも、これはおそらく伊藤亜紗さんの嫌うと思われるところの、ギリシャ的な解題であろう。
 だが、柄谷行人の「X]よりは、多少先に行っているようにも見える。先に行っているようではあるが、それは言葉でしかない。
 この「言葉」について、次回お話ししたい。
 最後になってしまったが、「いつもサポートしてもらう側なのがつらい」に対する私なりの言葉を述べておく。これは、タカダ(妻)に対する答えにもなっているはずだ。
 この人たちが「お待たせしてすみませんでしたね」と素直に言えるようになり、待たされる私たちも「いえいえ、お互いさまですから」と素直に応じられるようになれば、私たちは「X」に住んでいることになる。そんな気がする。素直にそうなれないのが、あらゆる意味で、私たちの生きている社会の、解決すべき課題だ。
 素直にそうなれないのは、私たちの社会の「きしみ」のようなものだ。
 誤解されると困るので、説明がくどくなるが、これは、「この人たち」を責めているわけではない。私が責めているのは社会のほうである。

言葉にすると内実よりも形式が伝わってしまう0323  

『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)につけた最後の付箋である。

16 言葉にしなければ伝わらない。言葉にすると内実よりも形式が伝わってしまう。記号に込められた「体の生」をどう手渡すことができるか、もどかしい限りです。(村瀬孝生)

 ここでまた、心身二元論みたいなところに戻ってしまう。「言葉」が「身」で、「内実」が「心」である。どうも私は、村瀬さんの文章は苦手だ。
 唐突だが、この方たちはポストモダン、脱構築といったようなことを踏まえているのだろうか。であれば、私にとっての「わかりにくさ」はそこに因がある。ポストモダンも脱構築も、私は忙しさにかまけて完全にスルーしてしまったのである。
 ちょっとあられもない言い方になるが、伊藤亜紗さんは「『体の生』をどう手渡すことができるか」をはじめとして、村瀬さんの言葉を解読することが、ご自身のリベラルアーツ構築に資すると判断され、そうして往復メールを開始、『ぼけと利他』が成立したという流れなのだろう。
 村瀬さんの言う「記号に込められた『体の生』」で私が即座に思い出すのは、吉本隆明さんの『言語にとって美とはなにか』である。同書で吉本さんは、言語平面に「指示表出」「自己表出」という縦軸横軸を設定し、このデカルト平面上に言語をプロットしていくことで、言語の謎(美)を解こうとする。村瀬さんの引用中の「記号」が「指示表出」、「体の生」が「自己表出」というように、私には読めてしまう。違うのだろうか。
「指示表出」「自己表出」を縦糸、横糸のようにして織りあげたものが言語(=表現)であり、聞きなれない「自己表出」の最大値のようなものが感嘆詞であると言えば、多少はおわかりいただけるだろうか。感嘆詞「ああ」とか「うう」は、なにものをも「指示」していない。
『シェアハウス・ロック0316』で、特殊学級に行かされそうになった小学生の私が、作文の時間に悩んだことをお話しした。ちょっとコメントを入れながら再掲する。
 
 例えば「雲」と書く。私は窓から見える雲を見て、それを文字で書きたいと思い(ここまではどちらかと言えば「自己表出」)、「雲」と書く。だが、書いた瞬間から、それはいま私が見ている雲ではなく、「雲」一般、あるいは別の「雲」になっている(ここでほぼ100%「指示表出」になってしまった)。

 これはシニフィエとシニフィアンみたいなことでもある。で、小学生の私は、この「空隙」に悩み、「空隙」を埋めることを最終的に放棄したのである。つまり、村瀬さんがおっしゃる「もどかしさ」を、私は、「放棄」というかたちで処理したわけである。
 こんな言い方をできるようになったのは、私が大人になってからだ。小学生の私は、「考えてもしかたのないことは、考えてもしかたがない」と結論づけたのであった。
 トートロジーのように聞こえるだろうが、前の「考え」のほうが大きく、後ろの「考え」のほうは小さくなっている。これは、小学生の私にもわかった。

私は、特殊学級を勧められた0324

 何回か、特殊学級に行かされそうになったと言った。今回は、そのことの説明である。なにかの冗談とお思いかもしれないが、これは本当のことだ。小学校の2年から3年に進むときにクラス替えがあり、それに際しての親子面談の席でのことだった。ほかの子にも親子面談があったかどうかはわからない。私だけだったのかな。
「結局、無理されないほうがご本人のためだと思いますよ」と小学1年、2年の担任だったタカオ先生は言った。母は、「普通の子だと思うので、普通の学級に行かせてやってください」と頼んだ。
 タカオ先生がこう判断したのも、それほど無茶な話ではなかった。
 まず、当時は読み書きができずに学校に入るのが普通だった。下町というか、場末ではそうだった。だから、小学1年、2年では、ほとんどペーパーテストがない。ほとんど字がかけないからね。だから成績など、わかりようがない。
 しかも、私は鏡文字を書いた。運動神経になにか欠陥があったのか、あるいはもともと左利きだったのを無理に矯正されたのか、どちらかだったのだろう。「き」「さ」などはほとんど鏡文字になった。「し」「と」もあやしい。縦線を引き終ったあたりで気が緩むんだろうな。
 また、母親からは「学校では余計な話をするんじゃないよ。先生の話をよく聞くんだよ」と言われていたので、学校ではほとんどしゃべらなかった。先生の話を聞くだけだった。
 三つ目。私は色盲なので、あらぬ色で絵を描いた。たとえば木の幹に茶色を塗った。これはかなり決定的である。
 よって、タカオ先生の提言になったわけである。
 私は、フジイタダシちゃんの英才教育のおかげで、小学校に入る前にはひらがな、カタカナ、簡単な漢字は読めた(『シェアハウス・ロック2308後半投稿分』0827の項参照)。ただ、字を書いたことはなかったのだ。
 授業中は夢想にふけることにしていた。これも、外から見ている分には、タカオ先生のような判断に至るだろう。
 では、どういう夢想だったのか。
 2年生の3学期は、もっぱら複合語の秘密を探ることに費やされた。たとえば、「雲」。これの頭に、白、黒、雨、入道、流れ、雷などを付ける。それぞれ「しらくも」「くろくも」「あまぐも」「にゅうどうぐも」「ながれぐも」「かみなりぐも」となる。「く」になったり「ぐ」になったり、「しろ」でなく「しら」になり、「あめ」でなく「あま」になる。これはなんでだろうと考えたり、それらの規則性を探っていたのである。「雲」以外にも、「傘」「道」などが考察の対象(ワハハハ)になった。「傘」のほうの規則性はわかった。「ら行」に続く「傘」は「かさ」のままだが、それ以外は濁って「がさ」になることを発見した。このあたりはよくおぼえている。相当ヘンテコな小学生だったわけだ。
 母親が頼んだので、私は特殊学級には行かなかったが、30歳になるくらいまでは、「そっちのほうが幸せだったかもしれないな」と、時折考えることがあった。その想像のなかでの私は、特殊学級でにこにこしながら木工を一生懸命にやっていた。けっこう凝り性なので、箱根細工に匹敵するものまでは無理にしても、それに追随する細工物くらいは考案していたかもしれないなどと、想像はふくらんだ。
 人間には可塑性がある。こういう想像をする程度には、私は人間の可塑性を信じている。ここで、可塑性は、可能性と言い換えても同じである。

【Live】津軽三味線ライブ0325

 一昨日は、四谷のバー「461」で、我が若き友人・山本大の津軽三味線のライブだった。
 毎度おなじみの焼酎バー「寛永」に、流しの新ちゃんが大ちゃんを連れて来て、たまたまそのとき飲んでいた私に「津軽三味線奏者だ」と紹介してくれたのが初対面である。
 音楽に詳しくない人は、よく「津軽三味線というジャンル」という言い方をするが、私は長年「津軽三味線ってジャンルなのか?」と疑問を持っていた。たとえば、ジャズはジャンルである。ロックも、ブルースもジャンルである。ある音楽がジャンルと呼ばれる条件のひとつに、「それ」で、やろうと思えば「それ」でやれるというものがある。これでは、ちょっとわかりにくいかもしれないので、例を使って説明する。。
 たとえば、出来不出来を問わなければ、バッハをジャズ、ロックでやれる。ブルースは無理だな。どちらかと言えば、ブルースはジャンルというより形式だから。ブルースでバッハは無理でも、『東京キッド』(美空ひばり)ならきわめてブルースに近くやれる。もうちょっと正確に言えば、ブルースではなくブギウギである。でも、ブルースとブギウギは兄弟みたいなものだから。
 せっかく津軽三味線奏者とカウンターで隣り合わせに座ったんだから、私は前述の長年の疑問をぶつけてみた。つまり、「津軽三味線をジャンルって言う人がいるけど、ジャンルになんかなってないでしょ?」と聞いたのである。
「そのとおりです」
という答えが返ってきた。私は、「そんなことないです」という答えを予想していたのである。
 おもしれえやつだなと私は思い、たちまちのうちに仲良くなった。
 大ちゃんはなかなかのインテリで、津軽三味線に限らず音楽全般に詳しい。また、津軽三味線に連なると思えるもの(これが、実はかなりの範囲なのだ)に関する知識も、広く、深い。若いのに、カウンターカルチャーにも造詣が深い。
 さらに、凡俗の津軽三味線奏者が「模倣の繰り返し」のような演奏しかしないのに比べ、ジャンルとして津軽三味線を確立させようと苦闘しているように見える。
 この苦闘を、安易、かつ軽薄な言い方に直すと、「芸事」を「芸術」にしようとしている。
 だから、私らはささやかな支援として、年に一回、「461」でのライブを主宰しているわけである。
 大ちゃんのオリジナル曲に『縄文津軽』というものがある。これはおそらく、津軽三味線の出生の底の底に「縄文」を見ているからに違いない。
 私の友人に、暗黒舞踏のビショップ山田がいる。暗黒舞踏の土方巽の最後の弟子である。この人も、暗黒舞踏の出自の底の底に「縄文」を見ているフシがある。ビショップは、縄文学の泰斗・田中基さんに私淑しており、縄文全般が好きだ。
 ビショップの演目のひとつに、津軽三味線を使ったものがある。だから、私は、なんとかこの二人の「縄文」が共鳴/共振しないものかと、いろいろと工作をしているのである。
 昨年の「461」ライブに、ビショップは盟友のキヨコさんという人と来てくれた。嬉しいことに、『縄文津軽』を気に入ったようだった。「この曲には、まだまだ先がある」がビショップのコメントだった。今年は持病をこじらして残念ながら不参加。
 でも、必ずチャンスはあると思っているし、うまくいけば、津軽三味線にも、暗黒舞踏にも大きな飛躍をもたらすのではないかと考えている。
 

【Live】違法賭博の謎0326

 我がシェアハウスでは、夕食は基本的に3人が揃うことになっている。3人で共通の話題は皆無に等しいので、おじさん、おばさんはしゃべり、私はもっぱら自分でつくった片口とぐい呑みで酒を飲み、「ここ、釉薬かけすぎたな」とか、そんなことを考えているわけだ。
 つい最近、夕食の席で、大谷翔平の通訳の違法賭博事件が話題になったことがある。おばさんが、「口座から窃盗というのは、ちょっと納得できない。大谷も関与してるんじゃないか」と言い、おじさんは「大谷はそういうタイプじゃない」と答えた。
 人をタイプに分けるのは誰でもよくやることだが、タイプがなにかをしでかすわけではない。なにかをやるのは、必ず人である。そして、人というのはなにをやり出すかわからない。だから、おじさんの発言はほぼ無意味である。でも、私は黙っていた。おじさんは、違う意見を聞くとムキになる傾向があり、あまり議論にならないのである。
 だから、これから書くことは、そのときに私が考えたことだ。
 通訳はアメリカのテレビ局に19日、「大谷に借金の肩代わりを頼んだ」「明らかに彼(大谷)は不満そうだった」。「(でも、)助けてくれた」と述べた。しかし、大谷の口座から金を動かしたのは通訳であるという。これがまずヘンだ。
 大谷の弁護士事務所からは「大谷が大規模の窃盗の被害にあっている」という声明が出た。翌20日になると、通訳は前日の説明の大部分を撤回し、「大谷はギャンブル、借金についてなにも知らない。すべては私の責任」と同じ局に話している。
「肩代わりを頼んだ」ということは、少なくともその時点では大谷は知ったことになり、後付けながら資金を提供したことになってしまう。ところが、違法賭博に資金を提供すること自体違法性を問われる行為である。で、弁護士事務所としては、前述のような声明を出さざるを得ない。大谷を守ることが弁護士事務所の仕事だからだ。
 通訳が翌日に発言を撤回し、別の説明をしたことには、弁護士事務所の声明の少なくとも影響、もう少し言うと、通訳の発言への関与、強制が感じられる。こう考えることで、一連の出来事がスムーズに流れる。
「サンデー・ジャポン」に24日出演した国際弁護士の湯浅卓は、「その(違法賭博の)業界の人から『われわれの業界仲間から金を借りないか』っていう誘いを受けていたのではないか」という疑いを述べたという。これは当然ありうることだ。
 通訳の借金は、6億8千万と推定されている。その額に至るまで、ほとんど現金は動いていないはずだが、ここも一介の通訳にそんな大金を「貸す」のか、それ以前にそんな額を「のむ」のかという疑問は残る。「その業界の人」は、そんなに甘ちゃんなのだろうか。
 だから、さらにその先も考えられなくもない。
 それは、大谷ファンには申し訳ないが、大谷もその違法賭博に多少なりとも関与していて、通訳が大谷分の罪状をかぶったというものだ。もちろん、証拠などない。だが、そう考えたほうが、通訳が口座を操作できた不思議も、通訳の話がころころ変わることも納得できる。
 まあ、結果としては通訳が全部ひっかぶって幕という線が一番強い。いまの状態なら、大谷は罪に問われることはないが、それでも「賭け」の内容によっては、大谷の出場停止、リーグ追放という線はありうる。でも、それもないような気がする。それは、経済効果からそう思われるのである。

結局わかりませんでした0327

 今回が『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)シリーズの、実質最終回になる。
 そもそも、我が畏友その1の「ネタになるかもしれないぞ」との勧めで読んだわけであるが、「ネタになる」どころではなかった。その周辺をぐるぐる経めぐり、吉本隆明、柄谷行人両氏はじめ多くの方々にもご登場いただき、それらの方々の言説を手掛かりにし、『ぼけと利他』、またその下敷きたるリベラルアーツなるものを解読、解明しようと試みたのだが、結局、よくわからないという結論である。
 でも、わかった部分もある。それを以下に書いていく。だがこれは、根拠をつかんでわかったというよりも、ほぼ推理である。だから、アタリであるかどうかは不明だ。
 まずひとつは、リベラルアーツなるものは開発途上であるということである。前に、「既視感」ということで認知科学を挙げたが、その当時認知科学会の会長は佐伯胖さんだった。この人と知り合いだったので、私は門外漢にもほどがあるにもかかわらず、認知科学会の会員になれたのである。「会員資格を得るためには、現会員一名以上の推薦があること」が条件だった。会長の推薦なら、どこからも文句は出まい。
 佐伯さんとはよく冗談で、「科学であると認知してくれという会」だと言っていたものだ。つまり、当時の認知科学も開発途上で、それによる「既視感」である。
 次はおぼろげではあるが、リベラルアーツには「流儀があるのではないか」と思った。これも認知科学会における経験を敷衍したものだ。
 認知科学会は、心理学から参入した人が多かったが、コンピュータ科学、脳科学、精神分析学等々から参入、乱入、越境する人も多かった。哲学もいたぞ。
 リベラルアーツは、たぶん比較的出来立てで、であればいまのところはリベラルアーツを確立しようとして呉越同舟状態であるはずだ。だから、まだ「流儀」はないのかもしれないが、力を持つに従って、出自によって、あるいは師弟関係によって、徐々に「流派」が成立していくはずである。この段階になれば、多少はわかりやすくなるのかもしれない。
 三つ目は、リベラルアーツと言ったほうが、助成金が取りやすいのではないかというあけすけ、かつ下世話な推測がある。出どこは明かせないが、もともとシェイクスピアが専門のある学者がリベラルアーツに鞍替えし、助成金が取りやすくなったという話を聞いたことがある。
 繰り返しになるが、この「ひとつ」から「三つ目」は、100%私の推理、推測である。
 最後に、本日の表題は、南伸坊が聞き手になり、多田富雄が語り手になった本のタイトルから借りたと思っていた。ところが、調べたところ、その本のタイトルは『免疫学個人授業』 (新潮文庫)であることがわかった。表題のほうは、ビートたけしの集英社文庫のタイトルだった。ほぼ同時期に読んだんで、ごっちゃになったんだね。どちらも、素人が質問し、専門家が回答するというスタイルのものだ。
「リベラルアーツとはなにか」については、継続して、その解明につながりそうな本が目に付いたら読んでみようとは思っている。
 畏友その1よ、ありがとう。久しぶりに頭を使ったのでぼけ防止、少なくとも進行速度の軽減ははたせたはずだ。

【Live】春めくや0328

 俳句は書かないのでご安心ください。これは楽屋オチもいいとこだな。
 今年は、3月のほうが2月中より寒いというヘンテコな春だったが、それでもあちらこちらで春らしい感じになってきている。
 当シェアハウスで四季の移りを告げてくれるのは、まずメダカの諸君である。今年はほとんど冬眠をしなかったので、餌をやらなかった期間が少なかった。ここのところはベランダやその近くに行くと、「餌をちょうだい」とばかりに水面に顔を出してくる。可愛いもんだ。
 そうそう。産卵床用に、ホテイアオイを先週買ってきた。このごろのホテイアオイは、冬を越さないのである。すぐに増えるので、産卵期には十分役目を果たせる量になっているはず。それから、越冬で家のなかに入れた年少さんたちも睡蓮鉢に移した。
 このごろでは、朝、昼、夕方と、3回餌をやるようになった。メダカの諸君の食べ残した餌は、タニシの諸君がせっせと処理してくれるのであまり心配していないが、それでも餌が残るのはあまりよくない。餌をやって3分程度で諸君がほぼ食い切る程度がよろしい。これを3回繰り返す。いま、睡蓮鉢には30匹前後いる。
 3分なんて測っているのかとお思いかもしれないが、頭のなかで歌を歌うのである。一曲3分程度のレパートリーが何曲かある。たとえば、ビートルズの『ガール』は2分30秒。エンディングは急速なフェイドアウトだが、ここで直前のギターソロにつなぎ(頭のなかでね)、このギターソロをやや長めにとれば3分である。
 私はミュージシャンの端くれであるので、短い時間、たとえば蕎麦を茹でる時間などは、こういったことでほぼ正確である。2秒と狂わない。でも、端くれでしかないんで、スパゲティになったらタイマーを仕掛けないと無理だ。
 ただ、悲しいかな端くれなんで、頭のなかでメロディーは鳴るものの、和音は鳴らない。たまに和音を「感じる」ことはある。端くれじゃないちゃんとしたミュージシャンは頭のなかで和音が鳴るのだろうか。これは確かめてみたいことである。
 舞踊、舞踏の専門家になると、「自分の踊っている姿が見える」と言う。前にお話ししたビショップ山田を始め、何人かの舞踏家に聞いたのだが、皆さん「見える」と言う。これも人間の脳の不思議である。
 4月になったらディルシーズをプランターに撒こうと思っている。昨年、季節外れだけれども、スパイスとして買ってきたものを撒いてみた。発芽実験は成功。今年は収穫ができるかもしれない。そんなに量を使うものではないので、たぶん、プランターの2つや3つで大丈夫だと思う。これも今年の楽しみのひとつである。
 老化防止のために散歩する遊歩道では、もうオオイヌノフグリが咲いている。なんとも気の毒な名前の花だが、花自体はとても可憐である。遊歩道はこれから野草のパラダイスのようになるので、足腰のエクササイズに加え、目の保養にもなる。
 季節の切り替わりの時期、特に、秋から冬、冬から春の切り替わりは、ジッポのライターの点きが悪くなる。ジッポは液体(ケロシン)を燃料とするライターなので、ちょうどそのあたりは温度の変化で気化する度合いが変わり、それで点きにくくなるのだろう。今朝あたりから、点きがよくなったような気がする。
 もう、春だな。
 コーヒーのお湯も、早く沸くようになった。

【Live】老いの小文0329

 このごろ、足の運びが、日によって、スッスッという感じになることがある。つまり、足が軽いと感じられるときがある。でも、実際は衰える一方のはず。がんばってもせいぜい維持するくらいが関の山で、筋力が増すはずはない。これはどういうことだろうと考えたわけである。
 以前、ギックリ腰のときに、車に乗るとき側頭部をぶつけてしまうお話をしたことがある。あれは、「ここまで頭を下げた」と感じるセンサーがギックリ腰によって狂っているので、思ったよりも頭が下がっておらず、にもかかわらず普段の勢いで乗り込むので、その勢いでぶつけてしまうのではないかとお話しした。あれは、けっこう痛い。
 筋肉には、推力用に働くものと、抑止に働くものがあるのではないかというのが、今回の推測である。つまり、足を前に出す筋肉と、それを制御する筋肉とがあって、制御するほうの筋力が衰え、その結果、相対的に推力が強くなったと感じられ、それで足が軽くなった感じがするのではないかと考えたわけである。
 本当かどうかはわからないし、そんな話は聞いたことがないが、でも、足が軽く感じられるときがあるというのは間違いのないところである。
 もうひとつ、「メモパ」ということを始めた。「メモパ」は私の造語である。
 どうもここのところ、短期記憶が心もとなくなってきた。たとえば、マテ茶を飲もうとし、冷蔵庫の前に行く。冷蔵庫の上に、空になったペットボトルを発見する。「これ、かたづけなくちゃな」と手に取った瞬間にマテ茶のほうを忘れてしまう。ああ、こういうことを「短期記憶」というのは、脳科学用語としては不適切である。でも、一般用語として使ったので、ご容赦を。
 そこで、「メモパ」である。「メモ」はメモリーで、「メモパ」は憶えておくことを最小限にするということである。「タイパ」のマネだ。
 朝起きて、ぜんそくなので、吸入を2種類やる。下に行って、コーヒーを飲み、朝食を摂る。戻ってくると、吸入をしたのかしなかったのか、完全に忘れている。そこで、吸入をしたら薬類を入れた箱を、机の上に出しっぱなしにしておくことにした。それを見ると、「ああ、吸入はやったんだな。これから薬を飲むんだな」とわかる。でもそのうち、「出しっぱなしだ。だらしねえな」と思って、片付けるだけになってしまうかもしれない。油断できない。
「メモパ」は、システマチックと言ってもいいと思う。つまり、システムのなかに記憶を埋め込むような段取りをしておくといった意味である。
 昔々、電話をかける際の標語に、「番号は記憶に拠らず確かめて」といったものがあった。いまでは、記憶する必要すらなく電話はできるようになった。それとちょっと似ている。この場合、スマホ(システム)のなかに記憶(電話番号)を埋め込んでいることになる。
 でも、これがいいことなのかどうかは、議論が分かれるところだろうな。こうなる前は、友だち等々、よく使う電話番号は暗記していた。100やそこらは暗記していたのではないか。いまでは、自分のスマホの番号くらいしかおぼえていない。
 表題は言うまでもなく『笈の小文』(松尾芭蕉)の地口合わせである。松尾くんは、これを書いた2年後、『奥の細道』に旅立った。

 草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

 これが、『奥の細道』の一句目だったと思う。「雛」が季語だろうから、せいぜい3月だろう。「雛」は「鄙」とかけているんだろう。余談だが、私が高校時代に与太っていたテリトリーにこの「家」(=芭蕉庵)はある。
 二句目が、

 行く春や鳥啼き魚の目は泪

である。おそらく、門人らが旅立つ芭蕉を千住まで送りに来たのだろう。そのときの句だと思う。「魚の目は泪」が、なんとも謎めいていていい。シュールな感じすらする。

【Live】忙しい週の前半0330

 24日(日)の朝9時、畏友その2からラインが来た。「メカブもらってくれない? たくさんいただいたんで食べきれない」がその内容だ。ウェルカムである。
 畏友その2はほどなく、大量のメカブを我がシェアハウスまで届けてくれた。コーヒーで歓待したのだが、その後の予定があるらしく、飲み終わったらそそくさと帰っていった。
 帰る直前に思い出し、『呪われたシルクロード』(辺見じゅん)を渡した。同書は、八王子、そしてその一地域である鑓水、恩方などが主な舞台になっており、畏友その2は恩方生まれ、育ちなのである。私が八王子に来る前、まだ土地鑑がないころに読んですらおもしろかった本なので、畏友その2が読めば、さらにおもしろいに違いない。前々から読ませたかったのである。「いまちょっと忙しくて、すぐ返せないかもしれない」と言いつつ持って帰った。
 翌25日に、「まだ半分しか読んでないが、おもしろい!」とメールが来た。忙しいのに、半分は読んだんだな。
 翌々26日は、以前ちょろっとお話しした87歳の人と本八幡で打ち合わせ。この人の「宗教的自叙伝」の編集作業が、佳境に入っているのである。差し替え原稿6枚分を預かり、打ち合わせ終了後、とって返して四谷へ。
 山本大ちゃんの津軽三味線ライブの会場だったバー「461」に、ライブ後の挨拶に行ったのである。「461」には、前述のメカブを半分おみやげにした。茹でたものは冷凍できると、461(妻)が教えてくれた。
 この日、全体で4時間程度電車に乗るので、古本市で買っておいた『宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった』(佐藤勝彦、同文書院)を持って出た。こういう本は、まとまった時間がないときにしか読めないからだ。いわゆる「宇宙論」の本である。
「時空間」「素粒子論的宇宙論」「三度K宇宙背景輻射」「ビッグバン」「四つの力(重力、電気の力、強い力、弱い力)」「統一場理論」「自発的対称性の破れをともなうゲージ理論」「ブラックホール」「相転移」……。これらは、素人ながら解説書、科学雑誌等々を通じて、おぼろげにはわかっているつもりだった。
 ところが、相互に、どういう関係になっているのかは、素人の悲しさでわからなかった。前に、『酒・煙草・セックス』という番組(プライムビデオで見た)で、禁酒法、アル・カポネ等のギャング連中、キリスト教原理主義…など、切れ切れに知っていることの隙間がだいぶ埋まったと申しあげたことがあるが、前述のバラバラ「宇宙論」のバラバラがだいぶつながったような気がした。
 宇宙という言葉は、『淮南子』から来ていると、この本で知った。「四方上下これを宇といい、往古来近これを宙という」とあるそうだ。だから、宇宙はもともと時空間のことなんだね。
 電車のなかで前述の解説書、科学雑誌等々を思い出しながら、同書を読んだんで、ほら、激しい運動をしたり、肉体労働をしたときに、「膝が笑う」っていう状態になるでしょう。あれの頭版で、「脳が笑う」状態になった。悪い頭使い過ぎたんだな。
 私の頭が笑いつつあったころ、畏友その2からは、「読んだ」とラインが来た。その本を引用したり、別の写真を使って私に説明してくれたり、長文だった。仕事遅れたんじゃないかな。まずいタイミングで貸してしまったようだ。
 その翌日、「461」から、「メカブを出したので、いまカウンターは全員日本酒になっています」とラインが来た。
 あっちもこっちも忙しそうだ。
【追記】
 前回、「『メモパ』は私の造語である」などとしたり顔で申しあげたが、ハッシュタグをつけるとき「メモパ」が出て来た。同じ意味だとしたら、先行者がいたことになる。謹んで、お詫びと訂正をする。

 
【Live】医学の問題ではなく、友情の問題0331
 
『週刊新潮』の「医の中の蛙」(里見清一)は、私の好きな連載コラムである。3月28日号のそれに、おもしろいことが出ていた。
 里見さんは国立がんセンターに勤務していたとき、入院患者さんにサプリや民間薬を見せられ、「飲んでいいか」と相談されたという。「これはいいけど、これはだめ」と選別したあとで、レジデントから「どうしてあんなインチキ薬を許可するのか」と詰め寄られたそうだ。里見さんは「ちゃんと対応しないで、全部だめなんて言ってみろ。もう相談してくれなくなって、闇に潜るだけだよ」と説明したが、ソイツは不満をタラタラ言いそうな顔をしたそうだ。「よく言えば、理想主義者なのだろう。これは褒め言葉ではない」と里見さんはその文章をしめている。悪く言えば、「頭カチカチ」なんだろう。
 この文章で、私が大腸がんで入院したときのことを思い出した。
 私は人徳があり(ワハハ)、かつその人徳の有りどころがあまり科学的な人たちではないので、冬虫夏草、行者食、奄美大島でしか採れないショウガ科の草の根っこの粉末、松の実など、「がんに効く」というものをいろいろいただいた。もらった以上飲まないと悪いと思い、入院中にせっせと消化した。
 こっちでもやはりレジデントが、「それなんですか?」と聞くのでるる説明したのだが、彼は「そんなもの、医学的には全然根拠がない」と言った。コイツも「理想主義者なのだろう。これは褒め言葉ではない」。でもまあ、「医学的には全然根拠がない」自体はあたりまえと言えばあたりまえである。
 私は、コイツに「医学の問題ではありません。これは友情の問題です」と答えた。我ながら、自分が生涯言ったなかで、一番かっこいいセリフだと思っている。
 里見さんのコラムで、このことを思い出したのである。
 みんなに心配かけたよなあ。みんな、見当はずれっちゃあ見当はずれだけど、いろいろやってくれたよなあ。これ書いていて、夕食のときの酒で酔っぱらっているからかもしれないけど、涙が出てきた。そう言えば、あのときにあやしげなものをくれた人たちは、大がひとつでは足らない大親友のタダオちゃんを筆頭に、みんな死んじゃったな。わっ、やべえ。悲しくなってきた。
 このときの入院時に、私ががん関係の本を大量に読んだお話はした。いまは、がん手術から生還した我がシェアハウスのおばさんが、やはりいま大量に読んでいる。
 そのなかのひとつ、中川恵一さんの本のなかに、おばさんのがんにはコーヒーがいいと書いてあった。この本『がんで死なない生き方』は、私ががん関係の本を読み漁った30年後の本である。それ以降に明らかになった知見がちりばめられ、なかなかためになった。中川恵一、養老孟司、色平哲郎のお三方は、私が全方位的に信頼するお医者さんである。
 おばさんは生活習慣のなかに、ヨーグルトに加え、コーヒーを増やした。で、私は毎朝、自分が飲むコーヒーを淹れたあとで、おばさんの分も淹れているわけである。素人が淹れるより、私が淹れたほうが間違いなくうまいはずだ。

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