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『”ことば”たちへのありがとう』 隠れた“ことば”を求めて、今日も、明日も、、、


今、僕は『note』を書いている。

自分の“ことば”を精一杯書いている。


もう見失いたくないんだ。

もう隠したくないんだ。


だから、

だから、

“ことば”を捕らえて離さない。

“ことば”を隠さず、あらわしたい。



そう、
最初に思い出すのは、小学校2年ころ、朝の会での一分間スピーチ。

教卓の前に立ち、なんでもいいので一分間、みんなにお話しをする。


でも、
僕は自分の“ことば”を見つけられない。

「母親に押さえつけられて育ってきたから?」

自分の“考え”や“思い”が、僕自身にもわからない。


ただ、
ただ、
一分間、立ちつくす。

僕は、時間切れで逃げる以外の手段を持たなかった。


押さえつけられ、
否定された僕の“考え”や“思い”は、

どこか見つからないところへ隠れてしまったんだ。

どこを探しても見つからない“ことば”を話せと言われても、、、



そして、
僕は自分から逃げだした。

自分から逃げて、
人に合わせれば、

もう、
“ことば”探しをしなくていい。


見つからない“ことば”を求めて彷徨うより、

見つからない“ことば”を出せと要求されるより、

逃げるほうがずっと簡単。


だれかの“ことば”に合わせるか、
黙っていれば、

だいたい逃げ切れる、、、


、、、

ほんとは羨ましかった。

ほんとは妬ましかった。

ほんとは恥ずかしかった。

あの人も、

この子も、

みんな“ことば”を話してた。

みんな“ことば”を交わしてた。

僕もほんとはそうしたかった。


だけど、

話す“ことば”は相変わらず見つからない。

交わす“ことば”はどこにもない。




飛び交う“ことば”の中で、

僕はいつも一人。

友達といても、

同僚といても、

恋人といても、

いつも一人。

僕には、交わす“ことば”がないんだ。

だから、一人でいるしかないんだ。

扉を閉めて、
“ことば”の世界から引きこもろう。。。




でも、

でも、

世界はそれを許してくれない。

扉をこじ開けて、
“ことば”を出せと迫ってくる。


さあ、あなたの“ことば”を聞かせてごらん

さあ、はやく、おまえの“ことば”を出しなさい

さあ、“ことば”を、、、

“ことば”を、、、

“ことば”を、、、



僕は、悟った。

逃げられないんだ。

扉は閉められないんだ。

僕は、“ことば”を見つけるしかないんだ。

あのとき、隠した“ことば”を、、、

あのとき、埋めてしまった“ことば”を掘りおこすしかないんだ。



だけど、

なかなか見つからない。

なかなか掘り起こせない。


焦り、

不安、

「見つかるの?」


恐怖、

いらだち、

「僕には“ない”の?」



もがき苦しみ、

うつで世界が曇ったとき、

奇跡の光が差し込んだ。

どんより曇った世界に差し込んだ2本の光が、
僕を救ってくれた。


1本目の光が教えてくれた。

「おまえに“ことば”を出せと迫る奴らの“ことば”をよく聞いてみろよ」

「奴らの“ことば”は空っぽでクソだろ」

「奴らの要求に応えて“空っぽなことば”を出すくらいなら、きれいじゃなくても、見苦しくても、“ほんもののことば”を育てろよ」

そんな光が差し込み、僕をえぐったんだ。



もう一本、
その光は女神だった。

いつも楽しく、
愉快に、
“ことば”を聞かせてくれた。

そして、
僕は気づいたんだ。

今まで僕を苦しめ追い詰めてきた“ことば”


「だけど、そうじゃないのかも?」

「“ことば”って楽しく、美しく、心地よいものかも?」


そんな奇跡の気づきを与えてくれた。


その女神の輝く光は,、美しさと同時に、僕の醜い影をはっきりと見せつけもした。

だから、
女神と向き合うと、
その輝きに幸せを感じるとともに、自分の醜い影に絶望も感じたんだ。

女神は僕に生きる希望を与えもするけど、「もう死にたい」とつぶやかせもした。





そして、

僕は死んだ。

日々、
古い僕は死んでいき、
新しい自分が生まれてきた。




気がつくと、
僕は、『note』に、“ことば”を並べている。

自分でも信じられない奇跡だと思う。



あれほど、みつからなかった“ことば”たち、

いまは、つぎからつぎへとあふれる“ことば”たち、


こんな僕と仲良くなってくれてありがとう。

いつか、出せなくなるその日まで、仲良くしてくれたらうれしいな。





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