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平和を左右する考え方『仮観』と『空観』?

こんにちは。かどやです。


今日は仏教で平和を乱す考え方とされる『仮観』(けがん)と平和になる良い考え方とされる『空観(くうがん)』について、私の解釈で書いていきます。


まず、仮観(けがん)とは、数が多ければ多いほど良いと考える思想で、何故この思想が平和を乱すと言われるのかというと、この世の中ではほとんどのものが数に限りがあり、それを個人が多く集めることは、他人の分まで奪ってしまい争いの種になるからです。


例えとして現代社会の良くある『仮観(けがん)』をあげると、


『お金は多ければ多いほど良い』

『権力は多ければ多いほど良い』

『人気はあればあるほど良い』

『寿命は長ければ長いほど良い』


といったものです。


これに対して、良い考え方とされる『空観』(くうがん)は、数の多いことよりも、平和を良いこととします。


例えば先程の『仮観(けがん)』を『空観(くうがん)』にするとこうなります。


『お金は、自分に必要なお金を少なくすれば、少なくした分、他の人が裕福になれる。』


『権力は、自分に必要なわずかな一点だけ必要とすることで、余計な争いを限りなく少なくし、自分の道に集中できる。』


『人気は、自分の道を見極め、その道の最高の人達から認めてもらうように生きることで、自分の道の堕落を防ぎ、その道の進化に貢献できる。』


『寿命は、例えばどんなに長生きしても、それがただボーッと生きたのであれば、それは死んでいるのと大して変わらず、また、どんなに長生きしたとしても、それだけ世界の平和を乱してきたのであれば、それは産まれてこなかったほうが良かったのかもしれない。なので寿命とは、単に長いことが良いことではなく、いかに世界平和に貢献するか、その長さと深さである《貢献度》を大切にすることで、例え短い寿命であっても満足度の高い人生を歩むことができる。』


いかがでしょうか。

これが良いとされる考え方『空観(くうがん)』です。


『空観(くうがん)』の『空(くう)』とは、良くある『無=何もない』という意味ではなく、『一見何もないように思えるが、空気のように本当はすごく重要なもの』という意味で、それが《空=平和への想い》であると、私は解釈しています。


人の生き方はそれぞれで、てんでバラバラですが、この『平和』という『一点』においては、どのような人とも想いを共有することができる、目には見えないが非常に大切なもの。それが『空』であり『平和』です。


その『空=平和』を『観(み)』つめて生きる生き方が『空観(くうがん)』だと私は解釈しています。


この『空観(くうがん)』という生き方素晴らしくないですか?


今の世の中は、まだまだ『仮観(けがん)』が好きな人が主流ですが、いつか『空観(くうがん)』好きが増えてくれることを祈っています❗


やめちゃえ❗仮観❗

今回は以上です。

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