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路地裏で揺らぐ -内在性解離の当事者研究-

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精神的虐待サバイバーであり、内在性解離を持って生きる僕たちを記録するエッセイを集めたマガジン。10人のパーツたちがそのときどきで思ったこと、考えたことをまとめている。
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#文章

10年前に届いていた、人格からの存在主張

10年前に届いていた、人格からの存在主張

中学生の時に書いた小説を読み直している。リメイクしたくて。

何度か手を入れている作品ではあるけれど……今読むとあまりにも拙くて、でも当時はちゃんと書けてると思っていたことを覚えていて。
恥ずかしいやら情けないなら……いろんな感情が湧いてくる。

当時は今とは違うことを考えて、今とは違うやりかたで書いていた。僕たちも変わったものだ。

文章こそ拙いしまとまりのない部分も多いけれど、「おや」と目に留

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書けなくなった僕たちが、再び書くためにやったことやめたこと

書けなくなった僕たちが、再び書くためにやったことやめたこと

物語を書くことは、約20年も続けている僕たちの趣味であり仕事だ。
「書く」ことと「生きる」ことはほとんど並列のニュアンスを持っている。

それなのに、いつからだろう。
気づいたら「書く」ことに追われていた。追われていることに気づいた。

書きはじめた頃、もっと純粋な楽しさだけがあったんじゃないか。

今目の前の原稿に追われている、この気持ちは楽しみではなく義務感だ。

書くのと同時進行の文章批判が

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近況と、エッセイが書けない話

近況と、エッセイが書けない話

「エッセイが書けない」という文章が「書けている」、矛盾と不思議。

しかし、本当に書けなくなってしまったのである。

ほら、今だって画面の前に頬杖をついて思考する数分間。

2行目と3行目の間には、行間には現れない思考と手元の空白がある。

そしてまた空白。

けれど書き進められないからと言って、せっかく作ったこの記事を消してしまうのも惜しくて私は困ってしまう。

実はここ1ヵ月くらい、また新しい

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Jessieの文章は果たして読みづらいのだろうか?について

Jessieの文章は果たして読みづらいのだろうか?について

どうも。直也です。

Jessie -ジェシー- が楽しく下書きをしている横で、僕と「監理者」が口を挟んでしまった場面があり、彼女に申し訳ないと思った。

「読みづらい書き方だ」と思ったのだ。

けれど冷静になって考えてみると……本当にそうなのだろうか。

自分の文章を自分で評価するとは、非常に難しいことだと思う。

基準と理想が入り乱れ、厳しすぎたり、甘すぎたりする事態が発生しやすいのではないか

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