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書けなくなった僕たちが、再び書くためにやったことやめたこと

物語を書くことは、約20年も続けている僕たちの趣味であり仕事だ。
「書く」ことと「生きる」ことはほとんど並列のニュアンスを持っている。

それなのに、いつからだろう。
気づいたら「書く」ことに追われていた。追われていることに気づいた。


書きはじめた頃、もっと純粋な楽しさだけがあったんじゃないか。

今目の前の原稿に追われている、この気持ちは楽しみではなく義務感だ。

書くのと同時進行の文章批判が筆を止めてしまう……。


駄目だ。今の僕たちには駄文しか生み出せない。
駄文製造機でいつづけるのは御免だ。ここらで何か手を打つべきだ。

そう決意した結果、僕たちは1ヵ月間の「小説書かないチャレンジ」を決行することにした。

小説書かないチャレンジ

このチャレンジは、2022年4月8日から4週間。
つまり2022年5月6日まで行った。

期間中に行うと決めたことは3つ。

  • (気分が乗るまで)小説は書かない

  • 本、特に小説をたくさん読む

  • 毎日ヨガをする

ひとつずつ解説する。

小説を書かない

「書く」ことを一旦やめるのは、高校受験に集中するため、一切の趣味を己に禁じた時以来である。実に10年ぶりだ。

あの時は息抜きの手段が何もなかったため精神を病みそうになったが、今回はさてどうなるのか。

とはいえ、今回の目的は「書けるようになること」であるため、自然と書きたい気持ちが湧いてきたら、期間が満了している/いないに関わらず原稿に向かって良いこととした。

自然な気持ちまで押さえつけてはチャレンジの意味がなくなる。


人生の時間は有限だ。
これまでは、貴重な時間をアウトプットに費やしたくて、「読む」ことより「書く」ことに重きを置いてきた。

今回それでは上手くいかなくなったので、一旦「書く」ことを休んでみる。

代わりにたくさん「読む」方をやろうということで、2つ目の項目に繋がる。

本、特に小説をたくさん読む

小学生の時、圧倒的な作品を読むたびに創作意欲が刺激された。

「自分もこんなすごい話を書いてみたい!」

触発されてペンを握るとしかし、すぐに気づいてしまう。

「あれ、この設定、世界観……読み終わったばかりのあの本とほとんど一緒だ……」

僕たちは直近の本からの影響を受けすぎていたのだ。


今なら分かるが、これは圧倒的に読書量の不足である。
読んだことのある物語が少ないから、アイデアの引き出しも必然的に少ない。
だから、作風や世界観が似てしまう。似たものしか出してくることができない。


だが当時の僕たちはそれに気づくことができず、「じゃあ、読まなければいいのか」という方面の理解をしてしまった。

結果、これまで他の書き手より(おそらく)少ない読書量でここまできた。

代わりに読んでいたのは新書・ビジネス書・実用書・専門書の類。
物語のストックを増やす代わりに、知識を増やしてリアリティのある世界観の構築を試みていたのだ。

しかし、漫画家志望の人間はたくさん漫画を読むべきであるように、物書きを目指すならたくさん物語をよむ必要があるらしい。

遅ればせながらそれに気づき、このチャレンジ期間を利用してとにかく読みまくることにした。

作家志望の人間に、先輩作家からよくなされる「たくさん小説を読みましょう」はどうやら真実である。

毎日ヨガをする

小説が書けない原因のひとつに、トラウマによって発生する「解離」が関係していることに気づいた。

原稿に向き合うと、とにかく眠くなることがあるのだ。

解離による眠気は寝不足ではなく、意識をシャットダウンし、潜在的に感じている心身の危険から身を守ろうとするために起きる反応である。

確かに僕たちは寝不足ではない時にも眠気を感じたし、執筆を諦めてほかのことを始めると、眠気は嘘のように消失したりした。

具体的に「何」なのかは分からないが、「書くこと」には身を守らねばと思わせるような危険があるらしい。


解離が発生すると、過去の嫌な出来事を追体験してしまう「フラッシュバック」が起きやすくなり、肉体の感覚は薄くなる。

逆に言えば肉体の感覚に集中しやすくなれば、解離の症状が出にくくなるのではないだろうか。
と、僕はそんなふうに考えた。

そこでチャレンジの内容に加えたのがヨガである。

もともと肩こりがひどい時など、YouTubeで見つけた動画に合わせてヨガをやっていた。
これまでは気が向いた時だけぽつぽつやっていたヨガを、いっそのこと毎日の習慣にしてしまおう。きっと体にも良いはずだ。

そういうわけでチャレンジの目標に加わった。

書くためにやったこと、やめたことと発見

では、以上のチャレンジをやってみて、僕たちはどう変わったのか。

期間中の発見、成果、それらを受けて始めたことややめたことなどをまとめていく。

執筆スタイルを見直した

チャレンジを始めてから思い出したことがある。
僕たちが物語を書きはじめた頃、「今のような」書き方はしていなかったと。

より具体的に言えば書き方というより「執筆にどんな道具を使うか」という話だ。

高校生ぐらいの頃から僕たちは、広告の裏紙を原稿用紙代わりにしてきた。
執筆に使うのは、執筆専用の万年筆。
左利き書くと、手でこすってインクが滲んでしまうため、裏紙に縦書きで書いていく。

これが、約6年間のスタイル。

思い出したのは、それよりもっと前のこと。
6~10歳ごろまでのやり方だ。

その頃僕たちは、横書きのノートに物語を書いていた。
使っていたのは、友だちからお土産でもらったボールペン。インクがなくなれば新しいものに持ち替え、書き心地は都度変わる。あまり気にしていなかったけれど。

ノートにはいくつかデメリットがあった。
ページを入れ替えたり、途中に追加することができない。
話の途中で1冊書ききれば、別の冊子に移らなければならない。

裏紙はそれらのデメリットを飛び越える便利なツールだったのだ。


しかし裏紙にもデメリットはあった。

真っ白な紙面を見ると、僕の頭も真っ白になってしまう。

これはパソコンでWordを開いた時にも起きる現象だ。紙や画面の白さにつられるように、僕が今何を書こうとしていたのかが消えてしまう。

かつては横書きだったことを思い出してから、裏紙に書くことを改めて考えると……。こだわる必要のない執筆スタイルに思えてきてしまった。

そこで、裏紙への執筆はその日を境に終了。
代わりに、ちょうどよく存在を知った「レポート用紙」なるものを使うことにした。

ボールペンでも万年筆でも書けるし、罫線が引いてあるからまったくの白紙ではない。
横書きだし、インクもあまり滲まない。

裏紙と同じように、クリアファイルにまとめて保管することができる。
後から間にシーンやエピソードを追加したくなったら、物理的に原稿用紙を並べ替えることもできる。

かくして僕たちは「頭真っ白地獄」から脱却できそうである。

カウンセリングを受けた

これまでは「セルフカウンセリング」とでも言えば良いのだろうか、人に話すことが苦手なので、自己内省自己完結をずっとやってきた。

……が、「書く」ことに関してはそのやり方に限界を感じたので、いよいよカウンセリングに頼ってみることにした。

誘導瞑想的なボディーワークを受け、「嫌な人の顔を思い浮かべた時に、体の一部に力が入らなくなる」=解離の感覚を実感。

同時にそこから戻ってくる方法も少し知ることができ、以来かなり元気な状態を保てている。

「読む」と「書く」は呼吸である

持てる時間の多くを「読む」ことに費やした結果、「読む」と「書く」は表裏一体。呼吸のようにワンセットであるという知見を得た。

書くことを休んで読んでいるだけなのに、チャレンジ3日目くらいから湧いてくる新作のアイデア。

僕はアイデアをそれぞれメモに書き残してとっておくが、久しぶりに3つも増えた。それも一気に。

中には、読んだひとつの話題から派生して生まれたアイデアもあり、非常に生産効率の良い状態が発生している。

もちろん、毎度毎度「ひとつ読んだら、〇個思いつく」わけではないだろうが、読むことの重要性を認識するには充分すぎる結果だ。

「書く」ことと「生きる」こと

書くのをやめ、再び書きはじめてから気づいた。

どうやら小説を書くことに関わっているパーツが何人かいるらしい。

そして彼らは、僕よりとても幼いようだ。


原稿に向かっていると、時折感覚や認識が大きく退行する感覚に陥ることがある。
探ってみれば、どうやら7歳とかそれくらい。

7歳の頃……思い当たることがありすぎる。
種々のトラウマが増え始めた時期だ。

退行した感覚では、身の周りが危険に溢れているような気がしてくる。
そうして強烈な眠気が起き、とても書き続けていられなくなる。
筆を置く。

そのサイクルが繰り返されていたことに気づいた。

当時の僕たちにとって「読む」ことと「書く」ことは、精神的生存に大きく貢献する重要な行動だったらしい。

思い通りにならない現実と、作者の思い通りに動かせる物語の世界。
大抵はハッピーエンドに繋がる、現実とはまったく異なる本の世界。

そこに逃げ込み、不全感を短時間でも紛らわすことで、なんとか精神を保っていたのかもしれない。
つまり7歳のパーツが「書く」ということは、身の回りにある逃れられない危険から逃れようとする行動だったのだ。

書くことは危険と隣り合わせている。
感覚が退行した状態だとそのように感じられ、さらに身を守る手段として眠気を使っていると考えられる。


彼らにはまだ名前がない。
というより、満足のいくほど話せていない。
声はなく、話しかけるとスッと離れて表から消えてしまう。

だからまだ満足な対話も情報共有もできていないのだが、これまでの知識を総動員し、心理的安全が保障できれば安心してもられそうだとは思っている。

1ヵ月で得たものと続けたいこと

前回の「夕飯作らないチャレンジ」は、1ヵ月程度で大きな進歩を僕たちに与えてくれた。

だからこそ今回の「小説書かないチャレンジ」の期間も1ヵ月に設定したのだ。……が、僕たちの読書スタイルでは、僕が想定していたほど大量の本を読むことはできなかった。

読書はもっと時間がかかる、密度のある行いであるらしい。

また書いているパーツの問題は、たったの1ヵ月ではあまり改善しなかった。
成果といえばカウンセリングのおかげで身体感覚がしっかりしたので、出てくる必要が少なくなったくらいか。

まだ調子が悪ければ眠くなるし、書けない日も多い。こういう日をこれからできるだけ減らしていきたいと思う。


パーツの安定が実現して初めて、今回得たたくさんの手応えと学びが本当に活きてくると思っている。




直也 , Jessie

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