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私の母は教育ママだった?

約1ヵ月前になるが、子供時代は、習い事に振り回されたという内容の記事を書いた。 

私の母は、自身は勉強したかったのに、諸事情で進学させてもらえなかったという悔しさが残り、子供への教育熱は半端なかった。「勉強しなさい」が口癖で、家計がひっ迫していても、私や姉には塾や習い事に通わせた。
 
小学生の時から、通知表を渡される日はわざと遠回りして帰るなど、足取りは毎回重たかった。怒られることはなくても、母親の失望する顔が目に見えていたからだ。成績優秀な姉とはいつも比較されていた。
 
無事に通知表の報告が完了した後は、反省のアピールを込めて、「図書館に勉強しに行く」というのが終業式の日の恒例行事だった。 

その後、アメリカに留学し、中国人、韓国人、インド人(留学生だけでなく、アジア系アメリカ人も)とつるむことが多かったのだが、成績が優秀な学生が多かった。彼らは努力を全く苦にせず、ずっと図書館にこもって勉強する

もちろん、私も勉強はするが、彼らほどのストイックさはない。「今日は頭が痛いから」とか適当な言い訳をみつけては、息抜きの時間を作っていた(その結果はきちんと成績に反映されていたが)。
 
成績優秀なアジア系の学生は子供の時から、「勉強するという訓練」を受けていたのではないか、プレッシャーを感じながら生きてきたのではないか、と考えさせられた。
 
アジア人の親が教育熱心であるのは有名な話だ。アメリカの移民の第3世代とかになると、彼らの親は、すでに医者や教授などインテリ層として地位を確立しているケースが多い。
 
10年以上前に、中国系アメリカ人でイェール大学法学部教授のエイミー・チュア氏が、『タイガー・マザー』(Battle Hymn of the Tiger Mother)という本を出し、物議を醸した。自身の中国式子育て(友達と学校以外で遊ぶ、テレビをみたり、ゲームをする、A以外の成績をとる等すべて禁止)を綴った本だが、アジア人家庭の教育ぶりをみれば、そこまで驚く話ではない
 
私のイギリス人の英語講師は、「まだ子供の中国人の生徒がいるけれど、完璧なアクセントで英語を話し、毎回難しい議論をする」と言っていた。
 
そのような筋金入りの教育一家をみると、「うちの母は、寛容で優しい教育ママだったのではないか」とさえ思えてくる、笑。

何が正解なのかはわからないが、今は笑いながら、子供時代の勉強体験を語れるのだから、良い思い出だったのには違いない。
 
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