見出し画像

64.かさむ借金と完全移住の決意

移住して最初の3年間で、オンラインショップの開設や搾りたてオリーブオイル販売、おひとりさまツアーなど、日本にいたときは想像もしていなかった展開になりました。
傍から見ると楽しそうですし順調に行っているように見えますが、内情はまったく違ったのです。


かさむ借金生活

30代のときに購入した東京のマンションが、ここへ来て私の首を絞めることになります。
港区なので固定資産税は高いし、2室をシェアハウスとして貸していたのですが空きが出るようになってしまったのです。

一目ぼれして、あんなに気に入って購入したのに、なんで買ってしまったのだろうと自分を責める日々。
マンションさえ買っていなければイタリア生活も順調に行ったのに、とさえ思うようになりました。

ローンを組んでいる銀行にはマンションが第1抵当に入っています。
そのため、銀行残高がゼロになると自動的にマイナスになって、日々の生活費や返済ローンが引き落とされるようになっていました。

私は銀行残高を気にするタイプではありません。
督促状でも来ない限りマイナス残高になっているとは気づかず、ついにそれが100万円に届こうかという額になったとき自分のしている借金に驚くことになります。

ここからは一気に節約モードに入りました。
バールに行って80セントのカフェを飲むことすら躊躇してしまうような、比ゆ的に言えば日々のパンに困窮するような生活です。
旅行にも行けないし、ちょっといいワインを買ったり、外食に行ったりすることもできません。
新しいことをするための初期投資もできなくなってしまいました。

マンション売却して完全移住

私はイタリアにいるので、マンションのちょっとした管理、たとえば管理組合や修繕決議、火災報知機や上下水道の定期チェックなど、日々のメンテナンスは両親に頼んでいました。
一時帰国のたびに空き室募集やメンテナンスはしていたけれど、やはり私が東京にいないとダメなようです。
ついに70代も半ばに差し掛かっていた両親からも、このまま続けていくのは不安があると言われるようになります。

私がここまでムリをしてマンションを保有したままでいたのは、日本に戻りたくなったとき帰る場所がないことほどつらいことはない、そんなイタリア在住日本人が多くいる、という話を友人から聞いていたからです。

ブラッチャーノに移住して4、5年が経とうとしていました。

町にもなじんできたし、現地に友だちもできたし、何より快適で日本に帰りたいような気持ちになることは、それまで1度たりともありませんでした。
イタリア暮らしに苦労はつきもの、大変なことは多いけれど、それでも例えば10年後ぐらいに日本で暮らしている自分をイメージすることはできません。
このままイタリアに完全移住している将来なら、やすやすと思い浮かべることができるのに。

将来的に住まないのであれば保有していても仕方ない。
それより現状の借金生活から抜け出したい。

親からも自分で住む予定がないのであれば売却したほうが良いと言われましたし、何より私が移住した後に東京オリンピックの開催が決まったのです。
そのおかげで東京湾岸の物件が値上がりしてきていたのもあり、売るには良いタイミングかもしれないと売却を決めました。

不動産売却は離婚のように疲弊する

マンションの売却を通して不動産売買とは、結婚のようなものだと思いました。
買う時は惚れこんでウキウキしていて、書類やその他もろもろの面倒な手続きも苦になりません。
でも、売るときはその逆で気分も落ち込みますし、準備のための何もかもがメンドクサイ。
不動産会社(離婚弁護士)を決めることから販売金額(慰謝料)の決定まで、ものすごく迷いながらの作業となりました。

基本的に売却活動はイタリアからインターネットを通して行いました。
はじめのうちはいくつかの不動産会社で天秤にかけていましたが、最終的に1社に絞ります。
買い手が見つかると内覧してもらい金額の調整をする、という繰り返しです。

売却益で残ったローンを返済し、かつ税金も納めないといけないし、これまでの借金の清算もしないといけません。
一歩も譲ることのできない金額を決め、そこからはびた一文下げず強気な姿勢で挑んでいました。

しかし、その金額設定にはムリがあったようです。
不動産会社曰く、相場よりずいぶん高いのでもう少し下げたほうが良いとアドバイスされるのですが、そこを譲る気にはなれませんでした。

タロットのアドバイスで売り抜ける

そこで、いつもの占い師の友人に相談します。
その時は主にタロットで占ってくれました。
月ごとに1枚ずつカードを引いて売却に適した時期を教えてもらっていたので、内覧で気に入ったけれど金額を下げてくれ、というような場合もカードで売却に不向きなときと出ていたなら断る、といった具合です。

最初に売却を依頼してから5ヵ月ほど経ったころだったでしょうか。
不動産会社の担当が、別の不動産会社にいる彼の友人が転売目的での購入を希望していると言ってきたのです。
ただし、私の希望額から100万円だけ値引きしてほしいというものでした。
担当もこんなチャンスはもうめぐって来ないだろうからオファーを受けたほうが良いと言います。
私もこれが潮時かなと思ったものの、件の友人がまたタロットを引いてくれて、値引きせずに強気で行けというのです。

そこでお断りの返事をしたのですが……1週間後に値引きは不要となり私の言い値で買い取ってくれることになりました。
不動産会社の担当もまさかこんな展開になるとは思わなかったと驚いています。
こうして希望額でマンションを売り抜け、金銭的な問題はすべてクリアになったのです。

クリスマスにはベランダイルミネーションにツリーも飾って
首都高速サイドの窓はガラスタイルの羽目殺し
保有期間20年のうちしっかり住めたのは半分ぐらい

売却から半年ほどして、ふと気になってネット検索してみました。
すると、かつて海のイメージでデザインした面影はすっかり失われ、リッチな印象に内装リフォームされた部屋の写真数点と販売スペックが出てきたのです。
私の売却額からプラス2000万円で売り出されていたその部屋は、もうまるで別物件のようでした。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?