66.1400年前の家に住んでみた!
ブラッチャーノ旧市街を中心に10軒以上の内覧を重ね4ヵ月ほど経ったある日、ついに運命の物件にめぐり合うことになります。
しかし、その家には暖房設備が暖炉しかなかったのです。
旧市街に住んでみたい
せっかくイタリアにいるのだから、日本にはない古い石造りの家に住んでみたいと思っていました。
イタリアにはそうした家々のある旧市街と呼ばれるエリアがあります。
ブラッチャーノにもあって、そこは中世に起源をもつ歴史的なエリアです。
購入を視野に入れてさまざまな物件を見て、いろいろな人からアドバイスをもらいました。
そして、旧市街に住むのはなかなか大変だということを知ります。
たとえ購入したとしてもそのまま住めるような物件はマレで、なかには内装工事に何年も要することもあるとか。
そういえばイタリアではたまに「家1軒1ユーロで買えます」というニュースが出回るのですが、それは、メンテナンスの大変さから持っているより手放したほうが良いと判断した家主の物件で、シャレではなく実際に1ユーロなのです。
諸税はもちろん役所への手続きから嵩む一方の改築費用まですべては買ったほうの負担となります。
ありとあらゆる困難を乗り越えられたとしても最終的に住めるようになるまでに10年以上はかかるでしょうし、あるいは住めないという末路もあります。
いくら移住用の滞在許可証を取得するためとはいえ、さすがにいきなり買うのはリスクが高そうです。
友だちからも、まずは賃貸で住んでみて良ければ購入というふうにしたら?とアドバイスされました。
1400年前の物件
そんななか、ブラッチャーノ旧市街に知り合いが住んでいるという友だちから、その人の家の階下が貸し出されるらしい、という話を聞きつけます。
その家は不思議なつくりをしていました。
同じ建物の1階と2階とで家主が違うのです。
お城ができる前にすでにあった建物で、もともとは湖畔にあった教会がサラセン人の襲来を怖れ、高台のこの場所に移ってきたのが始まりだとか。
教会に付属させ修道士たちの住むところを増築していって現在の姿になったようです。
600年代に建てられたので、築1400年の物件ということになります。
南向きの建物で、小さいながらも広場に面していて旧市街の物件のわりに明るかったです。
日本風にいうと2LDK約60㎡で、間取りといい広さといい、ちょうど私が東京で住んでいたマンションと同じでした。
一人暮らしにはほど良いスペースです。
そして、もちろん都市ガスは通っていません。
当時住んでいた家がプロパンガスで不便だったので、家探しの条件に都市ガスのある家を挙げていました。
でも、歴史地区に住みたいならガスのことはあきらめようという境地に達します。
なにより1400年前のこの物件を妙に気に入ってしまったのです。
いつもの一目ぼれです。
でも、さすがに暖房設備が暖炉だけと言われ、あきらめようと思いました。冬はキッチンにある暖炉をつけて家中を暖めれば良いのだそうです。
なんせ1400年前の物件なので石の壁の厚さが1メートルもあり、ひとたび室内を温かな空気で満たせば、保温性に優れているから問題ないと大家さんは言うのですが。
暖炉のある暮らし
中世ならいざ知らず、そんな暮らしができるものなのでしょうか。
そういえば、ローマ貴族に嫁いだ学校の先生はルネッサンス時代の家に住んでいて暖炉のある暮らしをしていました。
さっそく暖炉について聞いてみたところ、先生曰く、暖炉は火の管理がとにかく大変ということでした。
たとえば集中して本を読んだり、絵を描いたりできない。
それは、火が消えてしまったら再び点けるのが大変だから。
さらに、とにかく掃除が大変で、毎日大量の灰が出るのでそれを掃きだしてきれいにするのも手間だということ。
昔は火の番をする専用の使用人がいたから、暖炉だけで大丈夫だったのだそうです。
今の時代はそうもいかず、暖炉しかない家に、しかもひとりで住むなんて冬が大変よ~!と言われました。
それでも、ひとたび憧れてしまった暖炉のある暮らしをあきらめることができません。
そこで、大家さんにペレットストーブをつけてくれるなら住んでもいいと言ったところ……最初は渋っていたのに取り付けてくれて、晴れて1400年前の家の住人となることになりました。
インターネットのない暮らし
この家には多くの思い出があり、結局2年ほどしか住まなかったのですがネタに尽きません。
大家さん、というかそもそもの持ち主はブラッチャーノで古くから商売をしている家の娘なのですが、その夫がものすごく面白い人だったのです。
彼の巻き起こす数々の問題は、たぶんふつうの日本人なら精神的に参ってしまう出来事でしょうが、私はネタになると思いせっせと書き溜めていました。
いつかスピンオフで書きたい……イタリア暮らしはネタの宝庫です。
さて、1400年前の家での暮らしは、事前に多くの人からアドバイスを受けていた通り本当に不便でした。
とくに思いもよらなかったのはインターネットがつながらないこと。
石壁が厚いからか、町全体の道が細いせいか、ネット、電話、テレビなど電波関係のつながりが悪かったです。
窓辺にルーターを置けば良いと携帯ショップの人からアドバイスを受けたものの、部屋を仕切る壁も厚いので室内でもネットが遮断されてしまいます。
この家に住んでいるときは、よく近所のバールへ行ってネットをつないでいました。
そんな不便さの反面、何もかもが新鮮で不思議で、連綿と受け継がれ現在に残るイタリア的なものの数々はこうした暮らしを経ることで必然的に生み出されたものなのだなぁと、身をもって実感することができました。
これが1400年前の家に住んだもっとも大きな収穫です。
とくに暖炉料理の体験は、イタリア料理の源流を知るうえで大いに役立ちました。
寝るときに暖炉の火を落としても灰の下には熾火が眠っています。
その上にたとえばラグーのお鍋を乗せて放置しておくだけで翌朝には焦げることもなく素晴らしいソースになるなんて、まったく知りませんでした。
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