21.東京で料理教室を始めたけれど
留学を終え、予定していた両親の家ではなく港区海岸のマンションの部屋に戻ってきました。
お気に入りの場所で自由気ままな一人暮らしが出来るのは良かったのですけど……。
私にはできることが少ない
最初のうちはイタリア気分も抜けず、まだ貯金も残っていたし、わりと楽観的でした。
働いていた時はマンションには寝に帰るだけだったので、お気に入り空間ではじめて生活らしい生活ができて、それがとても新鮮で楽しかったのです。
ただ、今後の仕事についてはまったくの白紙、なんのプランもありません。
まぁ、そこまで先のことを考えて行動するタイプなら、そもそもローンを抱えたまま会社を辞めてイタリアに行ったりしない、ということなのですけど。
それにしても会社を辞めたらタダの人、私にはできることがあまりに少ないことに改めて気づかされました。
頼みのイタリア語は中途半端な実力しかないし、そもそも語学を生かしての仕事なら英語なんですよね。
すぐお金になるような技術が何もないことを痛感して途方に暮れていたら、ある知人から声がかかりました。
お金にならない仕事
当時の私にあったのは人脈だけだったと言えるでしょう。
イタリア語も少しはできるようになっていたし、スローフードの知識もあるしで、そっち方面の知人から仕事の話が来たのです。
広告の仕事というのは実は打ち合わせの連続というのをご存じですか?
まずクライアントと打ち合わせして希望や予算を聞き出します。
いったん会社に持ち帰り上司と情報共有のための打ち合わせ。
具体的にどうするのかを社内の各部署と打ち合わせ。
外注するなら社外クリエイターと打ち合わせ。
メディアに載せるならメディア各社と打ち合わせ。
印刷物なら印刷会社と打ち合わせ。
インセンティブなら各種メーカーと打ち合わせ。
行政関連の認可が必要なら役所へ出向くし、私の中で一番ハードだったのは某漁協との打ち合わせですごく怖かったです。
これらの打ち合わせのすき間にクライアントや上司と進捗状況の打ち合わせをするとか、とにかく打ち合わせで1日が終わり、それが落ち着く20時ごろからやっとデスクワーク。
企画書とか伝票処理とかメール返信とか……とにかくイスに座ってやる仕事です。
そしてこの段階ではまったくお金になっていません。
まだ何も出来上がっていないので、クライアントからお金をもらえないのです。
会社員ならぜんぜん大丈夫なのですけどフリーとなると時間だけが費やされ一銭にもならない、という生産性ゼロな状況です。
この時も打ち合わせのみで時間が過ぎていき、お金になるのは1年後ぐらいのこととなります。
当然、この時点ではそのことを知る由もなく、途中でこれはすぐにはお金にならないなと気づき、とりあえず稼げる何かをしなくてはいけないことになりました。
料理教室を始める
子どものころから料理が好きでした。
なぜそちらの道へ進まなかったのか今でも不思議ですが、そういうのが許される家庭環境ではなかったので仕方ありません。
北イタリアのブラ、南イタリアのタオルミーナ。
2つの町で食材に触れイタリア人との交流でさまざまなレシピを教えてもらいました。
何よりイタリア語ができるようになったので、雑誌やネットに出ているレシピも使えます。
さらに、マンションはキッチンカウンターを挟んでリビングダイニングという間取りで料理教室におあつらえ向きな配置。
オーブンは引っ越し当初からガス仕様に変更してあって、イタリア料理を作る環境としても完ぺき。
それで、そうだ!自宅でイタリア料理教室をしよう!と思いついたのです。
どんなふうに教えるのか企画を練って、ホームページを作って、プロモーションで全く知らない人に来てもらってお試し料理教室に参加してもらったり。
これで生徒が来れば日銭が稼げる環境は整いました。
しかし、この料理教室もまた、ローンに充てるだけの利益を生み出してはくれなかったのです。
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