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この世界の本当のこと/エッセー


 ある平日朝9時10分くらい、ふとベランダに出ると太陽がまぶしかった。目を細めて自然と影が差す場所を探す。目の前にある木は、とても高くみえた。いつもこの同じ木を見てなにも感じなかったけど、その存在はいつも確かで、いつ見てもそこにただ大きかった。

 「美しい世界」なんてよく聞く言葉でしか目の前の感動を表現できない自分に残念な気持ちになる。美しいと感じたのは本当、そしてそれが世界だと感じたのも本当だ。目の前の木は見上げるほどに大きく、鳥が羽をつけるみたいにたくさんの葉っぱを疲れるくらいつけていた。全体はひとつになって風で揺れ、揺れながら、シンフォニーフォール自慢の音響でさえ表現できない音をなびかせる。葉のすきまから太陽はもれる。ぽたぽたと、光の穴をつくるために。

 木がただそこにあるというだけで、なにひとつ新しく変わることはないだろう。明日も、今日も、今も。ただ心だけはちゃんと、気づけるようにしてあげたい。夏の朝、公園で遊ぶハクセキレイの姿に心が躍ることに。色を変え葉をぬぎ捨てる木々。巨大な葉っぱが足元にあると、いつも見てしまう。ときどき裏が真っ白だったり、真っ黒だったりもする。ぱりぱりと踏んでしまう枝が落ちてても、循環するから問題なかった。芽吹く木々。観葉植物を置かなくたって、世界は植物だらけだ。寒い冬と重い雪を越えて美しくさらにふさふさと、緑の葉と花を咲かせるなんて本当にすごい生命力。(公園ですら!)

 こんなふうに、ぜったいに地獄と思えない世界をみているとそう感じる気持ちを忘れたくなくなってしまう。忙しさに追われていると、青い空をみても心は沈んだまま、いる場所が見捨てられた牢獄のように感じることがある。どうしても、あの木、のことなんて思い出せない。コンクリートに囲まれているとなおさらそう。そんなときには地獄を感じるのだ。そのあと美しい景色をみては、意識が地獄へ旅立っていただけなんだな、とくやしく悲しいきもちになる。だけど心だけは、留めておきたい、この世界の本当の姿に。それはまるで地球のひみつ。知っているのは忘れたがらない私たちだけなのだから。

エッセー:この世界の本当のこと
isshi@エッセー

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