いろうた

公立中学校の教員。好きなこと、10年ちょっと働いて思うこと、時に日常を発信しています。

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最近の記事

好きこそものの上手なれ

始まり きっかけは、勤務校でマスコットキャラクターが誕生したこと。そして、目の前にあったアヒルの爪楊枝入れを見ているうちに、 「あっ、このフォルムで作れそう…」 と思ったこと。 この2つのきっかけで、創作熱が再燃した。デザインを描く。色みを考える。ただひたすらに針を刺す。形を整える。どうすれば思い描いた形になるかを考える。そして、ひたすらに針を刺す。 コロナ禍がきっかけでハマった羊毛フェルトという趣味が、周囲に発覚して2ヶ月経つ頃には、皆の癒しを生み出すことになってい

    • 身体のことから働き方を見つめ直したら、今よりちょっといい働き方ができるかもと思えた話・その後

      今から話すのは、この話のその後。 3月。次年度の校内人事を確定し始める頃の打ち合わせで、次のような話があった。 「自身の健康面や家族のことで何かある場合、今週中に自分から言いに来れば加味する。」 一度話したけれど、改めて正式に話そうと思い、校長室に行った。 服薬の関係で、空き時間を調整してほしいというお願いは、「それなら出来る」とあっさり交渉が成立した。教務に必ず伝え、時間割編成の最優先事項にする。日課変更時はうまいこと調整してと言われたが、理想の空けて欲しい時間まで聞い

      • 身体のことから働き方を見つめ直したら、今よりちょっといい働き方ができるかもと思えた話

        私にとって2022年の最大の出来事は、異動…のハズだ。だけど、異動して9ヶ月。異動したという事実自体が、本人も周りもとうに薄れてしまっている。 この1年は、管理職(上司)との対話がこれまでで一番多かったような気がする。キャリアの話は考えさせられたし、今も悩んでいる。だけど、一番気付かさせられたのは、身体と働き方について。身体と心の負担を減らして働くには…?トライアンドエラーの真っ只中で、気付いたこと・学んだことを書いてみようと思う。 ※あくまでも私の経験から感じていることな

        • 好きなことを仕事にできる尊さ

           原田マハさんの『旅屋おかえり』を読んでで書いたが、私にとっての「働く」ことに繋がっている。 「旅が好き」  好きなことを好きだと言えるのは、とても尊いことである。どんな相手であっても、好きだと言えるということは、そのものに対して誇りを持っているからだと思う。  主人公の「おかえり」こと丘えりかは、ひょんなことから今までにない仕事を始める。その仕事とは、旅代行。依頼した人の代わりに依頼された場所を旅するというものだ。現代で「代行」と言えば、運転や家事は勿論のことだが、最近

        好きこそものの上手なれ

        • 身体のことから働き方を見つめ直したら、今よりちょっといい働き方ができるかもと思えた話・その後

        • 身体のことから働き方を見つめ直したら、今よりちょっといい働き方ができるかもと思えた話

        • 好きなことを仕事にできる尊さ

          人生の選択にもがいている時に刺さった“じぞ恋”

          「女性の社会進出」この現実にモヤモヤしている。というのも、人生の選択を迫られるのが時間の問題である気がしているからだ。生きづらい…そんな思いが消えずにいる。 ロールモデルがない(少ない)地域や各校の職員の男女比で変わる可能性はあるが、中学校教員は基本的に男社会で縦社会である。おまけに革新的ではなく、保守的である。 学校規模にもよるが、同じ学年に同年代で男の先生がいれば、大きな仕事(校外学習や宿泊、生徒会担当など)は、先々を考えて男の先生が任される現実に何度も直面してきた。“

          人生の選択にもがいている時に刺さった“じぞ恋”

          知らず知らず学んでいたこと

          「いろうたの無駄遣い」 今年になってから何度も言われる、この言葉。そう言ってもらえるようになったことが素直に嬉しいが、何故言われるのだろう? 現在の学校が3校目だが、これまでの経歴は初任校が大規模校で、2校目は小規模校だ。初任校では確かに人がいる分だけ揉まれ、その経験があったからここまでやって来られたと思っていた。しかし、最近になって気が付いた。実は2校目の方がいろんなことを学んでいたということに。 ①比較するなら、過去の自分 「あぁ、このくらい出来るようになったんだな

          知らず知らず学んでいたこと

          教員不足が叫ばれているが

          イチ中学校教員として、働いていて感じていることを書いてみた。自治体によっても違うかも知れない。あくまで、私の現場での感覚だ。 いつ頃から感じている?一時的には7〜8年前、慢性的には正直3年くらい前、ちょうど団塊世代の大量退職を迎えた頃からだ。そして、そのピークの山は超えてしまった。同時に、新規採用の波も途絶え始めようとしている。(この辺りは自治体で違うと思う) どのような現象から感じるか①年度途中で休みに入ると、代わりは基本来ない 産休・療休…色々な形で予期せず休みに入

          教員不足が叫ばれているが

          当たり障りなくから、やってみたいへ

          今年度、6年間お世話になった前任校から異動した。あと1年いることは出来たが、所属学年やいろんなタイミングから「ここだ」と決断した。 決断するまでの葛藤や異動に至るまでの出来事を、自分なりの言葉でまとめてみようと思う。 迷ったけど、残留決意 一昨年の秋。いられる年数は最大であと残り2年。卒業生を出すし、ここを一つの区切りにしようかなとおぼろげに考え始めていた頃、校長室でこんな話になった。 「うちの学校何年になるんだっけ?」 「5年です」と返すと、次のように言われた。 「あと

          当たり障りなくから、やってみたいへ

          今年の本意

          明けましておめでとうございます。 書き初め。今思っていることを書いてみようと思う。 毎年大晦日が近づくと、「1年を振り返って」とノートに徒然書いている。もう10年近く続けているが、今回自分が新たな段階に差し掛かったと感じた。 特に仕事への考え方やウエイトが大きく変わっている。教員という仕事は、悩むことも落ち込むこともあるが、日々学びや発見があるし、時に大きな感動もある。仕事が嫌ではないし、モチベーションが大きく下がっている訳でない。しかし、今までと同じ熱量で仕事が出来てい

          今年の本意

          もっと、言って

          最近、周囲から言われ続ける一言だ。 言ったら言ったで色々言われることもあり、バランスが掴めないのだが、選択肢が増えたことは事実だ。 我慢すればいいこれが私の基本的なスタンスだった。起因は過去にあるが、話して何か言われるくらいならば、黙っていた方がいい。言われても困るだろうな。だから、黙っていよう。そうして溜め込み、我慢していることが多かった。 それは、体調に関することも同じだ。頭が痛い、お腹が痛い、足をひねった…等、誰にでもあることでさえ、周りに言うのは気が引けた。だから、

          もっと、言って

          2年前の出来事がきっかけの葛藤を上司に打ち明けた時の話

          私には、多嚢胞性卵巣症候群という病気がある。 排卵がしにくい。日常的に付きまとうのは、生理不順と不正出血。その症状が故、そして、過去数年間の治療が功を奏したのか、ある程度安定して生理が来ていたので、周りにもあまり話さずにいた。 2年前の出来事そんな私の身体が悲鳴を上げたのは、2年前。産休に入る先生の代わりが来ず、仕事量(授業6時間)が増えたことがきっかけだった。授業や担任業が増える他の先生は仕事量の調整(授業2時間増程度)があったのに、私は授業時間が増えるだけで、校務分掌も

          2年前の出来事がきっかけの葛藤を上司に打ち明けた時の話

          面食らった質問の答え

           2期制であるため、今が通知票の佳境である。通知票の所見は書き終えたら終了ではない。管理職点検が待っている。(実は、ここからが長かったりする。)管理職によって、これまでの経験や価値観が違うのは当然だが、文章の好みや重視するポイントも人それぞれ。管理職が変わる度に、従来特に指摘されなかった表現に修正が入ることもザラだ。  今年度教頭が変わり、最初の通知票点検が先日あった。学年の担任同士セットで来るように言われ、後輩と共に行ったが、冒頭聞かれた質問に面食らった。 「2人は何で

          面食らった質問の答え

          来年の手帳を買ったら

          ここ数年、手帳ジプシーだった。手帳は好きだし、書くことも好きだ。毎年この時期になると、(更に言えば4月始まりを含めると1〜2月も)どれにしようか、あれはどうだろうとワクワクする。しかし、どの手帳を手に取って書き出し始めても、しっくり来ない。気になるから買ったものの、書き方が定まらず真っ白のまま。そんな手帳が何冊もある。 そんな私に、どうも手帳ジプシーの終わりを告げようとする時が近付いている。何となく自分の中で腑に落ちる感覚が久しぶりにやって来たのだ。 今、私が手帳に求めて

          来年の手帳を買ったら

          言葉の壁を越えるには

          はぁ…。伝わらない。 中学校で国語を教えている、いち担任である。 私達の仕事は、目の前の生徒に悩むことが日常茶飯事である。それがやりがいであるのだが、時に大きな苦しみにもなる。 勤務校は、外国籍の生徒が少なくない。私の学級にも2人いる。これまでの教育歴、文化の違い、性格的なもの、何より言葉の壁…様々なバックボーンにより、本人達が言葉がわからないのと同様に、こちらも言いたいことを伝えられないもどかしさや対応の苦慮がある。生活言語は比較的短期で身につくが、学習言語は、生活言語の

          言葉の壁を越えるには

          マスコット制作記

          出会い昨年の夏。100円ショップで買い物をしている時に「面白そう」とキットを手に取ったことが始まりだった。それまで存在すら知らなかったのが、この羊毛フェルトだ。昨夏は全部キットもので、設計図があるものを7体くらい作った。そして、ゆくゆくは自分で好きなものを作りたいとフェルトのセットを買い集めていた。しかし、そのうち忙しさにかまけて全く手付かずになっていた。 再開夏休み。仕事柄、この1ヶ月くらいは比較的時間に余裕がある。そして、このご時世、出かけたりもしづらい。更に追い打ちを

          マスコット制作記

          名前にまつわるエピソード

          私の名前は、響きだけで言えば普通の名前である。しかし、漢字の使い方が現代ではそうでもないが、学生時代の頃は珍しく、正しく読んでもらえることがほとんどなかった。字画には拘らず、漢字の意味と響きによって名付けられた名前。挙げ句の果てには、苗字との字面も相まって性別も間違われることが多く、学生時代は自分の名前が好きになれなかった。 そんな私に、名前との新たな出会いがあったのは、2年前。当時の上司の話だった。自分の娘と同じ名前で同じ漢字を使っている人に初めて出会ったのが私だったとい

          名前にまつわるエピソード