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面食らった質問の答え

 2期制であるため、今が通知票の佳境である。通知票の所見は書き終えたら終了ではない。管理職点検が待っている。(実は、ここからが長かったりする。)管理職によって、これまでの経験や価値観が違うのは当然だが、文章の好みや重視するポイントも人それぞれ。管理職が変わる度に、従来特に指摘されなかった表現に修正が入ることもザラだ。

 今年度教頭が変わり、最初の通知票点検が先日あった。学年の担任同士セットで来るように言われ、後輩と共に行ったが、冒頭聞かれた質問に面食らった。

「2人は何で先生になろうと思ったの?」

 私が真っ先に浮かんだのは、「所見を読んで、冷たいと思ったんだろうな」だった。だから、志を聞いているのだろう。そう思った。
 だが、話していると何かが違う。その話から特に大きく派生することなく、所見の指導が入った。そして、一通り話が終わると、「生徒達に想いを伝えられる人達だと思っているから話をしている」そう言われた。
 10年ちょっと経験した私と、3年目の後輩。2人が並んで話を聞くと、その表情は違うらしい。「話していても、いろうた先生は俺の話していることに『あぁ、そうだなぁ』という表情で聞いている」ちょっとは見える景色が広がっているのだろうか。

 さて、この質問に対する答えを、あれからずっと考えている。10年も経つと、経験や世の中の変化によって、自分の思いや価値観、熱意も更新され、採用された当時と思っていることが変わっている。いや、寧ろ全く違う。だから、今この質問をされると、説明できる言葉を持ち合わせていない。これが答えになってしまう。けれども、子ども達に伝えたいこと、力を付けたいと思うことはある。

その答えとは

 情報が山ほど溢れている今、人(視点)によって、物事の切り取り方は変わる。誰の視点でどのように見えているか、切り取られているかを考える力、情報を吟味した上で伝える、発信する力を付けて欲しいと思う。これは、特に教科を通して伝えたいことだ。そして、私達は生活の中で悩み、迷う場面がたくさんある。これが正しいと言い切れないことも多い。しかも、目の前で接している相手、所属する集団によって反応や正解となるものがそれぞれ違ってくるから、尚更悩む。今は出来なくても、時と場に応じて、相手の気持ちを汲みながら判断や発言が出来る人になって欲しい。だからこそ、何が正しいかを教えたり、価値観を示したりすること(勿論時には必要だが)よりも、悩む姿を見せる。一緒に考える。時折アドバイスをする。考えられる道筋を整えることの方が大切だと感じるようになった。話に耳を傾け、生徒達の視野や世界を少しでも広げられるようにしていきたい。これが今、私の思っていることだ。

 もしも、次聞かれることがあったら答えよう。今はこう考えていると。

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