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言葉の壁を越えるには

はぁ…。伝わらない。
中学校で国語を教えている、いち担任である。
私達の仕事は、目の前の生徒に悩むことが日常茶飯事である。それがやりがいであるのだが、時に大きな苦しみにもなる。

勤務校は、外国籍の生徒が少なくない。私の学級にも2人いる。これまでの教育歴、文化の違い、性格的なもの、何より言葉の壁…様々なバックボーンにより、本人達が言葉がわからないのと同様に、こちらも言いたいことを伝えられないもどかしさや対応の苦慮がある。生活言語は比較的短期で身につくが、学習言語は、生活言語の何倍も獲得に時間がかかる。これが、学校生活を送ることを難しくする要因の1つである。
特に1人は、現地で日本の小学校3〜4年生相当までしか学校に行っていなく、来日してからも学校に通わず、中学校入学で日本の学校に初めて通っている。言葉はおろか、行動も年齢相応にならず、授業に入る先生達も困り、正直心ない言葉を私が言われたこともあった。周りの助けもなかなか得られず、解決策・改善策が見つからずにいた。

しかし、生徒達の様子や、日常のやり取りの中から出来ること、日本語や授業を理解できる手立てがあるとは思っていた。その手立ての一つが「翻訳」だ。日本語の横や下に英語で簡単に訳を書いておけば、指示を理解し、課題に取り組めていた。
そして、もう一つが「PC」だ。もう1人は、現地の友達との交流に日常的に使っているのだろう。PCを使いこなし、級友にも使い方を教えている。調べ学習でも、英語のサイトを見つけ、自分で翻訳をかけて必要なところを抜き出し、日本語でレポートを書いていた。
こうした日々の経験や見聞によって、方法次第で言葉の壁を低くすることができ、理解して取り組めるものが増えることに気付いた。必要に迫られた部分もあるが、これは紛れも無く、一人じゃ気付けなかったことである。目の前の生徒の実態があって、初めて気付いたことだ。

かくして、昨今のGIGAスクール構想により、夏休み中に1人1台Chromebookが完全導入された。休みが明けると、休校中はオンライン朝の会、再開後はハイブリッド授業(対面・オンライン同時進行)と、教育活動でPCを使う幅が急激に格段に広がった。
休校中に試行錯誤した結果、Google翻訳とその他を駆使することで、理解や(学習)活動の助けとなることができるとわかった。
まさに、「翻訳」✕「PC」の為せる技である。

言葉の壁の越え方は、コミュニケーションや語学学習だけではない。時には、テクノロジーの力も必要だ。そして、気づきを与えてくれる、人の存在も。

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