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知らず知らず学んでいたこと

「いろうたの無駄遣い」
今年になってから何度も言われる、この言葉。そう言ってもらえるようになったことが素直に嬉しいが、何故言われるのだろう?

現在の学校が3校目だが、これまでの経歴は初任校が大規模校で、2校目は小規模校だ。初任校では確かに人がいる分だけ揉まれ、その経験があったからここまでやって来られたと思っていた。しかし、最近になって気が付いた。実は2校目の方がいろんなことを学んでいたということに。

①比較するなら、過去の自分

「あぁ、このくらい出来るようになったんだな。」「割とすんなり出来るんだ」
特に教科・学級経営に対しては、そう思うようになった。
初任校の時は、常に誰かと比べていて、自分に自信が持てずにいた。しかし、教科指導については、なぜか初任の頃からあまり比べることなく、教材研究に没頭した。授業での生徒の反応、過去の教材研究や授業ノートから分析して、次の単元や授業を組み立てて、授業を行う。そして、(目の前にいる生徒は違うが)生徒の反応から手応えをつかむ。反応が悪ければ、つまずき所を考えて、修正する。その毎回の積み重ねが自信になることに2校目で確信を得た。他教科の授業をそれっぽく行うことも含め、腕が上がっていることを実感できた。勿論常に「より良い授業」を目指しているが、手応えが更に上を目指すモチベーションになっている。
学級経営も、昔はガチガチに枠にはめていたが、今は適度に力が抜けている。視野が広くなり、余計なことで小言を言う必要がなくなったのは、経験を積み、出来ることが増えたからだ。周りと比べる必要がない。そう思うと、その分気持ちも楽になっていた。

②言っておくと後々ラク

生徒指導のことでも、校務分掌のことでも、経緯や経過を話しておくとスムーズに進み、理解してもらえることが多い。そういう会話ができる関係性を、生徒とも教員とも作っていけるかが大事だと思う。それは、自分自身のことであっても同じだ。
私には元々婦人科系の持病があり、更に経過観察ではあるが甲状腺の病気も見つかった。若い頃は、婦人科系の病気だからなかなか周囲には言えず、特に管理職には恥ずかしくて言おうと思えなかった。仕事で悪くされる、使えないと思われるのでは…という思いがずっとあった。だから、体調の悪さもひたすら隠していた。
年齢が上がり抵抗感が薄れていったことで、少しずつだが相手を選んで言えるようになった。言って、悪くされた試しは今のところない。寧ろ、それとなく配慮してもらえることが増え、功績は功績として認められることが増えた。言うまでには物凄く勇気がいるし、葛藤の末に話しているので、ここまで受け入れてきてくれた多くの上司達に感謝である。

③後輩を育てる風土づくり〜いいことも悪いことも伝える、姿を見せる〜

毎年のように入ってくる新採の先生。初任校として頑張っている先生達。そうした先生達の面倒を見る機会がとても多かった。時に、同じくらいの経験年数や年齢の先生達と共に、ああでもないこうでもないと話しながら自分達が何をしていくか。後輩にどんな声かけをしていくかを相談しながらともに考えたひとときは、同じような経験年数や同年代が少ない環境になった今、何にも代えがたい時間だったと思う。
そして、私達のあくせくした姿も見せてきた。目の前の生徒達のためにあれこれ悩み、時に学年主任や管理職に指導されるところ…。それは、私が初任校で見てきた先輩達の姿だ。初任校でしてきてもらっていたから出来ると思っている。畏まったことをするのではなく、いろんなことを話す。後輩の話を聞く。時にバカ話をするといったコミュニケーションを取る中で、初めて伝えられる。この繰り返しで、話をしてもらえる間柄を築き、一緒に困りごとを考えるようにすることが後輩を育てる、同年代でも馴れ合いではなく、切磋琢磨しあえるのだと思う。

こうやって振り返ると、2校目の経験値は確かに私を引き上げてくれていた。たくさんの経験は、自分の中で色々な分野での軸ができ、考えや行動の起点になっている。「経験をちゃんと積み上げられるからスタートラインが違う。だから、経験をすれば差が付くし、伸びしろも大きい。」経験を積み上げる方法も、知らず知らずのうちに教えてもらっていた。今は畑違いの分野ばかりの校務分掌に追われる日々だが、きっと何かは得られるのだろうと思っている。





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