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好きなことを仕事にできる尊さ

 原田マハさんの『旅屋おかえり』を読んでで書いたが、私にとっての「働く」ことに繋がっている。

「旅が好き」
 好きなことを好きだと言えるのは、とても尊いことである。どんな相手であっても、好きだと言えるということは、そのものに対して誇りを持っているからだと思う。

 主人公の「おかえり」こと丘えりかは、ひょんなことから今までにない仕事を始める。その仕事とは、旅代行。依頼した人の代わりに依頼された場所を旅するというものだ。現代で「代行」と言えば、運転や家事は勿論のことだが、最近では退職もできる。けれども、旅の代行は聞いたことがないので、興味をそそられた。
 旅のエピソードも素敵だが、何よりもおかえりの仕事ぶりが素敵だと思った。好きなことを仕事にして、好きなことをしている間に周囲の人を笑顔にできる。そして、好きなことをすることで人の役に立てる。彼女にとって、旅には「働きがい」のすべてが詰まっている。そんな天職に巡り合えたことが奇跡であり、輝きを放っている。おかえりは「北風と太陽」の太陽のような存在である。近くにいるとまぶしいが、すべてを受け入れる温かさがある。だから、周囲の人達は彼女のことを応援するし、旅先や依頼主として、あるいは共に働く者として彼女と関わった人たちは、雪解けのように心の凝りを溶かしていくのだと思う。

 私にとって教員という仕事はどんな存在なのだろうかと、作品を通して考えた。世間で言われるブラックさは決して否定できないが、働いてきて、比較的好きなことや得意分野を生かしやすい職種ではあると思う。特に中学・高校であれば専門教科があり、場合によっては部活動でも専門性を発揮することができる。職員室を見渡せば、誰しもが何かしら、その道に長けたものを持っている。好きなこと、あるいは得意なことを仕事にできるのは、魅力の一つである。
 好きなものや得意なものは、決して最初から好きであったり、得意であった訳でもないと思う。私自身はそうだった。「好きこそものの上手なれ」であったり、必要に迫られて技術を身につけていった果てだったりということも多分にある。きっかけは色々だが、好きになってずっと続けていられるのは、そのものを通して、何かしらの発見や感動があり続けるからだと思う。

 おかえりは、旅を通して、美味しいものを食べる喜び、出会う人々との触れ合い、その人々の生きざまへの感動や追体験、時に自らの経験との結びつきでの発見があるから、また旅をしたいという気持ちが湧き上がる。元々旅好きだったのもあるかも知れないが、旅番組を行っていたことで、好きという気持ちが膨れ上がり、また味わいたい、何度でも味わいたいと旅へ足が向かうのだろう。さらに、旅を通して人々の思いに応え、貢献することができている。「人のため」というのも、大きな原動力になっている。

 おかえりにとっての旅と同じような存在。幾つもあるが、私にとっては特にバレーボールと毛筆(習字・書道)だ。バレーボールは、「好きこそものの上手なれ」だ。中学生の頃部活でやっていたが、人間関係の煩わしさや背の低さを理由に高校で続けたいと思わなかった。それが教員になって、部活動で携わるうちに、あるいはPTAバレーで自分自身が選手としてプレーするうちに、私の大切な居場所になっていた。一つひとつのプレーが出来るようになる喜び、試合に勝てた時の嬉しさ、負けた時の悔しさ。ミスをカバーし合って、繋いだボールで得点が獲れた時の喜びは格別である。自分がスパイクを決めた時よりも、トスアップしたボールを決めてもらえると何倍も嬉しい。今も、PTAバレーはお母さんたちとの人間関係がちょっと面倒だと思うこともあるが、それ以上の魅力があって続けている。
 毛筆は苦手だった。高校の書道の授業は、学校の書写の時間以外に習字を習ったことがない私にとって、周りが有段者ばかりで苦痛だった。あまりに退屈そうに書いている姿と私の筆使い(ほぐしきれない筆)を見かねて、「書きやすいから」と当時の書道の先生から筆をいただくほどだった。(ちなみに、この筆は今でも水黒板・朱墨用の筆として活躍している。)大学でも教員免許に必要だから書写の授業があったが、筆がうまく使えない。そんな私が年に数えるほどしかない毛筆の授業に向けて練習したり、「国語の先生だから書いて」と賞状の宛名書きをするうちに、書くコツがつかめてきた。片付けが面倒だから家で習字道具を広げようとは決して思わないが、筆を握っている時、一字一字と向き合っている時の凛とした雰囲気が好きである。そして、実は一番好きなのが賞状の宛名書きだ。誰かのために字を書き、表彰される喜びに陰ながら関われることが嬉しい。特に印象深いのは、3年間担任として学年で見てきた子どもたちの皆勤賞・精勤賞の賞状の筆耕だ。3年間の本人や家庭の努力、その子の3年間の成長を思いながら書く時間は、重みがありつつも充実したひと時だった。

 きっと好きなこと以外にも、様々な発見や学校行事の追体験、ちょっとした感動が原動力になり、絶えずあらゆることに発見と感動があるから続けられている。自己満足なところもあるかもしれないけれど、誰かの何かに貢献できている、それが私にとっての教員という仕事だと思った。学生生活の中で、一番中学校に息苦しさを感じていた私が中学校の教員として働いているのは皮肉なものだが、きっとおかえりと同じようなことを感じていると思う。好きなことを仕事にできることは尊いと。



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