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人生の選択にもがいている時に刺さった“じぞ恋”

「女性の社会進出」

この現実にモヤモヤしている。というのも、人生の選択を迫られるのが時間の問題である気がしているからだ。生きづらい…そんな思いが消えずにいる。

ロールモデルがない(少ない)

地域や各校の職員の男女比で変わる可能性はあるが、中学校教員は基本的に男社会で縦社会である。おまけに革新的ではなく、保守的である。
学校規模にもよるが、同じ学年に同年代で男の先生がいれば、大きな仕事(校外学習や宿泊、生徒会担当など)は、先々を考えて男の先生が任される現実に何度も直面してきた。“見えない壁”は、既に早々と存在している。
主任級の役職に就き、運営委員会(職員会議の議題を事前に議論する会議)に参加しても、紅一点になることは決して珍しいことではない。会議の場に同性のベテランの先生がいることもあるが、それも少数。(小学校だと女性教員の方が比率が高いので、多分違ってくると思う)そして、女性は時代の変化やライフイベントの影響をモロに受けるので、ベテランの先生方でも主任級のポジションに就くのは、多くの場合子育てが一段落してからだ。
中堅で担う事例に、私自身は出会ったことがない。道すじがなく、手探りの感じに不安と疲弊感が強い。「自分で自分の首を絞めている」と言われるが、ロールモデルが欲しいと思ってしまうのは、弱さなのだろうか。

結婚までは良いけれども、妊娠・出産が分かれ道

「子育てがあったら、管理職は無理」実際に言われた一言である。確かに今の自分の年齢を考えたら、納得はいく話である。
でも…ということは、仮にも結婚・妊娠・出産・育児と女性としての人生を送りつつ、管理職を目指す選択肢は、結婚・出産も計画的に行わないと無理なの?
だけど、経験年数が浅い頃にそんなことを考えている人は、どのくらいいるのだろう?出世欲が余程強い人でない限り、恐らく考えない。そして、自分達の上司を見ていると、管理職になりたいともなかなか思えない。そもそも、目の前の子ども達のことで手一杯である。経験年数が浅いうちに子育てとなれば、(中学校ならば)担任を持つことも難しく、キャリアも簡単には積めない。キャリアを積むのが後からになる。それ故に、結婚までは何とかなっても、妊娠・出産は分かれ道のように感じる。
妊娠・出産・育児にウェイトを置いた人生、女としての生き方よりも仕事に生きる人生、(自分の病気のことを含めても)正直どっちもピンと来ず、割り切れない。なのに、2択を迫られている感じがして息苦しい。

そんな私が、観ていた春ドラマの一つに『持続可能な恋ですか?』がある。このドラマのセリフで胸に刺さるものがあった。

「今のとこ、この国ではさ、女性の人生、良いとこ取りは難しいんだよ。全部選んで進むのは相当覚悟がないと。私にはできなかったから。」

『持続可能な恋ですか?』第8話より

本当にその通りだ。何かを選ぶということは、何かを捨てる(犠牲にする)ということ。人生の中でウェイトはきっとその都度変わっていくのに、常に選択を迫られている。タイミングが全てで、影響を受けるのは大抵女性。波にうまく乗れないのが原因だろうけど、何でこんなに生きづらいと感じる日々になるのだろう。

そして、もう一つじんときたのがこのセリフだ。

「今の気持ちが10年、20年、30年永遠に続くって信じて、こういうところで誓うって冷静に考えたらもう無茶な話で、結婚すること自体普通じゃない」

『持続可能な恋ですか?』最終回より

これって結婚だけでなく、仕事や家庭、介護など、人生のあらゆることに言えると思う。「定年まで続ける」と堅く誓っても、新しいことに興味を持ち、挑戦したいと思って転職したり、状況が変わって続けること自体が困難になって退職せざるを得なくなったり…そんなことも十分考えられる。変わらない何かはあっても、今の思いやウェイトと全く変わらない方が不自然である。

思いは変化して当たり前という認識で、変化に対して柔軟にアシストやサポートができる、それが「持続可能」なのでは…?だけど、今は価値観の移行期で選択肢だけが多様になっているだけで、変化を受け入れられる土壌はまだ無いような気がするし、自分自身にもあるとも思えない。

人生の選択に、答えが出ない。変えられるのは未来だけで、ここまでの人生を打ち消すこともできない。生きづらさを解消する新たな「カタチ」を見つけることが出来た時が、「自分なりの幸せ」と巡り合える時なのかも知れない。


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