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らぼライブ17

顔を合わせる人みんなを抱きしめたくなった1日が、酩酊の間に終わっていた。祭囃子がまだ耳に残る2日すぎた朝に、これを書いています。 * 4月。好きな人たちが出るライブをふらっと見に行ったら、まんまと心奪われ、ステージに恋をした。それはもう、青天の霹靂だった。こんな身近に魔法がかけられる場所があったなんて、とときめきが抑えられなくて、私も出たーいなんて呑気に憧れを募らせていた。言わば推しとされる人を見に来ていて、ハートを射抜かれてしまったのが事の始まりなんだけど。恋は稲妻、衝

    • 三寒四温

      「あなたが好き」を貰う度に、眠れなくなるほど嬉しいのに、同時に不安になってしまう。 いつか、私よりずっと素敵な人を見つけたら、私のことなんて忘れてしまうでしょ。遠くに行ってしまうでしょ。静かすぎる夜は余計に寂しくなって、余計なことばかり考えてしまうね。 私の何かを好いてくれている人、認めてくれている人、見ていてくれる人。1人残らず大切で、眠れない夜がありませんようにと毎日願ってるよ。あなたのことだよ。 そばにいてとは言わないけど、遠くに行かないでほしい。いやでもやっぱり

      • 春の朝

        すうっと風が胸に溶ける朝が、単純に心地いいと思えた。微睡む街を歩いて、飛行機雲をぼーっと眺めていた。 春の訪れにときめいている日々に浮かぶのは、大切な人たちのこと。 きれいなものを見て、きれいだと思えるのはほんとうに素敵。きれいだね、と見せたい人や話したい人が居るのはもっと素敵。 命絶つ日まで決めていたあの頃の私じゃ、きっとこんな朝をきれいと思えなかった。違うかも、きれいだから憎らしくて泣いていたのかも。おまけに春は、なんだか寂しくて勝手に苦しがっていたしな。 好きな

        • kleenvy

          バンド名を「kleenvy」にした。クローバーのkleeと、嫉妬のenvyを足してうまれた造語に。 * この四半世紀の人生は憧れを追い続けていた。あの人みたいになりたい、とかあるいは、あれが欲しいとか、そんな憧れたちを。私には秀でた才能はひとつも無くて、今でこそ褒めてもらえるようになった文章も歌もその他諸々も、全部誰かしらの真似事から出来たもの。言うなれば、パッチワークみたいな。時に立ち止まって、私らしさとはなんだと迷う。けれども、その度に、この継ぎ接ぎのからだが私らしさ

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        らぼライブ17

          妹と、Instagramでやり取りをすることが増えた。あの子はあたしと同じでアホだから、脈絡のないどうでもいい連絡を寄越してくる。小指がしもやけになっただの、彼氏の惚気だの、私が初任給で買った蟹で作った鍋が忘れられないだの。実家にふたりいた頃は、一触即発だったのに、目を合わせるだけで大喧嘩だったのに。3、4年会わないでいたら、今はいとしくてたまらない。なんて罪な女か。 少し昔の話をしよう。 今でこそ居場所が無いなんて、生きていく意味が無いなんて死にたいなんて言わないけれど

          長文ツイート

          ほんの一例。 「会える?」より「会いたい」の方が、言葉の裏側にある甘さが伝わる、気がする。 バイト先の店長が言っていた。 「映画というものは、監督の生き様そのものだから観ていて楽しいんだ」 あらゆるアーティストの曲もきっとそう。ラブソングひとつ取っても、好きの表現は違う。好きだよとストレートに書く人、好きを使わないで詩的に書く人、そしてまた音だって違う。 * まだ音のない曲を産み落としている。眠れなくて迎えた朝に書くのが、ルーティーン化しつつもある。 私は私のために音

          長文ツイート

          19:25

          電車に揺られている時が、最も自然な文章がうまれる時間だと思う。それと同等に、静かな海に浮かぶ時やだだっ広い川を見る時もそう。これは、私がすぐ眠りにつく条件と全く同じ。頭の中がいい具合にとろけるからだろうか。 2024年になって早々、災害が起こり、事故が起こり。私は私で義実家で高熱を出したり、実母からのコンタクトで乱れたり、踏んだり蹴ったり。おめでたい気分とは程遠い、鬱屈とした正月でなんのこっちゃといった感じ。大丈夫なのかい、今年は。 * 昔と言えどつい2、3年前は些細な

          四四七二

          また今年も、「今年が終わる」のだと思い馳せる。雪が舞う深夜、山の中の宿で重たい布団にくるまれながら。 終わってしまう、の方が近いかもしれない。けれども、やり残したことはあるか、と問われればこれと言って無い。そうじゃなくて、今年1年があまりに色とりどりすぎて、祭りみたいな年が「終わる」のが寂しい。何にしても、始まってしまえば終わることへの寂しさは、私の中で常に居座っているけれど、この丸々1年は特に寂しいかもしれない。 生きててよかった、と泣くのが、22年生きて一番多かったし

          四四七二

          2023年「は」

          腹の底がフワフワして、ふやけちゃう日。言葉にも成らず、泣くことしか出来ない日。御店が1歳を迎えた日。好きな人が増えた日。昨日、今日、明日。続く生活と音楽。絶え間ない夢。 今年が終わる。 2023年も、たくさんの人に歩かせてもらって、笑わせてもらった1年だった。一昨年や去年は、目を瞑って浮かんだのは、ひりつくようなことばかりだったから、今年はなんか、素直に心から笑えた年だったように思う。思える。 すれ違って、仲直りして、愛しく思う人、守りたい人が増えたね。守りたい場所も増

          2023年「は」

          8:22

          誰と誰が嫌い合ってて、誰と誰がギスってて、まあそれは仕方ないしぶっちゃけ関係ないけど、気にはなっちゃう人の性。歌うように日々を過ごせたら、それほど幸せなことは無いけれど、そう上手くはいかんです。 思い出す人達、がこれ以上増えないように。いくら大好きでも、垣間見える違和感には目を背けられなくて、ついムッとしてしまう。表に出すか出さないか、伝えるか伝えないかの違いだけで、みんなみんなそういうシーンはあると思います。時にぶつかることだってあるし、それはそれで仲直りして、ああ あな

          ラグトレイン

          寝過ごして始発を送り、朝10時前の電車に揺られた。偏頭痛と少しの二日酔い、喉の痛み、充電4%。バンドミュージックだけがせめてもの救いでいた。 目を、逸らせないでいた。発車して僅か、一軒家が近づいてくる。線路沿いにある家、電車が通れば揺れる家、バスケットゴールがある家。私の、実家だった家。 目を、逸らせないでいた。 乾ききったコンタクトでしっかり見据えた。焼き付けるように、燃やすように。いっそ燃えてしまえば、なんて。機嫌が悪いのは、気圧のせいじゃない。 皮肉を込めて、妬

          ラグトレイン

          続く山羊の宴

          元気度を1から10の段階で振り分けた時、一般の人の普通が5だとするなら、私は大概3から4を行き来している。自覚していないストレスを溜めやすいし、子どもくらい頻繁に熱が出る。それゆえに、予定が予定通りいかなくて、またそれで塞ぎ込んで、1日を寝潰す日も未だにあるしこれからもきっとある。そしてここに不安障害由来の発作が出ると、しばらく引きずる。スクリーンが広がっていくような感覚の後、指が痺れて、息が浅くなるあの数分は、何度経験しても慣れない。その場に、友達かだれか居て欲しいと思うけ

          続く山羊の宴

          冬暁

          雪虫が飛ぶ様に既視感を覚えた 記憶の各駅停車 地下鉄に乗り込むのと同時に、ああそうだ、と 思い出してしまった 伝えたいことはいつも、白息に変わる 泣いたあとの鼻がやけに赤いのを寒さのせいにして 三十六度がみぞれになっていく 二駅先にあるあなたの家は 私、もう忘れました 路地に入った所で煙を吐いてみる 喉が震えるのは、冷たい空気のせい 冷たい空気の、せい

          紫煙

          褒められてたい。人に囲まれてたい。歌っていたい。好きって言われたい。 人より倍の承認欲求があるけど、これは言い換えれば、寂しい心が生まれやすいのも人の倍。私はね。 満たされないし、満たされることは無い。だからどんなにこれから凄いヒトになったとしても、寂しいなって泣く日は無くならない。最近になって気づいた、私の原動力は寂しさゆえに、かも。 私は決して清廉潔白ではないし、勿論生きてれば嫌われる場面はある。だからその分、あなたが私のどこかを好いてくれて、一緒に遊んでくれること

          15分

          どんな顔して。 早くてだったか、このまま順当にいけばだったか、忘れたけれど、秋頃にだいすきな人がまた遠くへ行く。 今日も飲み会で会う、こないだも会った、店に行けばいつでも会える。がはがは笑うあの時間が愛しくてたまらなくて、たのしいなあとぼやく時、かならず「この時間ももうすぐ終わってしまう」と、誰にも共有しない心が実はある。 彼が遠くへ行ってしまうのを聞いた朝、家に帰るまでずっと泣いていた。朝日が憎らしくて、この街だけ時間が止まってしまえばいいのにとさえ思った。家に帰って

          冴えて

          出勤途中、必ず母校の前を通る。 何も思い出も友達も残らなかった高校生活だった。屋上に続く埃臭い階段は私の居場所で、壁の落書きを見ていた。教室に入れない時は、保健室か図書室が避難場所で、図書室の先生はいつもお茶を淹れてお菓子をくれた。色々あったよな、と数年前に思い馳せて、ふと記憶の中にいた人を思い出した。厳しくて怖くて、皆から嫌われていた先生のこと。私は、あの先生のことを嫌いだなんて思わなかった。いつも至極真っ当な話をしていたし、まあ言い方ってモンはあるわなと思いつつも、嫌