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冴えて

 出勤途中、必ず母校の前を通る。
 何も思い出も友達も残らなかった高校生活だった。屋上に続く埃臭い階段は私の居場所で、壁の落書きを見ていた。教室に入れない時は、保健室か図書室が避難場所で、図書室の先生はいつもお茶を淹れてお菓子をくれた。色々あったよな、と数年前に思い馳せて、ふと記憶の中にいた人を思い出した。厳しくて怖くて、皆から嫌われていた先生のこと。私は、あの先生のことを嫌いだなんて思わなかった。いつも至極真っ当な話をしていたし、まあ言い方ってモンはあるわなと思いつつも、嫌う理由は無かった。嫌いと苦手は似て非なるものだと気づいたのは、たぶんこの辺りから。そんで、嫌われている人のことが気になりがちなんだって自覚したのも、たぶんこの辺りから。

 嫌われている人。意地悪、見栄を張る、男好き女好き、口が悪い。要素はなんだっていいけど、どうしてその人が嫌われているのか、自分の心で照合したい。
 たとえば、男好きな女の子がいたとしよう。こんな子って、大半が親に愛されなかった子ばかりだと、私の中にデータがある。心の隙間を埋めたくて、自分を分かりやすく好いてくれる人をそばに置きたいのだと、解釈をしている。だから一概に、あの人は男好きだからねえ、と言うのも憚られるのだ。まあ例外はいるかもしれないけれど、それはさておき。
 何にでも言えるけど、結局物は言いようで、誰からも好かれる人はいない。私だって誰かしらに好かれているけれど、誰かしらには嫌われている。だから、生まれながらの悪者はいないの。誰かが、何かが、その子を悪者にしてしまっただけで。誰かが、何かが、その子を悪者にさせなかっただけで。その子が、そんな生き方じゃないと生きていけなかっただけで。

 ここは好き、ここは嫌い、ここは苦手。その塩梅が分かる人でありたいね。こんなこと言ってはいても、たまに間違うし、ぶつかる時だってある。人と人との関わりは難しくって、だからいとしくって、ひとりになろうとするのはやめた。ひとりは怖いから。せめて、手が届く距離にいる子達は、ひとりにさせないからね。ひとりにさせないから、ひとりにしないでね。おやすみまたあした。