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続く山羊の宴

元気度を1から10の段階で振り分けた時、一般の人の普通が5だとするなら、私は大概3から4を行き来している。自覚していないストレスを溜めやすいし、子どもくらい頻繁に熱が出る。それゆえに、予定が予定通りいかなくて、またそれで塞ぎ込んで、1日を寝潰す日も未だにあるしこれからもきっとある。そしてここに不安障害由来の発作が出ると、しばらく引きずる。スクリーンが広がっていくような感覚の後、指が痺れて、息が浅くなるあの数分は、何度経験しても慣れない。その場に、友達かだれか居て欲しいと思うけれど、そういう時に限って誰もいない。

でもね、私は私を可哀想だとは思わないし、周りの人に立たせてもらっているし、凄まじく恵まれているけれど。けれど、普通だとされていることが普通に出来ないし、出来ないことに甘えたくなくて変な意地を張る。ウイスキーボトル片手にべろべろ酔っ払っている私でも、毎日大なり小なりこういうことで考え事をして、沈む時間がある。プラスで、過去のトラウマを掘り返しちゃう、とか。要は、不安と負担と不満がいつも心のどこかしらを引っ掻き回しているのです、こう見えて。


「待って」なんか言える訳も無くて
自分の犯してしまった罪で息さえもままならず
苦しくて 苦しくて、悔しくて、
それでも生きてしまうのだ
Chevon∕セメテモノダンス


あなたと話がしたいんだ
細く枯れた喉の発した声に
真っ先に気付いてあげられるように

深い闇に放り出されて どうしようもなくなって
もう、自分を傷つけるしかないなんて、
そんなの、おかしいよ
Chevon∕薄明光線

こんな心の内だからこそ、Chevonというバンドは、私を私でいさせてくれる。誰かしらに何かしらに、傷付いて傷付けられて、時に傷付けた人にしか書けない歌詞。海を渡って電波を超えて、彼らの歌が彼の歌が、がんばれなくなる私に届いたことは、ナニモノにも替え難いすてきなこと。私からまた周りの人へ、音楽が繋がっていく、線になっていく。私もまた、彼から歌い方を学んで。Chevonがこれからどこに向かっても、私は私を助けてくれた煌めきを、忘れないからね。

12月の大阪公演で、初めて音を生で浴びる。音を聴くのも勿論だけど、歌っている人の、奏でる人の表情や指の嫋やかさ、汗、つま先を見るのが好き。きちんと、泣いて目を瞑らないで、焼き付けたいね。楽しみだね。あと、もしメンバーが物販に並ぶなら、見せたいものがある。当日までSNSにもどこにも上げないものを。あとは、あとは。あとは、で巡りながら思い出したけど、オオノさんが味噌汁ツイートに反応してくれました。いく、を真に受けていいのかどうなのかはさておき、また夢が出来ちゃった。うちはライブハウスでもあるから、いつか、ライブしに来てくださるといいな。真面目な話、バックの条件ゴリ良いし。えへ。

恋に似た気持ちを引っさげて、今年下半期も程よく走ります。ライブがあと3件、11月は店の周年、気合い入れていきましょー。