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久住昌之さんのパーティーでハプニング
長いつきあいになる漫画家でミュージシャンの久住昌之さんから、先週メールが届いたんですよ。
昨年暮れに、中野の「てら」という小さな居酒屋の店内に壁画を描いてほしいと依頼され、壁いっぱいの絵を描いたのだそうです。ところがいろいろ事情があり、残念ながら閉店。店は人手に渡ってしまい、せっかく描いた絵はほとんど誰にも見られぬまま、今月14日に壁ごと取り壊されることになったというのです。
そこで、壊される
DJ前にすごい体験をした
DJの日は家を出る前にばたついて時間がなくなり、慌てて駅前からタクシーに乗ってしまうことがあるんですよ。
前回、9月のイベント時もそうでした。
しかも、そのときは事件が起きましてね。
カーナビに住所を入れてもらい、「下北沢駅の近くです」と伝えているにもかかわらず、坂上二郎似の運転手さんが「下北沢ってことは環八だね」と左に行こうとするんですよ。
だから、「いや逆です。環七です。カーナビのとおり
本日は下北沢「メンフィス兄弟。」で「Juicy」
本日11月4日(土)は18:00から、下北沢「メンフィス兄弟。」で僕のイヴェント「Juicy」があります。驚くべきことに、今回で11年目。あっという間だぜ。
そもそも「Juicy」は1994年にスタートし、渋谷「オルガンバー」「The Room」、三宿「Web」などでのレギュラーを経て2000年代初頭に一度終わってるんですよ。いろいろ思うところあり、もうDJはやめようと思っていたものでね。
で
富士そばの紅生姜天そば問題
たまに富士そばが恋しくなるんですよ。
悶絶するほどおいしいわけではないが(失礼な)、そこそこに満足できるじゃないですか。
「富士そばでなければ困る」わけでもないんだけど(失礼だよね)、なければ、なんとなく困る。
その「なんとなく」の部分が非常に重要なんですねえ。だから、ときどき無性に食べたくなるのであろう。普通さが愛しいというか、いや、愛しいかどうかはわからないけど、そんな感じ。よくわからな
デイヴィッド・ホックニー展
あっという間に10月も終わりじゃないですか。
でね、ある日、あることに気づいたんですよ。
「そのうち行けばいいやと思っていた『デイヴィッド・ホックニー展』、“そのうち”どころかもうすぐ終わりじゃん」って。
ご多分に漏れず、80年代にはイラストを描いていた僕も、ホックニーに魅了された人間のひとりなんですよ。
魅了されただけで、その影響を自分の作品に生かしたりはできなかったんだけどね(号泣)。
「居酒屋新幹線」に巻き込まれる
金沢2日目。
とはいえ前日に弟と話をするという目的を果たしてしまったので、あとは前から行ってみたかった金沢21世紀美術館へ行くだけ。僕は美術のなかでは圧倒的に現代美術が好きなので、2004年に開館した当時から、ここがずーっと気になっていたんですよ。
建物の構造が複雑なので迷いかけたりもしたけれど、「DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット)―次のインターフェースへ」というメインの
ブラックミュージックこの一枚 チャック・ブラウン
いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。
今回は、チャック・ブラウン。
大阪天王寺区の寺田町に住む親戚をはじめてたずねたのは、た
ブラックミュージックこの一枚 ジェームス・ブラウン
いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。
今回は、ジェームス・ブラウン。
小学校6年のころには、近所のレコード屋を覗くことが日課
『ブラックミュージックこの一枚』 スティーヴィー・ワンダー
いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。
今回は、スティーヴィー・ワンダー。
小学校高学年のころ、テレビでスティーヴィー・ワンダ
『ブラックミュージックこの一枚』 オー・ジェイズ
いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。
今回は、オー・ジェイズ。
日常生活はそこそこに平穏で楽しかったが、一方で僕のなかにはどす黒く醜い感情がたしか
『ブラックミュージックこの一枚』 ビル・ウィザース
いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。
今回は、ビル・ウィザース。
小学4年になった月の最終日、僕はいきなり生死の境をさまよう
1994年、初来日したNasにインタヴュー
1990年代の前半から中盤は来日ラッシュで、ほとんど毎月誰かが日本を訪れているような状態でした。だから1994年に音楽ライターになった僕も、多くのアーティストにインタヴューする機会に恵まれました。
初めて話を聞いたのは、シンガーのロビン・S。彼女は1997年のセカンド・アルバムから“It Must Be Love”というR&Bトラックをクラブ・ヒットさせましたが、それよりずっと前。純然たるハウス
『ブラックミュージックこの一枚』序文
いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。
まずは「はじめに」から。
はじめに
先週、チャカ・カーンに会ったとき、
……などと