ブラックミュージックこの一枚 チャック・ブラウン
いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。
今回は、チャック・ブラウン。
大阪天王寺区の寺田町に住む親戚をはじめてたずねたのは、たしか大阪万国博覧会が行なわれた1970年だ。僕は万博ファンだったので開会直後に学校を休んでいちど、夏休みにもういちど、その年は大阪に2回足を運んだ。万博に連れていってくれたり、銭湯に連れていってくれたり、病弱な父親にかわって一家を支えていた長男のシンゴにいちゃんは、訪れるといつも僕と弟をもてなしてくれた。
寺田町は、子どもの目からみても高級住宅地ではなかった。なんだか雑然としていて、ガラもよくなかった。シンゴにいちゃんの家族が住んでいたのは長屋で、猫の額くらいしかない玄関は白い犬が陣取っていたし、僕たちがいくと家のなかはぱんぱんになってしまった。だけど、とてもあたたかい感じだった。
「シンゴ、これ知っとるか?」 ある朝、長屋の隣の棟の2階から、シンゴにいちゃんと同じくらいの年の人が身を乗り出してなにかをかざした。白いランニングにステテコ姿だ。
「なんやそれ?」
「シーモンキーや!」
あっ、いいな! あの人シーモンキー飼ってるんだ。漫画雑誌に載っていた広告で見たそれを僕もずっと欲しかったので、その人のことをうらやましく感じ た。
それはともかく、寺田町の長屋はそんな感じで隣近所とのつきあいも濃密。街の空気を吸っていると、なんとなく心地よかった。
盆踊り大会に連れていかれたのはその年だったのだろうか? 狭っくるしい街の小さな公園の一角にやぐらがたてられ、歌が大音量で響きわたり、たくさんの人が僕の脇を通りすぎていった。
「ホルモン焼」
目をあげると、真っ赤な地に黒く筆文字で書かれた屋台の看板が光っていた。
周囲の喧騒にビビリまくっていた子どもの目には衝撃的だった。なんだそれは?
そんな食べものは聞いたこともなかったし、なんとなく気持ち悪い気もした。
どんと肩をこづかれたのはそのときだ。
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