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【植物SF小説】RingNe【第3章/③】


あらすじ

人生の終わりにはまだ続きがあった。人は死後、植物に輪廻することが量子化学により解き明かされた。この時代、人が輪廻した植物は「神花」と呼ばれ、人と植物の関係は一変した。 植物の量子シーケンスデバイス「RingNe」の開発者「春」は青年期に母親を亡くし、不思議な夢に導かれてRingNeを開発した。植物主義とも言える世界の是非に葛藤しながら、新たな技術開発を進める。幼少期に病床で春と出会った青年「渦位」は所属するDAOでフェスティバルを作りながら、突如ツユクサになって発見された妻の死の謎を追う。堆肥葬管理センターの職員「葵」は管理する森林で発生した大火災に追われ、ある決断をする。 巡り合うはずのなかった三人の数奇な運命が絡み合い、世界は生命革命とも言える大転換を迎える。

《第一章は下記より聴くこともできます》

第3章/②はこちら

#佐藤


 三人はこれからの自分の選択を考えながら、言葉も交わさずに駅まで歩いていた。電車で待っていた運転手は、無言で乗り込む三人を確認すると、発進した。春は電車内で何度も短くうたた寝して、細切れに夢を見た。何の示唆でもない脳の情報処理としての、純粋で無意味な夢を。渦位は車窓から夕暮れの空を、風に流れる雲をただ見つめていた。葵は前方の座席の緑の色を訝しむように目を開いて見つめ、いつかの夢の断片を思い出していた。

 三人は大雄山駅で解散した。春は繰り返し見た短い夢の続きを編むように、疲弊した脳でしばらく川沿いを下り、自然公園まで歩き出した。意識がどこかに吸い込まれていくような重量を感じ、首が頭の重さを支え切れないまま、姿勢を前傾させ体重移動で歩くようにしていた。人の手が介入しなくなった町は夏の力で更にダイナミックに生い茂り、虫たちも住処を拡大して途切れることなく輪唱していた。

 虫は、花の受粉を助け、蜜は虫たちの餌になる。人類が生まれる遥か昔から築かれてきた合理的で自然な共生関係。結局僕らはその中に入ることができなかったみたいだ。

植物がつくる糖により働かせてきた脳は、自然界と切り離された世界まで自らを追いやった。植物たちはこうなることを知っていて、人に大人しく順化させられ、たくさんの炭水化物を供給し、今に至るのではないか。

共生どころか、もっと一方的な支配構造だったのかもしれない。それは多分、人工知能と僕らの関係にもそのまま当てはまった。僕らはもう、抗わなくてもいいのではと春は思っていた。

 道を進んでいると、ガマズミの木まで辿り着いていた。僅かに実った小さな赤い実に手を伸ばす。RingNeは既に機能を停止させ、倫理観はAIから人の手に帰っている。春は赤い実をそのまま口に運び、噛んだ。

口内は強い酸味で溢れた。夢から覚めるように頭がスッキリして、母親とこの場所に来ていた幼い自分の映像が、目の前に浮かんだ。小さな身体でガマズミに手を伸ばそうとする自分を持ち上げて、収穫させる白く細い腕、短い指。見上げると優しい笑顔で微笑む母。 

 ……僕はこの母から生まれ、育てられた。風が吹けば飛んでしまいそうなほどか細い双葉から、自立するまで、懸命に守られてきた。記憶にはないけど、ただ確実にあったその時間。その愛の大きさが酸味と共に蘇ってくる。

 ガマズミの葉に額を寄せ、縋るように細い枝に触れ、目を瞑った。少し力を加えれば簡単に折れてしまう枝の感覚が儚かった。こんなに多様な死の選択肢があるのに、生んでくれた母は一人しかいない。右側頭から頭頂部を手で押さえ、春はその場で嗚咽するように泣いた。
 

 渦位は酒匂川を歩き始めた。特に行く宛もなかったが、久々に遠出をしたことをきっかけに、もう少しだけ歩きたい足になっていた。まだ通ったことのない脇にイチジクの生えた小径を見つけ、進む。小さな寺と、墓地があった。

堆肥葬の普及によって殆ど使われることのなくなった墓石だが、改めて見ると、環境の変化に左右されず佇む石の強さを羨ましく感じた。一つ一つに刻まれた名前は、人類がこの地にいたことを、種が絶滅しても遺してくれる。

文字は多分、この世界では今後読み取られることのない、意味を持たない模様になっていく。その意味を知っている生物はNEHaNという別次元に生息する。なるほど、こういった種の希望の立て方もあるのだなと渦位は思った。

葉の葉脈や、カタツムリの渦巻模様、岩の亀裂も、実はどこか別次元に存在する者たちの言語なのかもしれない。知的文明は何度もこういうことを繰り返してきているのかもしれないと思った。

 想いを馳せて、頭上の宙を見上げた。夏の大三角形の配置が言語としてもたらす意味、それを感じようとした。
 「こっちの世界に居続けることは自殺みたいなものだ。しっかり生きてくれ」
 佐藤の声が聞こえてきた。そういうことか、と嫌悪する感情とは裏腹に、納得してしまった。

 星座の外に気になる星を見つけた。なんとなく、その星に導かれるように歩いてみた。歩いているのか、引き寄せられているのかは、分からなかった。分からなくなった。

やがて大きな桜の木の枝が道に迫り出し、行手を阻んだ。渦位は桜の枝に額を寄せ、立ち止まる。夜の桜の枝振りや樹皮は、悪魔の角か鬼の金棒のようで、禍々しさを感じさせた。ちょうど渦位の中で二つの決心が固まって、家に帰った。
 

 葵は集会所に行き、エントランスに置いてある手持ちランタンの灯りをつけた。誰もいない部屋を照らしながら、ロビーのテーブルまで歩いた。

持っているタブレットを起動させ、衣川の病室に設置しているカメラとネット接続した。画面には天井付近から衣川の体が映し出されている。暗い病室内を暗視フィルターで見る彼の姿は、輪郭がぼやけていて、人か物かの判別もつかないほどだった。

 葵はしばらく彼の顔にあたる部分を見つめていた。暗闇で見えない目や鼻のディティールは、葵の記憶で創造した。
 ……綺麗な顔、と思った。

 ゴジアオイ火災で植物たちの身代わりになろうとしていたこと、その一件から不自然なほどに持ち上げられたこと、彼は望んで植物の世界へ行ったのに逆上して、それがエミュレーションを加速させることになったこと、自分の感情的な行いだと思っていたこと全て、掌で転がされていたことに、葵は生きることへの諦念を感じ始めていた。

画面を見つめながら、瞬きをさせられている。心臓も動かされている。それを考えさせられている。同じ花の蜜だけを集めさせられている、蜂のようだ。
 樹齢五百年を超える大木を前にした時のような、生命としての位の違いを感じる圧が、まだ皮膚にぴりぴりと残っている。夢の中にいたようだったし、ここが夢の外なのかどうかも判然としない。きっとこれは、人でいる限りは分からないことなのだと思った。

 「歩……おめでとう」
 葉に溜まった雨水が零れ落ちるように、自然にそう呟いていた。
 そうしてはじめて、醒めた世界を羨望した。彼の身体と現世を繋ぐ点滴の残量はいずれなくなる。医者もいずれエミュレーションして、動物的には永遠に離れ離れになってしまう。

そばにいて欲しいという感情、あるいは本能が、胃の辺りで沸沸と湧いていた。共にいる方法は一つしかないように思えた。少し前までは絶対に選びたくなかったこと。しかしもう諦めた。いや、明らめたのだ。葵はNEHaNを開いて、通信履歴から私へメッセージを送った。
 

翌日、集会で大量のネズミにより畑が荒らされたことが報告された。都市部の生ゴミが減り、耕作放棄地が増え、餌場を失い飢えたネズミ達が波となり襲ったのだと推測された。確かにここ最近はネズミを道端でも見かけるようになった。人口減少し、コンパクトシティ化せざるを得なくなった人間同様に、人自然に環境適応したネズミやカラス達も限られた生活環境に密集し始めた。

 農耕班は畑を網の細かい柵で囲い、夜間は周辺をブラックライトで照らし、ネズミの尿に含まれる蛍光物質を探した。ネズミは尿をしながら移動するので、比較的新しい青白い光の道を追跡することで、巣穴を見つけることができた。そこに大量の殺鼠剤を散布した。

 対策により、畑の被害はある程度減少したが、ネズミは駆除しきれないほどに繁殖していた。
 ある日、ネズミに噛まれた六十代の男性に発熱症状が現れ、数週間後に急性呼吸困難により死亡した。症状からハンタウイルス肺症候群と推測された。

 多くの医療従事者は既にエミュレーションしていた。度重なるパンデミックに疲弊していた彼らからして、病気のないNEHaNは夢にまで見た世界だった。それに伴い入院中の患者もほぼ全てエミュレーションして旅立ったが、自らの意思を疎通できない、衣川のような患者は現世に残った数名の医師たちにより依然、医療により肉体が維持されていた。

 逆にいうと数少ない医者はより重度な患者につきっきりで、小さな町では医者による診察ではなくネットの情報を参照した推測、投薬は在庫がある市販薬でなんとかするしかないような医療体制だった。 

 病原菌を持ったネズミが繁殖している可能性があるという情報は瞬く間に広がり、危機感を持った家族持ちの男性を中心にネズミの駆除班が増員され、夜間の山に入り巣穴を探して殺鼠剤を撒いた。

 人海戦術は功を成しネズミの数は減少し、町で見かけることも少なくなった。以降ハンタウイルスと思しき症例も見なくなったが、ネズミ捜索班の男性のうち半分ほどに急な発熱、嘔吐、腹痛が確認された。

ネズミに噛まれていたわけではなかった。捜索中の草むらに大量に潜んでいたダニに噛まれていた。それを誰かが重症熱性血小板減少症候群(SFTS)と思しき症状だと言った。致死率は10%~30%とされていた。男性たちはみるみる衰弱していき、その家族の多くは一家全員でのエミュレーションを決断した。その様子を見て感染を危惧した人々も追ってエミュレーションした。

 エミュレーションは身体の症状に関係なく、意識が正常に機能していれば実施可能だった。投薬や手術のように今ある身体を治すのではなく、綻びかけている身体は捨てるという、医療のコペルニクス的展開。意識を移動するというある種の死が「生きる」を選択したい人達が生き続けるために、唯一の選択肢になりつつあった。

 SFTSは人から人へ感染る感染症ではないものの、湧水や野草を取りに日常的に山へ入る必要があったし、植物が生茂るこの町でダニと接触する可能性は非常に高かった。中には全く意に介さず、肌を露出して野山でキャンプやレイヴをする人達もいた。自治体として行動制限することはなく、人々は各々の死生観に応じて潜んだり、引っ越したり、遊んでいたりした。 

 ある日の集会所。渦位はマコモのお茶を淹れながら春に聞いた。
 「佐藤の言っていた感染症ってこれのことですかね?」 
 春は背もたれに深く腰掛けて話した。

 「どうだろう。どちらも既存のウイルスって話だからね。まだこれからな気もする。でもこの規模のコミューンで比較的珍しい感染症がこれだけ多発し始めているのは妙だ。新種の出現というよりは、免疫自体が急に弱り始めたような」 
 「最近風邪っぽい人が増えているのも、そういうことでしょうか……」

 渦位はこの世界の終わりの予言ともとれる話を、会議で共有すべきかどうか悩んでいた。信じがたい内容であるだけでなく、受け入れられたとしても途端にエミュレーションが加速して、自治区が機能不全になってしまう可能性もあった。

 「この話って、みんなにするべきだと思いますか?」
 「佐藤の話だよね。なんかただそれを告げるだけだと、酷な気がしていて。知ってもどうにもならない問題なら、知らない方がいいこともあるよ」
 渦位は共感して頷いた。

 「その上で、ここから先は自分のわがままなんだけど、このまま終わっていくなら最後に、皆がいるうちにしかできないことがしたいなと思って。瞬くん、最後にもう一度だけ、フェスやらない?」

 渦位は徐にノートパソコンを取り出して、企画書らしき資料を春に見せた。
 「実はそれ、もう企画しはじめていました。僕もそれやろうと思っていて、いつみんなに伝えようかと思っていたんですけど、これは今日ですね」
 春は目を輝かせ「すごい」とか「さすが」とか持ちうるボキャブラリー全部を使って渦位を称賛した。
 

 会議は昨今のエミュレーション数の増加でどんよりした空気で進んでいた。一通りのアジェンダが機械的にこなされていく中で、渦位はこれからの世界の行方を一通り共有した。参加者はSF的な妄想を聞かされているようで、にわかには信じ難く、飲み込めない様子で沈黙していた。

 「まだ未来が決まったわけでもないですが、どうせなら、というかいっそ、数百年後の未来を予祝するような祭りをしませんか? こっちの世界からあっちの世界に行く流れは、恐らくもう止められないからこそ、せめて未来にできる限りの希望を描いて、祝って、それぞれ好きな終わり方を選んでいけばいいんじゃないかと、それが僕らのハッピーエンドなんじゃないかと……ど、どうでしょう?」

 辺りは未だ沈黙したままだった。どこかでまだ救世主の到来を望んでいた人々は、自ら世界の捉え方を変えていくという極めて現実的かつ、希望のない普遍的な方法の提案に、軽く失望して、頭が凍結していた。そのムードに渦位も俯き、話を撤回しようとした。その中で葵が口火を切った。

 「祝祭、いいですね、やりましょう! 最後に……最後にみんなで」
 春も立ち上がり拍手した。すると辺りから少しずつ拍手が増え、立ち上がり、葵や春のフォロワーたちから声が上がり始めた。

 「佐藤とやらの話はよく分からないけど、祭り、やりたいです!」「やろう、やろう」と盛り上がり、最後には議会全体から拍手が起こって、祭だーと声が上がり、踊り始め、歓喜に包まれた。手拍子はいつの間にかリズムになり、床や壁を叩いてドラムを刻み、懐かしい歌を歌ったりした。

渦位の鼓動も跳ねるように躍動し、絶滅という先のない暗い絶望の中でも、今この時を楽しもうとすることができる人々の強さに、歓びを見出そうとする人々の祝祭性に、ちょっと泣いた。

 集会は渦位の企画書をベースにアイディアを出しあい、翌日から制作のセクションが別れ、各部隊ごとに日夜企画や準備が始まった。集会に参加していない市民にも情報が共有され、ブース出店や出演を募った。

それから日々のエミュレーション数は減少傾向となり、エミュレーションは最後の祝祭に参加してからという機運が流れ始めた。人々は力を寄せ合い、祝祭は当日を迎える。
 
 「山陰にイタドリ、森の如しですね」
 肌の露出を無くしたトレッキングウェアを纏い、渦位と葵は会場までの山道をかき分けて、来場者向けの案内板を建てに進んでいた。

 「正岡子規ですか」と葵は言ってイタドリをかき分ける。 
 「本当この雑草たちの生命力は逞しい。当たり前ですが僕らがいようがいまいが何も関係ないようです」

 「今雑草と呼ばれている植物たちは何万年も遺伝子を変容させながら、様々な脅威への免疫をつけて環境適応して生きてきた大先輩なわけですから、私たちの方こそ雑草くらいに見られているかもですね」

 葵はそう話しながら地面を指差した。
 「それにほら、この子知っていますか?」
 渦位は立ち止まって地面に生える三十センチほどの長細い葉を見つめる。

 「よくいる雑草ですね。よく車に踏まれているやつ」
 「ノハライトキビって言います。日本中どこにでも育つ多年草ですが、花言葉は超能力です。他にもシマスズメノヒエとかセイバンモロコシとか超能力と言う花言葉を持つ雑草は多いのですよ。この繁殖能力や生命力は、圧倒的に人の能力を超えるまさに超能力ですよね」

 二人は看板を建て終えて、大きなスギやヒノキの根を踏み越え、登りながら会場まで再び歩き始めた。渦位は歩きながら足元のキノコが生えていないか探していた。葵はそれに気づいて微笑ましそうに見守っていた。

 「渦位さん、さっきの話の続きですが、ビュッフェ好きですか?」
 渦位はどこが話の続きなのか考えた。五秒程考えると、諦めて普通に返した。
 「大好きです。いろいろ選べますし」
 「ですよね。蜂にとってもこの世界はビュッフェのように、色んな花の蜜を好きな種類、好きなだけ食べることができます」
 「確かに」

 「でも、西洋蜜蜂は春から夏にかけて一斉に咲く多種多様な花々の中から、特定の花の蜜だけしか集めないんですよ。これを訪花の一定性と言います。植物にとっては非常に合理的な受粉支援ですが、蜜蜂がなぜそういう行動をしているのか、まだ分かっていないんですって」

 渦位はさっきの雑草の話を思い出し、ようやく話の繋がりを理解した。
 「植物が、そうさせているのではないかと……?」
 「そういう説もあります。もしかしたら植物と人の間にも、無意識的に動かされている何かがあるのかもしれないですね」

 葵はそう話しながら、ホトトギスの花を踏みそうになり、避けようと足を踏み外すとバランスを崩し、前のめりに躓く。
 「ホトトギスに転ばされましたね」と転びそうだった葵の手を渦位が掴んで笑う。
 

 やがて二人は会場となる廃校へ辿り着いた。たっぷり光が差し込む開けた土地で、ウメバチソウ、センブリなどがあちこちに咲いていた。台風で折れた太長い枝で鳥居が作られ、それが祝祭のゲートとなっていた。ホームセンターで大量に余らせていたテントや木材を使い各ブースを施工し、ありったけの音響機材を並べた。

旅立った人類が残した大量の遺物のお陰で物の調達には困らなかった。スパイスカレーやコーヒーなど、輸入が止まった現代では貴重になった飲食の出店や、マッサージやワークショップなどそれぞれのスキルを生かした出店が並び、人々は出し惜しみせずお金も受け取らず、全てを分かち合った。

 まだこっちの世界にいるアーティストたちは、これが最後の演奏かのように熱の入ったパフォーマンスで観客の心を揺さぶり、空いた時間や空いた場所では出演者以外も自由に演奏し、歌い、踊った。

 運営も出演も境目がなく、人類最後の祝祭というコンセプトに集った遍く人々が助けあい、高めあい、癒しあい、これまで培ってきた力を発揮し、生命の躍動を交歓した。

 春はトークテントに登壇して、話した。

 「もし植物が存在しなければ、人もまた現代には存近しなかったでしょう。植物の生成するブドウ糖によって脳が維持され、肥大化し、農作により社会が生まれ、石炭により産業革命が起こり都市に発展し、今でも医薬品のほとんどは植物由来のものです。近現代において、人権という概念が発明されて以来、個々が一つの生命を所有し、それを自由に行使できる文化へと発展していきました。以降、自由の名の下に自然環境を鑑みない人間中心の開発が、しばらくの間営まれていました。思い返せば、僕らは数が多ければ多いほどいいという、量の経済に踊らされ、皆がそれに夢中でした。富を増やし、名誉を勝ち取り、有限の命を最適に使い切る、そういう人生が是とされていました。ですがRingNe以降、いや正確にはそれよりも前から、人はこの生態系の中でどのような役割をもち、如何に自然のリズムと社会を調和することができるのかと問われ始めました。そんなことを考えねばならぬほど、人の作ってきた社会と自然は遠いところにあったのです。
 その後いわゆるWEB3と言われた潮流の中で、自律分散をテーマにしたサービス、金融、組織の形が多発し、インフラが整うことで、僕らは株式会社という人工的で旧態依然とした組織形態から、DAOという森に近しい自然な人の集合思想に移行することができました。森の中の木々はスギであり、ヒノキであると同時に、その一本一本が森なのです。DAO型の組織を通して、自らの経済圏の価値を個々人が担い、オーナーシップを持つ経済習慣は、東洋哲学的、無為自然的な現代の生命観に再び到達するために、必要なステップだったように思います。
 植物は単体で創発しますが、人は複数人が集うことでしか創発できません。ここに社会の難しさがあり、集合することで悪習を繰り返したり、争いが喚起されたり、種としての悪癖を何度も繰り返してしまうのです。文明の進化とは分けることであり、神の怒りを雷へ、雷をプラズマ現象へ、抽象から具体へ分解して理解をして、人の手中で再現性の保持を試みました。一方で生命観においては、古来まで水の神やクマの神など具体的な姿をしていた精霊たちが、ハートマークや抽象的な絵であらわすしかない「生命」なるものに置き換えられてきました。それは生命は一人一人が所有するものという、近代の前提と矛盾を起こさないためでした。古来の生命観とは個人が所有するものではなく、むしろ個人とは、種とは、生命という巨大なエネルギーの一部であり、生命に所有されているものだったからです。だからこそDAOという平均して数百人規模の経済圏、社会圏までダウンサイジングすることで、悪癖を再発する創発現象を予防して、人はより自然のリズムに近づけるようになってきました。それに伴い生命感覚も個人から全体に、所有から流動に回帰していく土壌があったからこそ、RingNeというプロダクトが芽生えました。
 ……しかし、RingNeは僕ではない存在に作らされていたことを知りました。僕が作るべき、必然性を持って生まれたものだと思っていましたが、僕はただの媒介でした。もしかしたら、今こうして話している主体が僕なのかどうかも怪しいのです……。ですが、こうして森の中にいると、主体が自分かどうかなんて本当は些末なことなんじゃないかと思います。植物とは、人とは、環境であり、環境とは運動する系である、と。だから何にも影響されていないことなんてあり得ない。今、僕だと思っている現象にどれだけ僕以外が干渉していようとも、それをひっくるめての僕であり、人間そのものが、そういう流動性を持った複雑な現象なのかもしれません。何者でもない自分らしきもの、同じ素材、主に炭素により結ばれ構築された内部組織、皮膚により境界された身体、大気を通して触れ合う僕らが、人と人として認知し合えること、それ自体の奇跡を祝いたいと思いました。今日僕は、これまで慣れ親しんできた意識や、存在と別れたところで生きてみたいのです。この時が例え泡沫の夢だとしても、さよならだけが人生だとしても、この地で自然の大循環に還っていくことができる確定した未来を、いっそ今日は予祝したい」

 観客からは盛大な拍手が起こった。死のある世界を選んだ住民たちが欲していた言葉がそこにはあった。廻りて、祝いて、美しむ、それが物理的な存在としての人間を超えて、情緒的な人間観念に移行するために、必要な手順だった。春はその後山ほど食べて、飲んで、踊って、笑って過ごした。

 葵は円と共に様々なブースを回っていた。クレープ屋台で円がツナマヨとチョコバナナを合わせたやつを美味しそうに食べていて、葵の食欲が失せかけていたところだった。
 「あ、渦位さん」
 巡回中の渦位と出会す。渦位は「いいの食べてるなー」と言って、屋台に同じものを注文していた。

 「葵さん、円を見ていただいてありがとうございます」
 「いえ、私も円くんと遊べて楽しいです」と葵は笑った。
 「というか、そろそろ巡回代わりますよ? 円くんと親子水入らず過ごしてください」と葵は言って渦位に近づき、腰元につけていたトランシーバーとイヤホンを外して、自分の腰元に付け替えた。葵はそのままそそくさと消えていき、渦位は何も言い返す隙がなく、去り際になんとか「ありがとうござ」まで言った。

そして屋台前のベンチに腰を降ろし、二人はしばらくクレープを食べていた。
 沈黙を埋めるように渦位は聞いた。
 「円、どこか行きたいところある?」
 「お母さんのところ」
 質の違う一秒間の沈黙。その静寂は、どんな言葉よりも雄弁に、円の想いが渦位に伝わる時間だった。渦位は円の将来を刹那に思い描いた。

 「なんてね、冗談だよ。ライブでも見に行こうか」と円はすぐさま付け足して立ち上がった。渦位は立ち上がらず、そのまま話した。

 「円。ちょっといい?」
 渦位の真剣な表情を察した円はそれから逃げたかったが、ちゃんと向き合う覚悟を決めて「うん」と頷いた。

 「円は多分これから、母さんと同じくらい大切な人に出会えると思う。そしていつか子どもができたら、円が母さんを想うのと同じくらい、円も大切に想われるんだ。まだまだ、続きがあるんだ。だからさ」

 遠くの方からアーティストと観客のコールアンドレスポンスが微かに聞こえる。屋台前の木立に並ぶ、人と同じくらいのサイズの細い若木に陽が差して、若葉色に照らされていた。

 「だから、エミュレーションしよう。一緒に」
 円は食べ終えたクレープの包み紙を、何も読むものがないのにただ見つめていた。
 「嫌だった……?」と渦位は心配そうに言った。
 「いや、僕はいいよ。でも父さんはこっちの世界にいたいんじゃないの? 葵さんとか春さんと一緒にいたいんじゃないの?」
 円は話しながら涙が滲み、目の周りが赤くなっていった。

 渦位は立ち上がり、円の頭にポンと手を置いた。 
 「お前と一緒にいたいんだ。これからもずっと。円がいて、父さんがいれば、母さんもずっと側にいるだろうから」
 円は俯いたまま涙を落とし、頷いた。
 二人は立ち上がり、ステージの方まで向かった。ベンチの側ではツユクサが気持ちよさそうに風に揺れていた。
 

 空は青とオレンジと白の水彩絵の具が、水で混ぜられたような色をしていた。ぽかんと鯨のような雲が浮かんでいる様子を、葵は腰ほどまである丸い岩に座って、見上げていた。

思えば雲が生まれて、消えるまでの経過を見たことがないと思っていた。川は海へ、葉は土へ、雲はどこに帰るのだろう。

目線を地面に移すと、リュウノウギクが一六本、隣にリンドウが一本咲いていた。リンドウから見える景色を想像してみた。植物の光受容体は人よりずっと多いので、より多くの光の種類を感じることができる。

しかし像は見えないので、白色のように捉え切れないほどの色彩の集合が、抽象画のように曖昧な形で見えるのだろう。

嗅覚はもっとエキサイティングだ。人と違って植物は放出する香り、化学物質をコントロールできる。遥か遠い植物にも風に乗せて多様なメッセージを届けることができる。何より、他の植物が何を言っているのか分かることに興奮した。

それ以外にも根で地中のミネラルを測定できたり、空気をより明瞭に判別できたり、人を超えた知覚の世界がそこには開かれている。
 大きく吸った息を細長く吐いたあと、近くの樹冠の影に車椅子を停めていた私に言った。

 「佐藤さん、私プラントエミュレーションします」
 「やはりそれが君の決断なんだね。分かった。なんになる?」
 葵の手元は微かに震えながら石を掴み、声は朗らかに、予め決めていた花の名前を告げる。
 「ムクゲにしてください。赤一重という品種を育てているので、それを持っていきます」
 「分かった。ちなみになぜムクゲなんだい? アオイ科にしても、色々あるだろう」
 「ムクゲの花言葉は「信念」「新しい美」英語だと「恋の虜」なんて意味もあります。馬鹿な判断をする私にぴったりだと思って」と萎れたムクゲの花弁のようにくしゃっとした表情を作った。

 「あと、槿花一朝の夢なんて言われるくらい、一つの花はすぐに萎んでしまうのだけど、夏から秋にかけては新しい花が次々に咲いていくし、土壌を選ばずどこでも育てやすいし、凛としていて可愛いし、好きな花なんです」と付け足した。

 「なるほど、それを衣川君のカーネーションと混植してほしいということだね」
 葵は思考を読まれたことに顔を引きつらせながらも言った。
 「はい。管理センターに植えてもらえれば、水やりや土中の栄養補給も自動で管理されるので、太陽光が地球に射し続ける限りは大丈夫です」

 「ああ、承った。太陽は私たちが守るよ。ムクゲの培養までおよそ二十日かかる。その間どうする?」
 「人の目で見れる世界を見て回って、余生を過ごします」と葵は答えた。
 

 山に夜の帳が降りていた。各所で焚き火が始まると、暖を囲み、光や熱の移ろいを見つめ、それぞれに想いを重ねた。

 春は森から様々なサイズの乾燥した枝や、枯れたスギやマツの葉を集めて、持ってきた。石で囲まれ整地された地面に溝を掘り、広葉樹の丸太を並べて焚き火台を作る。その上に細い枝を敷き詰め、ピラミッド状に組み、中心に松やスギの枯れ葉を入れて、解いた麻紐で作った火口をメタルマッチで着火して、息を吹き込み、火種をピラミッドの中に入れた。小枝に火が灯ると、それより太いサイズの枝を囲うように組み、丸太の下から息で空気を送り込み、上昇気流で可燃して、安定した火が着いた。

 「ああ、それでいい」と共に火を囲んでいた老人が呟いた。
 「どうも」と春は会釈をした。
 老人は火を囲む石に腰かけ、タケのコップに入った酒を飲んでいた。春も焚き木から離れ、老人の向かいの石に腰かけた。焚き木の爆ぜる音、煙の香り、オレンジの揺らめき、まるで火中で映画上映されているかのように、二人はじっと火を見つめていた。風向きが変わり、白い煙が老人の方へ押し寄せる。

しばらくは耐えていたものの、観念した老人は春から四十五度右にある石に移動した。それをきっかけに、話しかける。
 「そういえばおめぇ、昼になんか話していたな。有名人なのか? 名前は?」と老人は春に話しかけた。

 春は微笑しながら首を振って言った。
「いえいえ、そういうわけではないんです。しがない元技術者です。三田春と言います。はじめまして」
「三田、春……」

老人はその音の持つ懐かしい響きを思い出すように、繰り返した。再び火中の何かを見つめ、沈黙する。
「はじめましてじゃねぇよ」と木の葉も揺れないくらいの声で呟いた。

「お父さんはこの辺に住んでいらっしゃる方なんですか?」
お父さんという言葉に老人は固まって、そのあと、恐る恐る春の目を見た。
「俺は……あっちの方の山に」
老人は金時山の方を指差した。

 「山に……」と春は繰り返し、老人の顔をまじまじと観察していた。
「あの、よければお名前……」
「余計なこと聞くんじゃねぇ」と老人は返した。

 春は目を火の中に落とすように見つめて、長く息を吐いた。瞬きもせず開いた目に煙が忍び寄り、染みた。ばちばちと薪が弾ける音、近くで子どもたちが花火を始め、嬉々とした声が響く。

 「……どうして僕たちを置いて」

 老人は酒を一口飲み、火に語りかけるように穏やかに話しはじめた。

 「ダイアンサスには元となるアガベっつう環境保全団体があってな。今のダイアンサスを立ち上げたのは当時関わっていた高校生や大学生たちだ。俺は発起人の一人として、植物学者としてそこにいた。学者と言っても藪よ。どこに所属しているわけでなく、独立して植物の遺伝研究をしていた。そしてある日気づいた、人は死んだら植物になる。研究の成果と言うにはあまり粗雑な、ほとんど直感めいたものだった。それでもどうしてかそれを信じられた。まぁそれは置いておいて、本題だ。

 いま住んでいる山には当時、製鉄所があってな。川上から川下に工業排水が流れ、農作物が育たなくなり、農村地だった俺らの故郷は反対運動をしていたんだ。加えて山を更に開拓して工場を広げようとしやがったから、俺はアガベの他に近隣地域からも有志を募って、反対運動を起こした。それが結構な規模になってきてな。人は数が多いと馬鹿になるだろ。やがて製鉄時の炎で顔が赤く爛れた製鉄業者たちを、鬼と揶揄するようになって、差別が始まった。そうするとより対立ってのは深まる。てめぇで組織したのに、望んでもねぇ結果になっちまって、情けねぇ話だ。集団同士じゃ対話もできねぇからよ、内部には鬼退治って名目つけて、俺らは五人で丸腰になって敵陣に乗り込んだんだ。何、平安時代じゃねぇんだ。刀で首を落とすわけじゃねぇ。酒を持って、飲み交わして、心を開いて仲良くなれば、こっちの話も分かってもらえると思ったんだ。

 それでだ、うまくいったんだよ。常駐している連中とはな。だが奴らの上の組織ってのがあるようで、ドリーム何ちゃらって言ったか。そいつらが一向に開発を止めようとしなかった。そこで最終的に俺は森に住み始めた。開拓予定地の中央に十坪にも満たない小さな私有地の民家があったんだ。奴らは多額の金銭で居住者に交渉を迫っていたが、所有者は俺らの仲間だからよ、手放さなかった。しかし老齢だったからな、大病で入院しちまって、誰も見張れなくなっちまった。それで仕方なく、俺自身が住み始めることで不退転の態度を示したわけだ。

 それで奴らはいよいよ参って、撤退したわけだが、その後もしばらく奴らの偵察が続いてな。お前が生まれたことは、森に住み始めた後に知らされたんだが、もしあいつらにお前や母さんとの関係を知られたら、お前らにも被害が及ぶんじゃねぇかと、心配で帰れなかった。それでも母さんはお前の様子を映像で送ってくれていてなぁ。見るたびにすぐに帰って会いたくなったよ。あの時何度も迎えに来てくれていたお前の声が、今でもたまに聞こえる気がしてな……」

 老人は目を潤ませ、言葉を詰まらせた。
 「あぁ、煙が目に染みる」
 と言って目を擦ると、憑物が取れたように一瞬表情が緩み、そのあとすぐに顔をしかめ、長い白髭が地面に着くまで頭を落として言った。
 「俺が悪かった。苦労をかけた」

 春も目を涙で滲ませながら、火を見つめ、ずっと昔から言いたかった言葉が、腹の底から質量を伴って湧き上がってくるのを感じて、やっと言えた。
 「お父さん」

 老人はゆっくり顔を上げ、春の顔を見ると、照れ臭そうにした。
 「聞けてよかった」
 火を見つめながら春は父にそう言った。その後、大事なことを思い出したように尋ねた。

 「そういえば、人が死んだら植物になるって……RingNeの発想はDream Hack社のAIに僕がマインドコントロールされて作らされたもので……」
 「何言ってんだ。お前も同じような直感があったなら、それは俺の血だ」
 春は背骨を引き抜かれたように力が抜けて、両手で地面を支えてなんとか踏みとどまった。そんなことあるのかと訝しみつつも、そんなことを信じたいとすぐに思い直した。

「春さーん」とほろ酔いの渦位が近くの店から春の分のビールを持ってきてやってきた。近くまで来ると共に座っていた老人に気づく。
 「来てくれていたんですか!」と嬉しそうに老人に言った。

 「そりゃおめぇ、あれだけしつこく誘われたら、一回くらいは顔を出してやらねぇと可哀想だろう」と老人は言った。
 「春さん、こちら前に話していた、僕に植物のことを色々教えてくれていた方で……」

 「あぁ、僕の父だ」
 「ええ!」
 渦位は驚いて目を見開き、二人の顔を交互に見た。
 「似てる……そんなことってあるんですか。ま、まぁ最後の祝祭でこんなにめでたいことはないですね。それじゃ、二人の再会に!」
 そう言ってグラスを掲げた。

 「乾杯」

 
 

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