Imao Emiko

バックパッカー→金融→米国留学→国際協力→コンサルタント|俳句やヨガや瞑想をしながら、…

Imao Emiko

バックパッカー→金融→米国留学→国際協力→コンサルタント|俳句やヨガや瞑想をしながら、ゆらゆら旅をしています|新しい畑を探し中

マガジン

  • 俳人はなぜ、どのように俳句を作るのか

    俳句は、世界で最も短い文学であり、無限の宇宙でもある。一目で捉えられるほど小さいのに、全貌を掴むことは難しい。そんな不思議な世界を、そこに住む方々(俳人)の視点で旅してみる。俳人はどのように俳句を捉え、向き合っているのか。なぜ、どのように俳句を作るのか。様々な俳人に話を聴いていきます。

  • 人の、心と体と魂と

    ヒトの身体(からだ)と思考(あたま)と感情(こころ)について、あるいはそれ以外の何かについて、少しずつわかってきたことを、少しずつ書き重ねています。

  • 俳句の森を歩く

    俳人への道を歩きながら、見つけたもの、出会ったものを記録しています。

  • 人生で大事なことは、すべて小さな畑が教えてくれた

    リモートワークの傍ら、自宅近くに小さな畑を借りて、無農薬・有機栽培の野菜づくりを始めた。その学びの記録です。

最近の記事

「ふるさと納税」には、反対だった

ここ10年近く、友人たちが「ふるさと納税でもらった」という、各地の美味しいものをお裾分けしてくれ、その恩恵に預かってきた。そしてそのたびに心が揺れ動きながら、それでも、自分が「ふるさと納税」することには、ずっと抵抗を感じていた。 「ふるさと」のある人が、そこに残り暮らす人たちを想って、あるいは育ててくれた過去へ恩返しするようにお金を送り届けられることは、素敵だと思う。けれども、東京に生まれて東京で育ち、人生のほとんどを「都民」として過ごし、それ以外に「ふるさと」と呼べるほど

    • 一行の詩に、生かされている ~俳人 河内静魚さんに聴く(後編)俳句との出会いから

      大学卒業の年に、入社と退社を2回繰り返し、3社目で俳句と出会う。「年寄り臭い」と思いつつも付き合いで始めてから、まもなく50年。今では俳句を心から楽しみ、「俳句は生きること」と語る俳人 河内静魚さん。たった一行の詩が、なぜ、これだけの力を人に与え続けることができるのか。静魚さんが歩まれた道のりを辿りながら、その謎を紐解いていく後編です。 (前編)静魚さん略歴/俳句と出会うまで 俳句との出会いから職場句会から、ひとり修行の道へ ――3社目で、ついに俳句と出会われるのですね

      • 一行の詩に、生かされている ~俳人 河内静魚さんに聴く(前編)俳句と出会うまで

        大学卒業の年に、入社と退社を2回繰り返し、3社目で俳句と出会う。「年寄り臭い」と思いつつも付き合いで始め、まもなく50年。今では俳句を心から楽しみ、「俳句は生きること」と語る俳人 河内静魚さん。たった一行の詩が、なぜ、これだけの力を人に与え続けることができるのか。静魚さんが歩まれた道のりを辿りながら、その謎を紐解いていきたいと思います。 河内静魚さん 略歴昭和25年/宮城県石巻市生まれ。幼児期に、福島県相馬市に移る。 昭和49年/上智大学を卒業。毎日新聞社入社および退社。

        • やりたいことが「わからない」は、ただ「認められない」だけかもしれない

          やりたいことがわからないんです、という相談を受けることがある。 大学卒業して間もない人もいれば、10年も20年も社会人として(少なくとも傍から見れば)華やかに活躍してきた人もいる。そんなことを考えているなんて、意外すぎる人もいる。 もちろん、そんな相談を受けたところで、「あなたのやりたいことはこれですね」なんてポケットから出して解決できるわけでもない。 みんな、決してモチベーションが低いわけではない。むしろ情熱はあるけれど、それを向ける先がわからない。何かに懸命でいたい

        「ふるさと納税」には、反対だった

        • 一行の詩に、生かされている ~俳人 河内静魚さんに聴く(後編)俳句との出会いから

        • 一行の詩に、生かされている ~俳人 河内静魚さんに聴く(前編)俳句と出会うまで

        • やりたいことが「わからない」は、ただ「認められない」だけかもしれない

        マガジン

        • 俳人はなぜ、どのように俳句を作るのか
          8本
        • 人の、心と体と魂と
          12本
        • 俳句の森を歩く
          19本
        • 人生で大事なことは、すべて小さな畑が教えてくれた
          9本

        記事

          瞑想で、色とりどりのエネルギーに包まれる

          「チャクラ」ってなんか、怪しい響き。。 去年くらいまで、そう思っていた。チャクラが何か、知るまでは。そして先週末の夜、はじめて「チャクラ瞑想」を体験した。 チャクラとは、身体のエネルギーが集まり、出入りしている場所。背骨の一番下から頭頂に沿って、7つある。 それぞれのチャクラは異なるエネルギーを司っている。自信だったり、創造だったり、繋がりだったり、表現だったり。そのすべてがクルクルと回っていると、全身が豊かなエネルギーに満たされていく。ヨガでは、そう考えられている。

          瞑想で、色とりどりのエネルギーに包まれる

          師とのご縁が、私を「ここ」に連れてきてくれた ~俳人 根来久美子さんに聴く

          たった17音の俳句が持つ、底知れない力。その中を、俳人たちの話を聴きながら、様々な角度から光を当て、探検していく。今回は、「師とのご縁が、私を『この場所』に連れてきてくれた」とおっしゃる、俳人 根来久美子さん(以下、久美子さん)にお話を聴きました。 2つの会を代表する「この場所」とは、上智句会代表、そして、ソフィア俳句会代表という立場である。 上智句会は、上智大学名誉教授の大輪靖宏先生によって1999年に発足した。同氏の人柄や知見、指導力に、他の結社や句会を率いる俳人まで

          師とのご縁が、私を「ここ」に連れてきてくれた ~俳人 根来久美子さんに聴く

          わたしの支出は、だれかの収入。その無限バトンパスの中にいる。

          もうすぐ確定申告の季節がやってくる。 機械的で、決して楽しい作業ではない。でも、そんな作業をしながら、ふと「私の支出は、誰かの収入になっているんだな」という当たり前のことに思い当たったとき、そこに鼓動を感じ、少しだけ体温が生まれた。 1年間で、いろいろな仕事をする。そこで受け取った報酬が、「収入」へと収められていく。その時、その仕事を依頼してくれた人、プロセスを共にしてくれた人、最後にできたものを受け取ってくれた人、そんな人たちへの感謝で、ほんのり気持ちが温かくなる。

          わたしの支出は、だれかの収入。その無限バトンパスの中にいる。

          6,800万円の行方

          およそ5年ぶりに参加した、FITチャリティ・ラン。 (Financial Institutes in Tokyo for charity) 前回は日比谷公園。 フル装備で真剣に走る人、 ベビーカーを押している人、 ペットのリードを引いている人。 スタイルも国籍も様々な人たちと 一緒にわいわいと皇居を一周した。 それから5年。 その間に、このイベントはみるみる拡大し、 開催地を国立競技場(※)に移していた。 ※旧国立競技場 明らかに、格段に、グレードアップしていた。 競技

          6,800万円の行方

          「どうお金を増やすか」だけでは豊かになれない。お金は、世を忍ぶ仮の姿だから。

          大学卒業してから10年間、金融機関で働いていた。そこでの仕事は、一言でいってしまえば「どこにどう投資してお金を増やすか」だった。お金を預かって増やす立場でもあったし、投資に関してアドバイスをする立場でもあった。 かつては、銀行に預けていれば勝手にお金が増えた。しかしそんな時代は過ぎ、やがて銀行は、安全にお金を預けておける巨大な貯金箱となった。貯金箱に入れておくだけで将来は大丈夫なのか。少子高齢化で年金の先行きも見えない。そんなこんなで、「貯蓄から投資へ」の掛け声とともに、お

          「どうお金を増やすか」だけでは豊かになれない。お金は、世を忍ぶ仮の姿だから。

          そもそも、ヨガって ~『本来の自分』に出会う旅の道しるべ

          今年1年は、これまでになくヨガをした。年の初めのまだ寒さ厳しいころ、とあるヨガに出会ったのがきっかけだった。 その講師であるヨーガセラピスト 赤木香苗さんから「ヨガは『本来の自分』と出会うためのもの」と聞いたとき、それまでの理解との距離が遠すぎて、正直、なんのことやらよくわからなかった。でも、わからないながら、素敵だことだなと思った。 ヨガは、初めてではなかった。もう何年も前になるけれど、ジムで時々やっていたことがある。ただ当時は、ピラティスとかボクササイズとか、そういう

          そもそも、ヨガって ~『本来の自分』に出会う旅の道しるべ

          何よりも、今ここでしかできないことを~後悔しないワーケーションのための覚書

          仕事のほとんどを、リモートで進められるようになって久しい。それによって、普段のスケジュールのまま滞在先だけ変える、いわゆるワーケーションも珍しくなくなった。 今年に入って、スケジュール上は仕事を継続したまま、軽井沢や沖縄、神戸などに滞在した。今週も4日間と短かったけれど、2度目の軽井沢へ行ってきた。初冬の軽井沢は、とてつもなく美しかった。 そんな黄金の光に包まれた4日間だったのに、終わって後悔することも多かった。新しいことって、最初のうちは毎度真剣に向き合うのに、慣れはじ

          何よりも、今ここでしかできないことを~後悔しないワーケーションのための覚書

          書くことは、泣くこと。母が亡くなった日のノート。

          今日は、母の命日。 もう、だいぶ時間が経つ。時間が経てば、悲しみは癒えていくだろう。他人事ならば無責任にもそう思ってしまうところだけれど、実際はそんなことはない。10年前も、去年も今日も、思い出せば同じ鮮度の悲しみがやってくる。 当時、私は大学受験生だった。その年の春に母の病気が見つかり、しばらく入退院を繰り返して治療を続けていたが、最後は手の施しようもなく自宅に戻っていた。でも、大人たちは受験生である私を思いやってか、そんな病状を伝えてはくれなかった。だから、目の前で弱

          書くことは、泣くこと。母が亡くなった日のノート。

          「何をしたいの?」に答えられない自分を責めなくていい

          「やりたいことを仕事にする」ことが、理想的な働き方。そんな風潮が強まっているように思う。 私も、それを一つの道しるべとして、曲がりくねった道を歩いてきて、いま此処にいる。個人の意思や希望が尊重される。それほど有難いことはない。やりたくもないことを、意思や希望を無視して押し付けられることほど、耐え難いものはないから。 そんな場所では、当然のごとく「何をしたいの?」と聞かれることが増える。それは、意思や希望を尊重している証でもあるから有難いことなのだけれど、私はこの質問がとて

          「何をしたいの?」に答えられない自分を責めなくていい

          あの頃は「できるかどうか」なんて考えてもいなかった

          何かを始めようとするとき、いつから「できるかどうか」を考えるようになったんだろう。 3歳のころ、近くのバレエ教室を見学した。とたんに心が奪われて「やりたい!」と母にお願いして入れたもらうことになった。練習着のレオタードには名前代わりにタンポポの刺繍をしてくれると聞いて、いよいよ入れるのだとワクワクしたことを今でも覚えている。実際に始まると、先生の厳しい指導についていかれなくなったり、背の順で決まる発表会の役で男役が回ってきてがっかりしたり、そんなこんなで数年で辞めてしまうの

          あの頃は「できるかどうか」なんて考えてもいなかった

          「社会課題を見つけにいく」の違和感

          ビジネスで社会課題解決を、と言われて久しい。 私自身もその領域に関わる中で、「社会課題を解決する事業をつくりたい」という企業の相談をたくさん受けてきた。それに真面目に取り組もうとする企業ほど、「まずは課題を見つけにいく」ことから始まったりする。 社内には「社会に役立つことがしたい」という想いはあっても、「何をしたらいいのかわからない」という人が多いから、という理由だ。そこで、途上国に入ったり、地方に入ったり、いろんな人に話を聞いたりする。自分たちが取り組むべき「課題」を見

          「社会課題を見つけにいく」の違和感

          手放すことからはじめる ~「取材・執筆・推敲」読書メモ③

          「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」(古賀史健著)を読んで、特に心に残った3ヵ所をメモしている。 3ヵ所目は、最初に読んだ時には印をつけておらず、再読のときに目がとまって追加した。読むタイミングが変われば、視線も心の動き方も変わる、という当たり前のことを実感した。 取材を終え、さて書こう、となった時に、はたと手が止まる。何を書けばいいのか、何から書けばいいのか。どうやって「書くこと」を決めていけばいいのか。まさに今、自分がその状況にいる。それに対する著者の答え。 ぼく

          手放すことからはじめる ~「取材・執筆・推敲」読書メモ③