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何よりも、今ここでしかできないことを~後悔しないワーケーションのための覚書

仕事のほとんどを、リモートで進められるようになって久しい。それによって、普段のスケジュールのまま滞在先だけ変える、いわゆるワーケーションも珍しくなくなった。

今年に入って、スケジュール上は仕事を継続したまま、軽井沢や沖縄、神戸などに滞在した。今週も4日間と短かったけれど、2度目の軽井沢へ行ってきた。初冬の軽井沢は、とてつもなく美しかった。

到着したバス停の近くから

そんな黄金の光に包まれた4日間だったのに、終わって後悔することも多かった。新しいことって、最初のうちは毎度真剣に向き合うのに、慣れはじめると雑になってしまう。そんなよくある現象がワーケーションにも起きた、ということかもしれない。とにかく今回は、後悔が大きかった。

ああすればよかった、こうすればよかった。そう過去に引きずられているうちに、今という時間が通り過ぎ、またそれを後悔している。そんな感じ。

ワーケーションは、休暇とは違って「普段通りに働いている」ことが前提となる。だから、ワーケーション中だからと仕事を断ったりすることは、理屈的には難しい。結果、普通と同じようにスケジュールが埋まる。

それができるのがワーケーションのよいところでもある。でも同時に、ワーケーションでそれをしてはいけない、ということも今回、痛感した。

特に今回は、4日間のうち2日間で、3-4時間のオンラインのディスカッションや研修が入っていた。その他、通常のオンライン会議もいくつか入っていた。結果、お昼頃からはロッジに籠って、PC画面と向き合わなければならなかった。窓の外では、畑と木々と、その向こうの浅間山が黄金にくれなずみ、外に出られるようになった頃には、懐中電灯が必要なくらい真っ暗になっていた。枯木の間から瞬く星は、美しかったけれど。

滞在先のロッジ(写真右)

リモートになって、どこにいる人とでも、画面越しにすぐ話ができるようになったことは、すばらしいことだと思う。それによって、可能性は広がった。

だけど。そこでしか会えない人、一緒にいるからこそできること、話せること、通じ合えること。そこにしかない音、匂い、光、空気、感触。目の前で刻々とドラマチックに姿を変えていく自然。そういうものの価値は、圧倒的だ。

いつでも、どこでも、ではなくて、いま、ここにしかないもの。

ワーケーションで一番大事なことは、そこなのじゃないかと。通常通りの仕事のスケジュールを旅先でもこなす、というスタイルを否定するものではないけれど。

それに加えて、今回は、大小さまざまなタスクを抱えていて(抱えているような気になっていて)、その中には胃が痛くなる問題が含まれていて、頭の中がワサワサと整理がつかない状態が続いていた。雄大な自然に囲まれながら、常に何かしないといけないような焦りが頭から離れない。仕事に集中するでもなく、この場に集中するでもない。その中途半端さのせいで、仕事の傷口をさらに広げるという始末。

朝日が昇る前の浅間山


渓流沿いの散歩

というわけで、これからのワーケーションで同じ後悔をしないための覚書。(※ワーケーションのスタイルは人それぞれなので、あくまで私の場合です)

  • 仕事では必ず必要なことを予め整理しておいて、原則、それだけやればよい、とする。

  • 追加で出てきたものは、その時に処理したほうが心が落ち着くのであればやる、後でも支障なければ置いておく。

  • 何よりも、「いま、ここにしかないもの」を最優先に。そして、過ぎたことを後悔しない。「いま、ここ」を生きる。

  • 少しぐらい過活動になっても大丈夫なように、前後のスケジュールはゆとりを持たせる。

書いてしまうと、どれもこれも、ありきたりだけれど。いつも通りに仕事しないと、なんていうちっぽけな気真面目さより、「いま、ここ」にどーんと集中したほうが、仕事にとっても結果的によい、と信じ切れるかどうか。そう開き直れるかどうか。

ワーケーションって、「いま、ここ」を生きる力が問われているのかもしれない。

そんな気づきとともに、この地に暮らす人たちの雄大さに、自分の中途半端さを照らし合わせて「ちゃんと生きよう」、そう思えた4日間だった。

これまでになく後悔が大きかったけれど、それも含めて、ワーケーションという素敵な機会に感謝して。そして、これからはもっと、その機会を、ちゃんといかせる自分であれますようにと願って。

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