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あの頃は「できるかどうか」なんて考えてもいなかった

何かを始めようとするとき、いつから「できるかどうか」を考えるようになったんだろう。

3歳のころ、近くのバレエ教室を見学した。とたんに心が奪われて「やりたい!」と母にお願いして入れたもらうことになった。練習着のレオタードには名前代わりにタンポポの刺繍をしてくれると聞いて、いよいよ入れるのだとワクワクしたことを今でも覚えている。実際に始まると、先生の厳しい指導についていかれなくなったり、背の順で決まる発表会の役で男役が回ってきてがっかりしたり、そんなこんなで数年で辞めてしまうのだけれど。

時が経ち、小学校5年か6年のころ。中学受験生として、ぼんやりと憧れていた学校の文化祭に行った。そこでダンス部の舞台を観るやいなや「ここに入りたい!」と焦点が一気に絞られた。その時の舞台の様子は、今でも脳裏に残っている。そこから猛勉強して、無事に受験を通過した。進学校だったこともあり「ダンス部は忙しくて勉強がおろそかになるから」という母の反対を押し切って、脇目もふらずにダンス部に入った。そこで高校卒業までの6年間を送り、例にもれず浪人した。

あの頃は、やりたいかどうかしか、考えていなかった。とてもプリミティブで、とてもシンプルだった。少し後にははっきりするのだけれど、私にはバレエの才能も、ダンスの才能もない。でも、あの「やりたい!」という閃光が走った瞬間、「できるどうか」なんていう心配は寸分たりともよぎらない。ただただ、「やりたい」という希望の光に満たされていた。

こんなことを思い出したのは、最近、何か新しい挑戦を前にすると、「やりたいかどうか」よりも「できるかどうか」が先に立つことに気づいたからだ。

多くは仕事でのことだから、当然、あのころの習い事や部活動と一緒にはできない。お金をもらう以上は、できるかどうか、しかも、他の人より上手くできるかどうか、を考えなければいけない。冷静に、できるだけ客観的に、見定めなければいけない。

だけれども、「できるかどうか」の力があまりに強くなりすぎて、「やりたいかどうか」の光をまったく感じられなくなる時がある。まるで皆既月食のように。完全に覆い隠される。

「やりたい!」という、あのひたすらに純粋な光は、仕事のような責任のない場所だから生まれるものなのか。あるいは、そうなのかもしれない。今だって仕事じゃなければ、「できるかな」なんて冷静な分析屋が現れることなく、ただただ「やりたい」という光だけを頼りにやっていることもある。

それが仕事と融合していくことは、幸せなのか。「やりたい」は、仕事になったとたんに、「できるかな」屋さんが現れて、光を覆ってしまうのだろうか。かといって、「できるかどうか」を力ずくでどかして、「やりたいかどうか」だけを無防備にさらすのは、少々危険な気もする。

そんなことをつらつらと考えながら、やっぱりどこかで、あの頃の「やりたい」という強い光に目がくらむ瞬間を、懐かしく感じている。その光に満たされるのならば、それが仕事かどうか、お金になるかどうか、なんて、もう関係がないのかもしれない。

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