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「ふるさと納税」には、反対だった

ここ10年近く、友人たちが「ふるさと納税でもらった」という、各地の美味しいものをお裾分けしてくれ、その恩恵に預かってきた。そしてそのたびに心が揺れ動きながら、それでも、自分が「ふるさと納税」することには、ずっと抵抗を感じていた。

「ふるさと」のある人が、そこに残り暮らす人たちを想って、あるいは育ててくれた過去へ恩返しするようにお金を送り届けられることは、素敵だと思う。けれども、東京に生まれて東京で育ち、人生のほとんどを「都民」として過ごし、それ以外に「ふるさと」と呼べるほど深く繋がった土地がない立場として、日頃の生活を支えてくれている東京に背を向け、返礼品ほしさに縁もゆかりもない土地に納税先を付け替えてしまうのは、なんだか道徳に反するのではないか。そう思っていた。

それでも大晦日が近づくと、周囲の盛り上がりにつられて、一度はふるさと納税サイトを覗いてみる。けれど、そんな内なる葛藤をしているうちに時間切れになり、半ば「これでよかったのだ」とほっとしてページを閉じる。そんなことを何年か続けたのちの昨年末、はじめて、ふるさと納税をした。何もせずに遠吠えするより、やってみたらいいんじゃないか。と、いつもは入らないスイッチが入った。

せめて、その年に訪れた地や、仕事で関係した地、知人が住んでいる地など、何かしらの縁やゆかりがあるところに、という最初の方針は「返礼品」の津波にかき消された。そして最後は、一度も訪れたことがない、何の縁もゆかりもない土地への寄付に帰着した。

知らない土地から、お礼の言葉が届いた。間もなく、返礼品がそれに続いた。山梨県富士吉田市の羽毛ふとんと、兵庫県たつの市の無農薬玄米だ。


ふとんは、品自体はもちろん、タグや付属書の一つ一つが、職人の手で丁寧に作られ、「ふるさと」の誇りを背負っていることを語っていた。その日に、長年使ってきた羽毛ふとんと交換した。旧ふとんと比べてずいぶんと軽く薄かったのではじめは心配だったが、実際に入ってみると、ふんわりと暖かい空気の層に包まれて、幸せな気持ちで眠りに落ちた。

玄米は、ちょうど手元のお米がなくなった時に届いた。すぐに浸水させ、その晩に炊いた。かつて、家庭菜園の規模ながら有機・無農薬で野菜づくりをしていたから、それがどれだけ手間暇かかるものか、ある程度はわかっている。農家であればなおさらだ。農薬を使えはずっと経済的で効率的なはずなのに、あえて「無農薬」という茨の道を選び続けていることに頭が下がる思いで、「安心・安全」を美味しくいただいた。

富士吉田市にも、たつの市にも、行ったことがない。まして、羽毛ふとんを作る職人さんにも、無農薬の米づくりをする農家さんにも、会ったことがない。

けれど、毎日ふとんで眠るたび、お米を食べるたび、その土地の豊かさ、作り手の想いを、確実に着実に受け取っている。丁寧に作られたものたちが、私の生活を底上げしてくれる。そして、行ったことも会ったこともない、その土地や作り手への敬意や感謝が湧いてくる。まるで「ふるさと」の温かさに触れているような気持ちになる。

いつか、富士吉田市に、たつの市に、行ってみたい。そして、ふとんの職人さんや、米農家さんに、毎日の温かい眠りや、安心安全な食への感謝を伝えたい。

ふるさとだから、ふるさと納税をする。
それが本来の姿なのだろうけれど、
ふるさと納税をするから、ふるさとになる。
ふるさとができて、少し幸せになる。
もしかしたら、そんなことも、あるのかもしれない。

もっといえば、もともと私たちの生活は、見ず知らずの、無数の作り手によって支えられている。それは、日本全国、さらには国境すらはるかに超えて世界に広がる。世界中と繋がって、世界中に支えられて、自分の生活がある。それは、ふるさと納税をしてもしなくても、変わらない。だから「ふるさと納税」で、その当たり前に目が向いた、というだけのことなのかもしれない。

と同時に。その裏側で、人は流入し、税金は流出しつづける東京の現状に背を向けるわけにはいかない。快適で清潔な生活も、安全・安心な暮らしも、タダではない。

ふるさと納税で「ふるさと」ができて、少し幸せになる自分と。東京を住む街として選び、その街で幸せな暮らしを望むなら果たすべき責任がある自分と。その間を揺れ動きながら、これから自分なりのバランスを見つけていく。ただただ、目をつぶって反対するのではなく。

それが、はじめてのふるさと納税で感じたことだった。





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