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わたしの支出は、だれかの収入。その無限バトンパスの中にいる。

もうすぐ確定申告の季節がやってくる。

機械的で、決して楽しい作業ではない。でも、そんな作業をしながら、ふと「私の支出は、誰かの収入になっているんだな」という当たり前のことに思い当たったとき、そこに鼓動を感じ、少しだけ体温が生まれた。

1年間で、いろいろな仕事をする。そこで受け取った報酬が、「収入」へと収められていく。その時、その仕事を依頼してくれた人、プロセスを共にしてくれた人、最後にできたものを受け取ってくれた人、そんな人たちへの感謝で、ほんのり気持ちが温かくなる。

一方、支出はというと。電車に乗れば「交通費」へ、本を買えば「図書費」へ、会食をすれば「交際費」へと、味気のない支出項目に振り分けられていく。数も多いし、面倒くささの主たる原因にもなっている。

でも、ふと、その先に想いを馳せてみると。それを「受け取った側」を想像してみると。今ごろどこかで、私の支出を「収入」に入れている人がいる。私の知らない鉄道会社の人か、本屋さんか、レストランの人か、はたまた他の誰かか。そこに感謝の気持ちが伴っているかはわからないけれど。その人は、その収入をまた、自分にとって必要な何かへ支出する。それはまた、どこかの誰かの「収入」となっていく。

私は、そんな人々の営みのバトンパスの中にいる。いろいろなところからバトンを受け取り、いろいろなところへバトンを渡した。確定申告は、そんなバトンパスの1年間の記録なのだ。そう思うと、単なる数字の世界に、物語が生まれてくるような気がする。

もうすぐ確定申告の季節がやってくる。

世の中には、無数のバトンが永遠に回り続けている。回り続けるバトンが、世の中を動かしている。そのいくつかが、私を通り過ぎていく。そのご縁に感謝する日。そして、世の中に少しでも多くの幸せのバトンが回るように、次は何ができるかを考える日。そんな日にできたらと思っている。


#お金について考えていること

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