#エッセイ
16歳の自分が30歳の自分に書いた恥ずかしい手紙
昨日は母校に行って高校1年生のときのクラスメイトと会い、「30歳の自分へ」というタイムカプセルのような手紙を回収してきた。母校へ向かう電車の中では、一刻も早く葬り去りたい気持ちをそのままnoteに書いた。
学校で受け取ったその“手紙”は、ルーズリーフの1ページを半分に切り取り、封筒風に折り畳んだものだった。友達に見られるのが恥ずかしくて怖くて、その場では開けられなかった。
ようやく手紙を読んだ
たのしく生きることの凄さと尊さに気づいたとき
こんなことを自分で書くのは気恥ずかしいのだけど、少し前に、わたしのことを「いつも楽しそうなところがいいと思う」と言ってくれた人がいた。
自分としては、「いつも」は楽しくないのだけど、他者からはそう見えるのだろうか。誰かといるときはうれしくて楽しくなりがちだから、その人の前でだけ、いつも楽しそうに見えるのかもしれない。それでも、自分が楽しそうに見えるということを素直にうれしく思った。
数年前、と
「おいしかった」の記憶をつくるもの
久しぶりに外食しておいしいご飯を食べた日、ふと人生で一番おいしかったものって何だろう?と考えてみた。
数分くらい考え込んで思い浮かんだのは、数年前、父と、自分が付き合ってる彼と行ったお蕎麦屋さんで食べた「白子の天ぷら」だった。
これまで白子ポン酢は食べたことあったし大好きなのだけど、天ぷらで食べるのは生まれて初めて。熱々でとろっとしていて、感動するほどおいしかった。自分の中では、今のところこれ
good weather
カフェラテを飲んでちょっと気持ち悪くなった話を前のnoteに書いたけど、今日も今日とて懲りずにスタバにきた。
昨日のことをふまえて、一応スターバックスラテは避け、アーモンドラテを注文。ぜんぜん、大丈夫だった。気持ち悪くなんてないし、いつも通りおいしかった。
仕事のスケジュールがいろいろと後ろ倒しになっていて、特に重めの仕事に押しつぶされそうな気持ちでパソコンに向かう。全く消化しきれず、ずらりと
新しい世界を見たいより見せたい
いつかの伯山カレンというテレビ番組内。どんな恋人が理想かみたいなトークテーマで、神田伯山さんが滝沢カレンさんに「今の相手1人(=自分)としか付き合ったことない男性は、(恋人や結婚相手として)どう思いますか?」という趣旨の質問をする場面があった。
そこで滝川カレンさんが言った言葉、「こっちが新しい世界を見たいのに、なんで私が新しい世界見せなきゃいけないんだって思っちゃう」みたいな答えが、すごく好き
あの人だからできる、わたしだからできる
以前、飲み会の席かなにかで、誰かの功績について「〇〇さんだからできたんですよ〜」という言葉を聞いた。ちょっとめんどくさい、と思われるかもしれないし自分でも思うのだけど、わたしは、この表現が苦手だ。
「〇〇さんだからできたんですよ」という言葉の後に「自分にはきっとできません」というニュアンスを勝手に汲み取ってしまう。褒め言葉として使われてるとわかっていても、特別な才覚があったから成功できたんでしょ
ひとり泣きと、わたしかわいそう泣きの話
比較的、よく泣く。ヒューマンドラマや映画を見て、ひとりでボロ泣きするのが割と好きだ。
少しひねくれてるから、「日本中が涙した」みたいに最初から泣かせにかかってくる作品は、あまり好きじゃないけど。
作品を見て存分に泣くのはクセになっていて、ひとり旅行の飛行機でも、ボロ泣きしてしまうから困る。学生のときに飛行機で『ベイマックス』を見て、隣の席の人に気づかれてたかもな、と思うくらいには号泣した。
『三国駅』を聴いて思い出す人のこと
特定の曲を聴くと、思い浮かぶ人がいる。
Spotifyでaikoの三国駅を聴いていたら、なかなか会えずにいる友達を思い出した。実際に見たこともないのに、ふと、歌詞に出てくるボーリング場を思い浮かべてみたりする。
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その友達と出会ったのは大学生の冬で、とある農園で2週間くらいの農協体験をさせてもらったときだった。彼女はそこで農業をしていて、わたしより少し年上で、初めて会ったときは25