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さん付け問題

2月11日放送の『問わず語りの神田伯山』で、伯山さんが「以前の放送で米山隆一さんのことを呼び捨てにしたら、さん付けしろとネットで怒られた」という話をしていた。(それがメインのトークテーマだった訳じゃないのだけど。)

わたしは、誰かが誰かを呼び捨てにしてても、たとえ自分がとても好きで尊敬する人が呼び捨てされてても全く気にならない。ただ、それとは全く別のところで「むしろ、いろんな人をさん付けしてる自分ってどうなんだろう?」と思った。

フリーランスになる前後くらいから、わたしは会ったことない人でも有名人でも、できるだけ“さん付け”で呼ぶようにしている。

この習慣が身についたのは、3〜4年くらい前。フリーランスになる前に受講した、宣伝会議の編集・ライター養成講座がきっかけだ。そこでライターの佐藤友美さんが「いつかお仕事でご一緒したり取材したりする日がくるかもしれないから、どんな方でも“さん付け”をしている」みたいに言うのを聞いて、自分もそうしようと決めたのだった。

とはいえ、有名人やタレント、俳優、アーティストの方々をさん付けで呼ぶのは、どこかくすぐったい気持ちになるときもある。

大学生の頃、友達が星野源さんのアルバム『エピソード』を貸してくれた。当時は「星野源の曲、めっちゃいいね!」なんて言ってたのに、今は「星野源さんが○○に出てたね」なんて、さん付けしている。日記にも「星野源さんがあちこちオードリーで……」とか書いている。

ネットに文章を書くときは本人に見つかる可能性もあるし、さん付けするのは、全くもっていいと思う。でも、会話でふと「星野源さんが」と言うときは、またちょっと違ってくる。「関係者でもない自分が“さん付け”って、むしろ馴れ馴れしいかも?関係者でもなんでもないのに」と考えている自分がいる。

そんな風に、自ら“さん付け”しておきながら、「ちょっとしっくりこないかも」と感じる場面がときどきある。作家さんへの“さん付け”もそうだ。

以前のわたしは、「好きな作家さんは、角田光代と西加奈子と江國香織と伊坂幸太郎と……」みたいに呼び捨てしていた。でも、たとえば「好きな作家は?」と訊かれたときに「村上春樹さん」とか言葉にするのを想像すると、ビックネームすぎるゆえなのか、このほうが恐れ多いというか違和感がある気がする。文豪をの名前を挙げるのに、「太宰治さん」というようなニュアンスに近いかもしれない。

ほかにも言い出せばキリがないけど、外国人の方は呼び捨てしちゃうなぁ。

さん付けしたいときもあれば、愛称のように愛を込めてその名前を呼び捨てしたいときもあって、自分のなかの「さん付け問題」はまだまだ解決しそうにない。

ふと気づいたけど、お世話になってる美容師さんも、有名人やタレントさんに対して“さん付け”する人だった。もしかして、わたしに合わせてくれているのだろうか。それはわからないけど、ときにさん付けしながら、ときに思わず愛称や呼び捨てになりながら、ラジオや映画やテレビ番組について話す美容院の時間は、毎回とてもたのしい。

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