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あの人だからできる、わたしだからできる

以前、飲み会の席かなにかで、誰かの功績について「〇〇さんだからできたんですよ〜」という言葉を聞いた。ちょっとめんどくさい、と思われるかもしれないし自分でも思うのだけど、わたしは、この表現が苦手だ。

「〇〇さんだからできたんですよ」という言葉の後に「自分にはきっとできません」というニュアンスを勝手に汲み取ってしまう。褒め言葉として使われてるとわかっていても、特別な才覚があったから成功できたんでしょう、みたいに響く。


友達にこの話をしたら、「自分もたまに使うけどな」と言われた。「その人のセンスだからできたんだろうな」「自分じゃこの人には届かないな」と純粋な気持ちでその表現をするんだそう。

それでも、褒め言葉でもなんでも、才能やセンスより、それを支えてきた努力や思いに目を向ける方が、わたしは好きだと思った。才能があるのは素晴らしいことだし憧れもするけど、才能そのものよりも、才能に気づいて開花させたことや、それを無下に捨てなかったことに興味が湧く。

だから「○○さんだからできた」で終わりたくない。何かをできた才能じゃなくて、できたに至るまでに、どんな思いや努力や出来事があったのかを知りたい。才能やセンスで追いつけなくても、努力や考え方なら少しは理解できる。その人を近くに感じられるし、もっと好きになれる。


「○○さんだからできたんですよ」

この言葉には、自分にはできない、というニュアンスが隠れている気がする。でも、たとえ何かにおいては敵わなくても届かなくても、自分だからできる何かもあるって信じてしまう。

だからこそ「あの人だからできる」の向こう側にある努力や思いを知りたいのかもしれない。才能やセンスの裏側に、どこか小さく「わたしもできる」を見つけられる気がするから。


憧れの才能やセンスがなくても、わたしだからできる何かを見つけられたら嬉しい。

その何かがわからないまま、手探りで文章を書いては消すことを何度も繰り返して、やっぱり「自分だからできる」なんてないのかもなー、とぼんやり思う。もはやただの希望だ。せめて小さな「わたしもできる」を積み重ねていった先に何かあるんじゃないかと、諦められずにいる。

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