16歳の自分が30歳の自分に書いた恥ずかしい手紙
昨日は母校に行って高校1年生のときのクラスメイトと会い、「30歳の自分へ」というタイムカプセルのような手紙を回収してきた。母校へ向かう電車の中では、一刻も早く葬り去りたい気持ちをそのままnoteに書いた。
学校で受け取ったその“手紙”は、ルーズリーフの1ページを半分に切り取り、封筒風に折り畳んだものだった。友達に見られるのが恥ずかしくて怖くて、その場では開けられなかった。
ようやく手紙を読んだのは、クラスメイトと別れた後。ガラガラの電車の座席に座り、膝上に乗せた鞄の上で、折り畳まれたメモをひっそりと開けてみた。そこには、ありきたりで安っぽいポエムみたいなメッセージが綴られていた。
一人称、懐かしの顔文字、ツッコミの手を意味する矢印マークなどなど、いま読み返すと痛々しいところは多々ある。それを差し置いても、いたって安直でお気楽全開なことを、どこまでも真面目に書いているのがダサくて恥ずかしい。ほかの友達が「Don’t cry!!」とか「お腹痛い。」とか書いてあったと笑って教えてくれたのを思い出して、その軽やかさがうらやましくなる。こんな内容のない長文ポエム、友達の前で開けて見せなくて本当によかった。
とはいえ、とにかく楽しかったことだけは伝わってくる。高校1年生の頃のわたしは今よりもずっと単純な脳みそで、高校生活を楽しく過ごしていたらしい。そして幸せという抽象的な言葉に酔いしれて、ぽかぽかと浸っていた。
当時はつらい経験をしていないから安易に幸せでいられたのかといえば、そんなこともない。16年分の経験しか積んでいない甘ちゃんなりに、当時は悩んだり、苦しんだりもしていた。そのいろいろを書かずしての「とにかく、今、あたしはすごく幸せです。」である。あの頃の自分は、全力で幸せになろうとする天才だったらしい。
秋になれば、わたしは30歳になる。つらいことよりも幸せが勝るとばかりに「自分は幸せ」と言い切る16歳の清々しくてバカみたいな純粋さは、少し見習ってもいいかなと思う。
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