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古くて古いダブルバインド理論

グレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学へ【中】』(岩波文庫)には、有名なダブルバインド理論についての文章が収録されている。

統合失調症の原因は、患者の親(とくに母親)の子への接し方にあるとするものだ。

子への愛情を欠いた母親が、その事実を隠蔽するような歪んだ接し方をすると、子は統合失調症になるのだという。


しかし、こうした考え方は現代の精神医学では廃れている。

統合失調症は心因性ではなく、内因性の病気という見方が主流だ。

そもそも一般的に言って、子の病気を問答無用で親の育て方のせいにするのは乱暴な議論である。

よほどの証拠がなければ、そんな因果関係を主張すべきではない。

おそらく、そのような因果関係は実証不可能だ。というより、何を示せば実証したことになるのかについての合意の形成が不可能であろう。

また、親の接し方が原因という主張から、「接し方を変えれば統合失調症は治る」と勘違いする親が出てくる恐れがある。それによって服薬を軽んじてしまっては本末転倒だ。


現代的な観点からすると、ダブルバインド理論は問題だらけなのである。

1950年代に生まれた古い理論なので仕方ないこととも言える。

ところが、岩波文庫版が出たのは今年(2023年)だ。

何らかの但し書きが付記されて然るべきだが、私の期待は裏切られた。

訳者の佐藤良明による解説では、上記のような現代的観点は皆無だった。


佐藤は「統合失調症とは、率直に言って、当時も今も、原因も治療法も分かっていない」(p.379)と書いている。

50年代から何の進展もないかのような言い方だ。

実際は、原因については、内因性という見方が強まったという点で進展している。

治療法も、完治という形ではないが、薬の開発が進んでいるので当時よりも効果的な薬が今では存在する。

そのあとの「したがって症状も画定されていない」(p.379)という記述は、私には意味すら解らない。

統合失調症の症状は多様で、患者によって大きく違っていたりするが、「画定されていない」とはどういう意味なのか? 同じ患者でも、統合失調症か否か医師によって意見が分かれるということか?

意見が分かれるケースがあるにせよ、医師は幻聴や妄想などの症状を診て診断を下すのであり、それは精神医学の蓄積に基づいている。当てずっぽうでやっているのではない。


本書を読んで、ダブルバインド理論を鵜呑みにする人が増えていくことが心配だ。

岩波文庫というメジャーな媒体が、古色蒼然とした病因論を広めているのは、人文学の危機・怠慢に他ならない。

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