蜘蛛の糸が切れた理由
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、シンプルな話のわりに様々な解釈がなされているようだ。
とりわけ、「なぜ蜘蛛の糸は切れたのか」「犍陀多はどうすれば地獄から脱出できたのか」といったテーマがポピュラーで、道徳の教科書にも載っている。
その答として、エゴイズム(の克服)が挙げられたりもするが、筆者の考えでは重要なのはそこではない。
彼が地獄からの脱出に成功しないことは、他の罪人たちが糸を登り始めるもっと前から分かっていたのだ。
天から垂れてきた蜘蛛の糸を発見したとき、すでに犍陀多の運命は決まっていた。
糸に込められた'意図'に、気づかなかったからだ。
彼は生前、一匹の蜘蛛を殺さずに見逃した。
釈迦はこのことを評価して脱出のチャンスを与えたわけだが、本人は蜘蛛の糸を見ても、その出来事を思い出せなかった。
そして、糸は切れた。
ここにおいて、「犍陀多は自分にも慈悲の心があるという事実に気づけなかった、だから改心できなかった」ということが寓意的に示されているのである。
自分の良いところを自覚すること。
これが改心の第一歩なのだ。
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