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『国語力』は、子ども達の生きる力になる。~「ルポ 誰が国語力を殺すのか」読了して~

こんばんは〜honaです!毎日投稿中です!

今日は、国語力は子ども達の生きる力になると感じたことについて残したいと思います。

以前も記事で少し紹介しましたが、以下の本を読了しましたので、改めて感じたことを残したいと思います。


「国語力」をキーワードに論じている意味。それは「生きる力」だから。


タイトルに「国語力」と言う表現がありますが、最初のほうの章で子ども達が置かれる辛い状況について読んでいるときは、こうした子どもの問題についてなぜ「国語力」をキーワードにしているんだろう?と正直疑問に思っていました。

しかしながら、読み終えた今は、子供たちだけでなく私たち人間が生きていく上で「国語力」は非常に重要なんだということがよくわかりました。

私たち人間は、社会的な生き物です。社会的な生き物として生きていくには、やはり「言葉」と言うツールが、必要不可欠であるでしょう。

言語を操ることによって、私たちは自分の考えていることを他者に伝えることができて、現代のようにインターネットが普及している時代においては、SNSやブログなどを活用して、自分の知らない人々更には世界中に、その考えを発信することさえできてしまいます。
ある程度自分が思ったように言語を操り相手に意見を伝える事はある意味技術であり、自分の目標達成や、周囲の人や社会に役立つために必要不可欠な技術である、と言えると考えます。

つまり、国語力があることで、自分が頭の中でなんとなく考えていることを言語化し、さらにそれを他者に伝えることができる。そしてそれは、生きる上で必須のスキルである
当たり前に身につけていると思ってしまうその国語力が、近年低下していることを著者は指摘しています。

「国語力」を鍛えたいから、胸に響いた


こちらの書籍を読んで国語力の大切さが私の胸に響いたのは、まさに今私自身が国語力がないことを痛感して日々訓練している途中だからだと思います。

以前から記事でも何度か触れていますが、私は自分の考えを他者に説明したり発表したりするのが苦手です。30代も半ばになって恥ずかしい限りです。
苦手な理由は、子供の頃から読書の習慣がなかったことや、学校教育で国語力を養えなかったことが関わっていると思いますが、結局「自分の考えをうまく言葉にすることをしてこなかったから」だと思っています。

やりたいことが何か。好きな事は何か。どんな仕事をしたいのか。
自分の心と向き合うことをせずに、そしてその重要さに今まで気づかずに、自分が本当に感じている感覚や様々な事象に対する考え方などを、その都度言語化してこなかったと、振り返って思います。

だから、こちらの書籍で取り上げられている、国語力の養成に力を入れている学校に私も通いたかったな、そんな教育を受けたかったなと思わずにはいられませんでした。


国語力を養成する授業。1つめ、日本女子附属中学校『文庫本一冊を使う授業』


というわけで、ここで書籍から、私が自分も受けたい!と思った授業の事例を、2つ紹介したいと思います!

1つ目は、日本女子附属中学校の2年生の国語の授業です。

神奈川県川崎市にある日本女子大学附属中学校・高等学校は、国語力の育成に定評があるそうです。

すべての教科の中心に国語を据えて、中高の六年間を通して生徒に考える力、想像する力、表現する力を身につけさせることに並々ならぬ力を入れているという。 この学校の国語の授業では文庫本一冊を一学期間かけて精読していくという。

書籍より引用

そして同校の国語教諭は、こう語ったそうです。

「もし『アンネの日記』のような作品を丸ごとテキストにしたらどうでしょうか。クラスみんなで一つの作品に何カ月も向き合って、時代背景を勉強し、いろんな角度から読み解き、語り合うことができます。それが社会や人間の複雑さを理解することになり、社会で生きていく力を育むことになるのは明らかです。文庫本一冊をテキストにしているのは、本校が生徒たちの〝心を耕す〟人間教育に重きを置いているからなのです」

書籍より引用

これを読んで、私は先日の記事で、物事が上達するには適切なコーチングも必要と残したのですが、この授業はもしかしたら国語力養成についての適切なコーチングになっているのかもしれない、と感じました。
励まし合う仲間やコーチがいることで、一人ぼっちでおこなうよりも前進しやすくなる。それが、この授業を通して生徒達に、実際に起こっているような気がしました。

2つめ、開智日本橋学園中学校『哲学対話』の授業


もう一つは、開智日本橋学園中学校の1年生の「哲学対話」と言う授業の話です。

東京都中央区の日本橋馬喰町にある開智日本橋学園中学校・高等学校は、国際バカロレア(IB)の認定を受けてグローバル人材の育成を目指しているそうです。
※国際バカロレア機構はスイスのジュネーブに本部を置く非営利団体であり、探究型学習のプログラムを提供している。その認定校を卒業すれば、日本の高校卒業資格だけでなく、海外の大学入学に必要な資格・評価を取得できることになっている。

「哲学対話」と言う言葉自体、私はここで初めて知りました。
その授業は、答えのない問いについて生徒みんなが意見を出し合う、というもの。問いは例えば、「なぜ差別が生まれるのか」「魚は何を思っているのか」「いいことをして報われないのはなぜか」など、自由だそうです。
同校の教頭先生は、哲学対話についてこのように語られています。

「埼玉での経験から、哲学対話が生徒に素晴らしい影響をもたらすのは明らかでした。哲学対話で行うのは、最近ブームになっている〝論破〟とは真逆のことです。人の話をきちんと聞き入れた上で、自分の意見を述べ、さらにいろんな人たちとの対話の中で思考を深めて柔軟に自分の意見を変えていく。答えがないわけですから、沈黙も一つの表現として見なされます。」

実際の授業の様子が、詳細に書籍に綴られているので、ぜひぜひ読んでいただきたいです!ここでは言い尽くせないくらい、心に残ります。

現代の子ども達、いや大人もかもしれませんが、何事にも「正解」を求めてしまいがちです。仕方ありません、基本的にはそういった教育を受けてきているのですから。
そんななか、「哲学対話」で「答えのない問い」に向き合うことは、子ども達の「国語力」を育むだけでなく、「心」で感じる何かを残してあげられるんじゃないかと感じました。
また大人になってから、そうした問いに仲間たちと話し合う機会だってそんなに無いと思うので、貴重なことだと思います。


小1息子の学校環境を考える上でも学びだった


また、小1息子の学校環境を考える上でも、今回の書籍は非常に参考になりました。
息子は小学校に行くのが楽しくないタイミングもあるようで、理由は、友達の事は大好きだけれども、算数や国語の授業のレベルが自分には易しすぎると言う思いがあるようです。
どうにか彼が少しでも学校を楽しめるようにと、他にもしかしたらもっと彼に合う環境があるのかも?と思い悩んでいるところです。
そういった検討をする上で、国語力を養成する環境が進学先で与えられるかどうかも重要だ、という視点をもつことができました。


最後に。少しずつ変えていくために、発言していく


こうした授業が、公立学校で展開されるのは、ハードルは低いものではないでしょう。
しかしながら著者もおっしゃっているように、私学の実例をもとに公立学校でもできることから取り組むことはできるし、教育委員会や自治体国などが取り組みをしやすい環境を整備することも必要です。

そのために、私達保護者や地域住民も胡坐をかかずに、意見をどんどん発言していくことは、少しずつでも変化を起こしていく原動力になるのではないかと考えています。

長くなりましたが💦
私も子ども達に置いていかれないように、このnoteで思いを言語化していって、国語力を高めていくぞー!

では今日はこの辺で。

お読みいただきありがとうございました!


hona


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