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全然映画の感想じゃない
軽い気持ちで選んだラブストーリーを観て大泣きしてしまった。
私、なんだかいつも驚くほど簡単に泣く。ただ涙もろいのではなく、本来の物語から勝手に脱輪し、勝手に想像を膨らませて勝手に泣いている。
今回の映画も、気がついたらストーリーとは全然関係がないことを考えて泣いていた。「愛しさと死をときどき一緒に思い浮かべてしまうのはなぜか」ということである。
主人公の女性に想いを寄せる男性が、時間が止まった
フレーム・パー・セカンド
時間の感じ方について、ダンス部で初めて舞台に立った日の記憶がある。踊っている最中、何度も練習した曲がいつもより少し遅いテンポで聞こえて不思議に感じたのだった。そのあとしばらくして「動物は寿命の長さが違っても一生の脈拍数は同じくらい」という話を聞いたときに、あの感覚はこれかも、と思った。
一生の脈拍数が同じということはつまり寿命が短い動物の脈は速く、長く生きる動物はその逆であり、その結果として”感
カラフルかつパワフル
映画館で『ゴーストワールド』を観て、その日のうちにまんまと鮮やかな色の服を買った。この冬の私には明らかに色が足りない!
とびきりカラフルでパワフルなものを観るぞ〜と出かけたものの、思いのほか苦しい余韻が続く映画だったな。この作品のことは「あの2人」の物語だと聞いていたけど、いや、これは主人公ひとりのお話じゃん……。
彼女のことをすてきだとか痛いなとか不憫だなとか色々に感じはしたけど、それにしても
片目でのぞいて、ずっと覚えて
人前でカメラを使ってたら「ひとみさんは左目で写真を撮るんだね〜」と言われて絶句してしまった。写真を撮る瞬間に自分は片目だ、ということをその時はじめて自覚した。
いやそれにしてもカメラで写真を撮り始めたのはもう15年くらい前で、今まで私はずーっと左目で写真を撮っていたのか。写真を撮る行為については何度も何度も考えているのに、その時自分がどんな状態でいるかに思いを馳せたことは一瞬たりともなかった。その
世界にとり残される季節の特別なさびしさについて
カメラロールの写真が1枚も増えていないのを毎朝一瞬だけ確認する日々。
お盆の直前に体調を崩して、予定キャンセルのち休養のち仕事と雑務、と1人であくせくしていたらあっという間に平穏な日常から遠ざかっていた。
回復して久しぶりに外へ出てみるといい天気なのに世界が驚くほど静かで、ああこれは年末と同じ空虚だ、自分以外の全員に予定がある日、みたいなさびしさ!!
と悲観にくれようとしたが暑くてやめた。
真夏
せわしなくて透明になる
最近の生活、ずっと目が回っているようだ。
仕事が地味~に忙しくて、朝はちょっと早く出るし帰りはちょっとだけ遅いし帰宅するとなんかもうクタクタで、気絶するように寝ている。当たり前だけど仕事中は仕事に時間を使っているわけだし、そのあとがクタクタとなるとあまりその他のことができない。できないどころか意識すら向かなくなってきた気がする。そうなると仕事が唯一にして最大の活動じゃん?というのを内心は否定してる
距離は厚みでもあってほしい
いつからか、人に対する「愛着」という感情をうしろめたく感じている。
なぜならそれが自分本位な心の動きだからで、そんなものをあまり信頼したくないからだ。
たとえば自分の周囲にいる人たちについて「私が ”この人とはとても親しい・相手も自分のことをある程度好いている” と思うのは、相手からそう感じるのではなく単に強い愛着心の裏返しなのではないか?」と思うことがある。極端にいえば、自分が親しみや好意を感
人生は短いし、できれば独りでいないほうがいい
こんな感じの台詞があった。最近観た映画のワンシーンだ。死とか性とか汚物とか狂気とか、私たちが苦手な(なぜなら理解できないうえに抗えないから)ダークサイドの"逃れられなさ"について力の限り愛おしく編まれた物語で、あたたかいような冷たいような不思議な気持ちになった。
人間が苦手な、逃れられないし理解できないもの(つまり本能?運命?性?業?)を仮に暗闇と呼ぶことにしよう。
近ごろ様々な暗闇についてたび
そんな論理はない日記
春めいてきたようで、まだまだ長い冬と春の間だ。
3月になってから仕事の時間がとてもせわしなく、少し参ってしまった。やる人のいない業務を引き受けたり知らない人からの理不尽な叱責に耐えるだけの日があったり、不条理!!と心の中で叫ぶ一方、こんなことで弱音を吐くとは若手の甘えをいつまで続けるつもりだよと情けなくなってもいるここ1週間である。
せわしない時に感じる絶望には言葉にまつわるものが多い。
「今日