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キューバの音楽シーンを辿る旅 ver.2 / キューバ革命から、ブエナビスタソシアルクラブ〜現代を生きるキューバ由来のアーチスト

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ブエナビスタソシアルクラブ

1999年.
「ブエナビスタソシアルクラブ」という映画が公開されました。



そこには、かつて1950年代に米国や中米、特にキューバで沸き起こったソンと呼ばれるキューバ音楽(当時は、ソンの進化系であるサルサが主流となっていました)、そしてその演奏者他の姿が40年ぶりに映し出されていました。

一言でいうと、エキゾチックなムード。濃密な夜の中に咲きほこる薔薇や、ジャスミンの香りのような。。

それでいて、米国土着のブルーズのような、枯れた味わいも感じられる音がつまっておりました。

当時、大学にてスペイン語を専攻しており、スペインや南米の歴史も学ぶ機会がありました。歴史=世界史としてのキューバは理解しておりましたが、そこに文化(音楽、文学や美術などの芸術や、日常の生活スタイル)を交えて理解していなかったことにも、この映画を見て気が付きました。

そのころから、時間を見つけては、歴史×芸術という考え方で、キューバという国の数奇な運命や、キューバ革命やチェ・ゲバラの事、中南米との関係性、米国との関係性について調べてきました。

今回、頭の中にあるそれらを、書き出してみようと思います。

キューバ革命に至る道

キューバという国は、1959年のキューバ革命以前と以後でざっくり分けることができます。キューバ革命以前は、米国との関係性が非常に深いのが特徴。(革命以降もある意味関係性が深いのですが。。)

1)1492年大航海時代の影響

まず、この地域が歴史に大きく記されるのはコロンブスらの大航海時代から。この大航海時代が、大きな冒険譚のような響きとは裏腹に略奪と征服の時代だったことは歴史的に明らかです。

もともとキューバを含む、この地域には先住民族が11万人ほど居住していたらしいのですが、西洋人の持ち込んだ疫病(ウィルス)や強圧な使役の結果、50年後にはその人数が5千人ほどになってしまっていたそうです。残された遺物以外には彼らの文化を伝えるものはありません。


2)1512年奴隷貿易の影響

西洋人のための人工(にんく)がいなくなってしまったことで、労働人材不足となり、、、そう、ここでこの地にも、アフリカの地より奴隷が連れてこられることになります。アフリカ、アメリカ、中米(キューバ)をつなぐ航路があったらしいです。

この奴隷により、この地の農業の発展が促されていきます。何度かの反乱とその鎮圧を繰り返し、奴隷制度自体は1886年(日本の明治維新のころですね)には廃止されるのですが、それまでの350年間は奴隷制度が続いていた。。ということになります。

3)アフリカの民族による芸術的影響

そして、ここで、音楽の分野で、特筆すべき発展がありました。
アフリカの民は、この地で農作業の傍ら、ギターや太鼓を叩き、踊り、そしてそれを祈りの儀式に変えていきました。

彼らのこの感情の発露が、宗教的な意味合いを持ち始め、さらに、現地に居住していた西洋人(白人)の文化も交じり合っていきます。

キューバ、アフリカ、スペインの血が交じり合って、、、、そして、アフリカから持ち込まれた土着の音楽(ルンバと呼ばれるもの)、西洋人が持ち込んだ中世欧州の音楽(ダンソンと呼ばれるもの)も、次第に交じり合って、、、18世紀末には「ソン」と呼ばれるキューバ独特の音楽が誕生します。

↑ルンバ

↑ダンソン


↑ソンの例

4)1920年代米国の禁酒法の影響

1920年代に始まった禁酒法の時代。米国人は、表立ってアルコールを摂取できなくなったため、法の影響が及ばない地域、キューバのハバナへと向かいました。

そして、1920年代のニューオーリンズなどのビッグバンドジャズの先駆けのような米国音楽をこの地に持ち込むことになります。

↑禁酒法時代に暗躍したマフィアとの戦いを描いた名作「アンタッチャブル」の名シーン。

この流れで、1920年代~30年代にかけて、米国の初期のジャズの影響を受けたキューバの「ソン」の演奏者は活躍の場を求めて、渡米。主にニューヨークに拠点を据えて演奏活動を行っていきました。米国、キューバの文化的な交流もさかんだったようです。

「ソン」×「初期のビッグバンドジャズ」が交じり合うことで、のちに「アフロキューバジャズ」「マンボ」「チャチャチャ」と呼ばれる音楽が、米国、キューバで同時多発的に生まれていきます。

↑アフロキューバジャズ

そして、1920年代に彼の地に渡ったヒスパニック系ミュージシャンの遺伝子の系譜の果てに生まれたのが、50年代に一大ブームとなる「サルサ」です。

↑50-60年代サルサ

5)キューバ独立後の米国からの影響

1895年、統治国であるスペインに対し最初の反乱がおきました。(リーダーの名前がホセ・マルティ。彼の精神は現代キューバにも大きな影響を与えているのだとか)

↑ホセ・マルティ


当時、プランテーションで栽培される砂糖の主要取引先は米国でした。米国はこの地の主導権を握る意欲が強く、ホセ・マルティの独立戦争ををきっかけとして、米西戦争へと発展していきます。

結果、キューバは1902年にスペインからの独立を果たすも、経済の主導権は米国に握られたままの状態となります。(なお、独立の翌年に建てられたのが、悪名高いグアンタナモ基地)。そして、50年後、、、1952年、米国傀儡のバチスタ政権の誕生となります。

彼の人民を顧みないアメリカ寄りの政治活動が、1952年当時の若者たちの心に政権打倒の火をともらせていくことになります。

これが7年後のキューバ革命へと至る道になります。

キューバ革命、チェ・ゲバラのこと、これが音楽に与えた影響は次回にいたします。

では、今回の最後に、ブエナビスタソシアルクラブから、「Candela」です。次回もご期待ください。




前回はこちらです。

6、アメリカとキューバの国交回復

2015年
オバマ大統領の時代、歴史は、まさに歴史的な出来事を用意していました。54年ぶりに、キューバとアメリカの国交が回復されました。

革命以降、キューバはアメリカとの干渉の戦いの中でその歴史を刻んできました。

この54年という年月がもたらした芸術面への影響はどんなものだったか。

キューバ革命からのキューバの文化・芸術、特に音楽的側面について書いてみます。


7、「モーターサイクルダイアリーズ」


「モーターサイクルダイアリーズ」というのは、若き日のチェ・ゲバラを描いた作品です。

彼はアルゼンチンに生まれ、青年期にバイクを手に入れ、そのバイクで南米を駆け抜ける旅にでます。

その結果目にしたもの。

南米の地方の人々の恵まれない境遇、南米の政治自体が歪んでおりこういった地方まで行き届いていない点、そもそも何かを打破しないと変わらない状況がそこにありました。

この若き日の旅が、彼の心に何事かの火を灯したのは間違いありません。


8、南米の実情

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