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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 中編 22

 沈みゆく日に照らされた大海原に、小舟がゆっくりと進んでゆく。

 宝大王は、一人小船に揺られていた。

 ―― 皆は何処に行ったのかしら?

 舟底に、波が砕ける音だけが響き渡る。

 いや、一人ではない、舳に誰か座っているらしい。

 ―― 誰、誰なの?

 逆光で顔が見えない。

 ―― 高向様……、高向様ですか?

 彼女は立ち上がり、舳へと足を進める。

 舟が、大きく揺れる。

 次の瞬間、彼女は真っ暗な海の中にいた。

 ―― く、苦しい……、誰か助けて……

 彼女の体がゆっくりと沈んでゆく。

 ―― もう駄目………………

 彼女はゆっくりと目を開ける。

 周囲は真っ暗である。

 だが、彼女の目に温かな光が飛び込んできた。

 ―― 高向様なのね? 

 あなたなのね?

 彼女は、その光を高向王だと確信していた。

 ―― ようやく迎えに来てくださったのね?

 光の方へと泳いで行く。

 ―― あなた………………

 前に進めない? なぜ? 

 彼女は踠く。

 踠けば踠く程、体が沈んでゆく。

 彼女は足下を見た。

 卒倒しそうになった。

 右足に、蘇我蝦夷がしがみ付いている!

 左足には、蘇我入鹿がしがみ付いている!

 彼女の足に纏わりついているのは、蘇我親子だけではない。

 古人皇子がいた!

 蘇我倉麻呂がいた!

 軽皇子がいた!

 有間皇子がいた!

 そして、彼らの家族が、彼女の体を海深く引き摺り込んでいった。

 もう抵抗する力はなかった………………「……様、大王様、大王様!」

 宝大王は、采女の声に目を覚ました。

 夕日が差し込む薄暗い部屋の中にいた。

「大王様、如何なさいました? ご気分が優れないのですか?」

 しばし空を見た。

「あなた……」

「はい?」

「いえ、こっちの話です」

「そうですか……、お疲れのようでしたら、湯に入られては如何ですか? 疲れがとれますわ」

「そうね……」

 斉明天皇の治世七7(661)年1月14日、御座船は伊予の熟田津(にきたつ)に停泊し、宝大王一行は石湯行宮(いわゆのかりみや)に入った。

 熟田津の推定地には、愛媛県松山市古三津と堀江町・和気町の二説がある。

 なお、石湯は現在の道後温泉である。

 宝大王も、この温泉に浸かったことだろう。

 因みに、厩戸皇子(うまやとのみこ)も道後温泉に来たと伝えられている。

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