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正直に、まじめに、ささやかに、一生懸命生きて、叔父ちゃんは逝った

叔父ちゃんが亡くなったという知らせを聞いて、東京へ向かった。

叔父ちゃんは父さんの弟で、知的障害があった。
最後に叔父ちゃんに会ったのは、父さんの葬儀のときだったかもしれない。
1994年、父さんは突然逝ってしまった。

今思えば、父さんが逝くときに一番気がかりだったのは、叔父ちゃんのことだったんじゃないかという気がする。

生い立ち

私の祖母にあたる人は、父と叔母と叔父を産んで、若いうちに亡くなってしまった。
父は子どもの頃の話をほとんどしなかったから、詳しいことは知らない。
祖母が亡くなって残された父たち兄弟3人は、祖母の実家に引き取られて育ったらしかった。

詳しいことはこちらでどうぞ ↓

故郷から東京へ

父は、叔母や叔父より一足先に東京に出て、大工になった。
叔母は、同郷の人と結婚した。
叔母夫婦は東京で鉄工所を営むことになり、叔父ちゃんは、叔母ちゃんにつれられて上京し、その鉄工所の手伝いをして働くことになった。

叔父ちゃんは、いわゆる「読み書きそろばん」はできなかったみたいだけど、おとなしくて、まじめで、コツコツと働く人だった。
難しいことはわからなかったけど、できることはまじめに一生懸命やった。

鉄工所の2階に住むところを作ってもらって、そこで暮らしていた。
うちでは、叔母ちゃんの夫だった人を「東京のおじさん」と呼んでいた。
高度成長時代だったこともあって、東京のおじさんの鉄工所は、うまくいっていたみたいだった。

「東京のおじさん」と「父さん」の死


東京のおじさんは、58歳のときに、くも膜下出血で倒れ、亡くなった。
その時はまだ父さんは生きていたけど、数年後に父さんも逝ってしまった。

私の母は、叔母ちゃんや叔父ちゃんを嫌っていたので、父さんが死んでからは次第に付き合いがなくなっていった。
その母も、先月亡くなった。
私は遠方に引っ越してしまって、自分の生活や子育てに明け暮れて、年賀状もろくに出さなかったので、連絡先もわからなくなっていた。

だから、叔母ちゃんや叔父ちゃんのことは、どうしているかわからないまま、月日が流れた。

訃報

叔母ちゃんの一人娘である従妹から、東京で暮らしている私の妹に、叔父ちゃんが亡くなったという連絡がきた。
妹は一番長く実家にいて、結婚したのも父が亡くなった後だったから、従妹が連絡先を知っていたのだった。

妹から、私と弟宛てに、葬儀の日程と会場が記されたメールが送信された。

妹は、近くに住んでいるから「顔を出す」けど、「お姉ちゃんは遠いし、コロナもあるから無理しなくていいよ」と書いてあった。

そんな訳にはいかないよ。
叔父ちゃんのことは、叔母ちゃんと従妹にまかせっきりだったんだから。
父さんが死んじゃって、私たちは何にもしなかったんだから。
ちゃんとお別れをして、叔母ちゃんと従妹にお礼を言わなきゃね。

前夜

東京のおじさんが亡くなったために、叔父ちゃんがそれまで働いていた鉄工所がなくなった。
その後、知的障害のある叔父ちゃんがどんな暮らしをしていたか、何も知らなかった。

もしかしたら生活保護だったかもしれない、と思った。
たとえそうだったとしても、叔母ちゃんたちを責めることはできないし、看取ってくれたのだからお礼を言おうと思っていた。
とにかく、きちんと知らなければいけない。

父さんがあんなに早く急に逝ってしまったから、私たち兄弟は、叔父ちゃんの相続人でもある。
仕事で葬儀に出られない弟と電話で話をして「もし叔父ちゃんが遺した財産があれば、全部叔母ちゃんにあげる」ことで一致した。

お見送り

叔母ちゃん親子と、私と、妹の4人で、叔父ちゃんを見送った。
25年ぶりぐらいに会った叔母ちゃんは「賑やかに送ってあげられてよかった」「きっと喜んでるよ」「来てくれてありがとう」と言ってくれた。

叔父ちゃんは、叔母ちゃんの近所に住んで、よく顔を見せていたという。
仕事を紹介してくれた人がいて、病院の清掃をしていたということだった。
80歳をすぎても、週に1回はビルの清掃に行って、家の近所にあった畑の畑仕事も手伝っていたらしい。叔父ちゃんが手伝っていた畑の人は、喜んでくれてたらしかった。

去年、85歳で脳梗塞のために不自由になって、病院から施設に入ってリハビリをしていた。
家に帰りたいと言って、施設の窓から見える、家の近くのスーパーを見ていたらしい。

施設で、お誕生日を祝ってもらって「赤飯とケーキが出た」って喜んで、叔母ちゃんに話したんだという。
叔母ちゃんは、お誕生日に施設の人が書いてくれた寄せ書きを、叔父ちゃんの棺の中に、一緒に入れた。

父さんへ

叔父ちゃんは、借金もなく、貯金を残して逝きました。
遊ぶでもなく、ただ働いて働いて、一生懸命生きたそうです。
欲張らず、憎まず、ひがまず、争わず・・・
誰にも迷惑をかけず、ひとりで生き抜いていました。
正直で、まじめで、ささやかな生涯でした。

すごいです。

よくやったなって、ほめてあげてね・・・


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