ひらひら

「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ(西行)」若い頃この歌が好きでした。今…

ひらひら

「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ(西行)」若い頃この歌が好きでした。今も好きです。私の友は「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる(芭蕉)」が好きでした。あれから波乱万丈ありました。振り返ってあれこれ思うことを、noteという空に投げます・・・誰か受け取ってね!

最近の記事

正直に、まじめに、ささやかに、一生懸命生きて、叔父ちゃんは逝った

叔父ちゃんが亡くなったという知らせを聞いて、東京へ向かった。 叔父ちゃんは父さんの弟で、知的障害があった。 最後に叔父ちゃんに会ったのは、父さんの葬儀のときだったかもしれない。 1994年、父さんは突然逝ってしまった。 今思えば、父さんが逝くときに一番気がかりだったのは、叔父ちゃんのことだったんじゃないかという気がする。 生い立ち私の祖母にあたる人は、父と叔母と叔父を産んで、若いうちに亡くなってしまった。 父は子どもの頃の話をほとんどしなかったから、詳しいことは知らない

    • あのひとを捜すかもしれない

      もし認知症になるのなら、ごはんを食べたばかりなのに「ごはんを食べさせてもらえない」と言うのではなく、ごはんを食べさせてもらってなくても「ごはんおいしかった」って言っちゃうような、そんなおばあちゃんになりたいと、思っていた。 そんな私は、あるおばあちゃんとの遭遇によって、ちょっと気が変わった。 「通帳がない」おばあちゃん市役所で出会ったそのおばあちゃんは「通帳がない」「通帳がなくなった」と言って、困っていた。 とりあえず市役所の受付のところへ、そのおばあちゃんを連れて行って

      • 振り返ってやっとわかることもある

        あのとき、私はなんて子どもだったんだろう・・・ 振り返ってみて、はじめてわかることもある。 代表選手は、なんといってもやっぱり「あいつ」のことだ。 出会い中学・高校とずっと友だちだった「あいつ」 なぜか、私の女友だちが次々と「あいつ」のことを好きになり、付き合ったり別れたりしてたから、結局ずっと私とは友だちだった「あいつ」 市の主催する「小学生キャンプ」の卒業生たちが、中学生から大学生まで、いろんな学校のいろんな年齢が集まって、有志でハイキングやキャンプを計画して出かけ

        • 祖母の人生(戦前の女性)

          1979年、私は、大学に進学するにあたって戸籍を提出する必要があり、自分の戸籍をはじめて見た。 そのとき、私の父は、父親の欄が空白であることを知った。 事情はわからないけれど、とにかく父には母の名前しか記載されていなかった。 思わず「私は馬の骨だ!」と思った。 でも、父のことは好きだった。 以来、私は自分のことを、立派な馬の骨だと思って、胸をはって(?)生きてきた。 父の家族 父は1929年(昭和4年)に生まれた。 祖母は、幼子の父を連れて嫁に行ったという。 私の父には妹

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          ハッピーエンドでよかった!(マチネの終わりに)

          アマゾンプライムで、映画「マチネの終わりに」が、ようやく無料で見られるようになったことに、昨夜遅く気がついた。 やっと見られる!とばかりに早速見る。 ネタバレも何も見たことがないから、無心である。 音楽っていいな、とか思いながら、パリ、ニューヨークと、ストーリーを追っていく。 この手の大人の恋物語は、切ない別れで終わることが多いから、ハラハラしながら見る。 終盤になって「もしかしたらハッピーエンドかもしれない」と、かすかな期待がよぎってきた。 でも最後まで油断してはいけ

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          最近ちょっと思うこと

          最近、ブログで稼げます、タイプの話がとても多いけど・・・ そういう類の方の中には、さらにブログ講座でまた稼ぐ、なんて方もいて。 働かないで、月に数日ブログ書いて、お金儲けて、海外旅行とか遊び歩いて・・・ 「いいでしょ!」とか言っちゃって・・・ 要するに、不労所得だよね。 そういう方々に、ぜひお願いしたいことがあります。 みなさん、しっかり税金を払って、さらにしっかりと寄付をしてください。 世の中には困っている人がたくさんいるのですから。 (私が困っているという訳ではな

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          PokémonGOがくれた、たくさんの贈り物

          私は、ゲームが配信されてから約半年後の 2017年2月5日、PokémonGOを始めた。 理由は、当時保育園児だった孫(男の子)がするポケモンの話を、まったく理解できなかったからで、ポケモンの話でも、なんとか孫とコミュニケーションをとれるようになりたい、と思ったからだった。 けれども、アラ還のおばさんが PokémonGOをやってみたら、いろんな嬉しいことがあった。 外出するようになったゲームを始めてみて、まず気がついたのは、家にいてもポケモンがまったく出てこない、とい

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          悔いはないと言いたいけれど、これだけは許せない

          これまでの人生を振り返ってみれば、あちこちに分かれ道があったことがわかる。 もう一度やり直せたとしても、あの時のあの状況で、私がした決断はやはり変わらないだろうと思う。 ただひとつ、自分の力ではどうしようもなかったことで、人生がゆがめられてしまったと思うことがある。 それは、高校入試の学校群制度である。 アラ還になっても、これだけはまだ許せない。 かつて、千葉県は、高校入試に学校群制度を導入したことがあった。 それは、幾つかの学校をまとめてグループ化し、自分の志望校の含

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