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悔いはないと言いたいけれど、これだけは許せない

これまでの人生を振り返ってみれば、あちこちに分かれ道があったことがわかる。
もう一度やり直せたとしても、あの時のあの状況で、私がした決断はやはり変わらないだろうと思う。

ただひとつ、自分の力ではどうしようもなかったことで、人生がゆがめられてしまったと思うことがある。

それは、高校入試の学校群制度である。
アラ還になっても、これだけはまだ許せない。

かつて、千葉県は、高校入試に学校群制度を導入したことがあった。
それは、幾つかの学校をまとめてグループ化し、自分の志望校の含まれるグループを受験する方式だった。
入試の点数が自分の志望校の上位20%に入った者は、自分の志望校に入学できるが、上位20%に入れなかった者は入試に合格しても進学する学校は県が決めるため、グループ内のどの高校に入るかを自分で選ぶことができない、という仕組みになっていた。
県は各高校の学力の平準化を目的としてこの制度を作ったのだった。

私は、家から少し遠いけれど、進学校であるにもかかわらず校風が自由で活気のあるA高校に行きたいと思っていた。私の成績は、普通の受験であれば絶対に合格できるものであったし、模試では常に500点中450点以上を維持していたから、上位20%という縛りがあっても十分に合格圏内に入っていた。


だが、入試の日は体調が悪く、500点中の420点台という、いつもより低い結果になってしまった。

結果として、私は志望校に行くことがかなわず、名前も知らなかった高校に行くことになった。
進学する学校が決まった日、私は家で、文字通り倒れ、母に体を揺さぶられて目を覚ました。倒れたときに打った頭が、ガンガンして痛かった。

名前も知らなかった高校は、進学校を目指している新設校だった。
そして、入学してすぐに行われた学力テストの結果は、学年で4位だった。

高校は、生徒の学力にあわせて授業を行うから、学校によって行われる授業がまったく違う。
授業は退屈で、同級生とは興味や関心がまるで違っていて、親しい友人もできなかった。
私の高校時代は、夢に描いていたものとはまったく違うものになってしまった。

そして、この学校群制度はあまりにも評判が悪かったため、3年間実施されただけで幕を閉じた。
私が受験したのは、この3年間のうちの、1年目だった。

もし、この制度がなければ、いくら体調が良くなくて420点台の点数だったとしても、私は間違いなく志望校に入学して、まったく違う高校時代をおくることができていただろうと思う。

そこで、生涯の友ができていたかもしれないし、人生の目標を見つけることができていたかもしれないと・・・ 
そうだったら、もしかしたら、違う人生があったかもしれないと、今でも思う。

#人生 #エッセイ #思い出 #自分

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