見出し画像

名月を見ながら満月を食べる。お月見タコスはどうだろう。


昨日投稿した創作ストーリー「バルコニーのベンチで、これからも。」は、#新しいお月見のお月見コンテストに向けて書いたものだ。


新しいお月見とは、今の暮らしに溶け込むお月見を提案し、尚且つバレンタインやクリスマスと同じくらい盛り上がるような、新たなシーズナルイベントとして押し上げたい!というような、とても夢のあるプロジェクト。


渥美まいこさんのこの記事を読み、なんて面白そうなんだ、新しいムーブメントを創り出すなんてすごい!と思った私。
自分もその"お月見仕掛け人"に是非ともなってみたいと思った。(必殺仕事人みたいで響きもかっこいい)

そこで私が突発的に思いついたのが「タコス」である。


これからのお月見のための「住、遊、食、語」のアイデア...。ふむ。
遊びやカルチャーも、流行、イベントに火を付けるいいエッセンスだと思うが、年齢層や地域の垣根を越えて誰もが文字通り食いつき、楽しめるのはやはり人間の三大欲求にも関わる「食」ではないだろうか。
そう思った私。

では、今ある月見団子や月見酒などの他に「お月見といえばこれだよね」とこれからのお月見を盛り上げる担い手となるような「食」とはなんだろう。


私は最初、やはり食べ物ならお月見をする時期にちょうど旬な物がよいかと、栗や梨、さんま、かぼちゃ、きのこ、柿あたりを想像してみた。

しかし、そもそも旬の食べ物は"食欲の秋"、”収穫の秋”と、既に大枠で秋の味覚としてフィーチャーされている。
かぼちゃに至っては、秋の味覚かつ「ハロウィン」というお月見のライバル(?)とも言えるようなシーズナルイベントでもよく見かける。
いわば秋のイベント主要選手だ。

旬な食べ物の方がその時期に手に入りやすいし、盛り上げやすいだろう。
しかし、いやだからこそ、その枠を出て突如火付け役になるくらいの精神で、意外な角度から新しいお月見を担うニューフェイスを探した方が勝てる(誰に?)のではないだろうか。

チョコレート先輩だってウナギ先輩だって、そうやってイベントの主役になったはずだ。
そこで、私が思いついたのが「タコス」である。



ところで私は、自分が日本人なんだから当たり前だと言われてしまうかもしれないが、日本が結構好きだ。
その理由の1つに「日本人は食やイベントに対していい意味で調子が良い」というのがあるのだが、この日本人のいい感じの調子の良さと、お月見と、タコスがうまくマッチしたら面白いのではないかと思ったのだ。

それは、私の独断と偏見が盛り込まれた以下3点のイメージから来ている。


1. 日本人は「それっぽいもの」が好き

日本人は食べ物と「それっぽい形・色のもの」を結びつけるのが好きな気がしている。
目玉に見えるから目玉焼きと言ってみたり、それを秋のある時期にはパンに挟んで「月見バーガー」として食べたり、月見そばなんかもある。
卵はよく月にされがちだ。

おせちなどもそうだが、形や色から縁起がよいものに結びつけたり、そういうある種の言葉遊びや連想ゲームに近い感覚で食べ物を捉える発想って面白いし、日本人には親しみやすいのではないかなと私は思っている。
そして、ということはタコスのトルティーヤは日本人的には立派な「月」になれるのではないかと思ったのだ。


2. 色々あって好みで選び取れるものが好き

手巻き寿司、回転寿司など日本人はちょっとずつ色んな味が味わえるもの、それぞれが自由にアレンジして食べるものや、好きに選べるというのも好きな気がしている。
焼き鳥や、おでんなんかもその一種に入るかもしれない。
最近だとたこ焼きでも、タコの代わりにウインナーやチーズ、トマトなどを入れて違った味を楽しんだり、ホットケーキミックスでデザートたこ焼きなんて作ったりもする。

そういう感覚で、お月見の時はオーソドックスなタコスの具材から、旬の食材や日本ならではのトッピング、果物やクリーム、あんこなども参戦させてデザートタコスを作ったり、月を見ながら満月のようなトルティーヤを持って、好きなものを挟んで食べるというのはどうだろうか、と思ったのだ。
お団子も頑張れば挟めるかもしれない。むにっと。


3. 宗教も国も越えて楽しいことはやりたいのが日本人

日本人は宗教感が薄い人が多いこともあってか、国や文化、宗教を越えてイベントを楽しむ人が多いなと思う。
クリスマスがその最たるものだが、他にも仏教徒なのにチャペルでカタコトの神父さんの前で愛を誓い、キスを促されるのが結婚式の一貫として盛り込まれていたり、バレンタインって昔からどこかの外国である文化なのかな、なんて思いながら「じゃあ私も」と好きな男の子にチョコを渡して告白してみたり、最近は収穫を喜ぶ代わりにコスプレをして普段は着ないような衣装を楽しむハロウィンも流行っている。

盛り上がり過ぎてマナーやルールが疎かになってしまうのはあまり良い点ではないが、そういう「きっかけ」さえあればさらりと日常に浸透させて、ちょっとアレンジもしちゃって、楽しそうなものは全部楽しんじゃうという精神が私はとても好きだ。
食べ物でも、ナポリタンやトルコライス、冷やし中華など、異国の気配を感じさせるオリジナルの日本食を作るのが好きなのも特徴的だと思う。

だからタコスもお月見の定番フードとして浸透したら、もしかすると100年後くらいには「えっタコスって元々はメキシコの料理なの?お月見で食べるから日本のものだと思ってた。」なんてことになったらとても面白いんじゃないかなと思うのだ。

そして後世のウィキペディア的なものや、タコスの歴史的文献(があるかはわからないが)なんかに「尚、2000年代初頭あたりから、日本を発端にアジアの方では満月のモチーフとして、9月頃に月を見ながら色々な具材を挟んで食べるものとしても親しまれている。」なんて書かれていたらと思うと、すごく夢が広がる。


昔からの文化や伝統を大切にすることももちろん大事だが、新しいムーブメントは、最初はこういう小さな「面白そう」や「なんか美味しそう」「じゃあこれを売ろう」という発想から広がっていくのではないかと思い、今回お月見タコスを妄想してみた。

お月見タコスが定着したら、スーパーにお月見フェアとしてトルティーヤや色々なトッピング具材が並ぶかもしれないし、惣菜コーナーに恵方巻きのようにタコスが置かれるかもしれない。
パン屋さんあたりもシーズンメニューとして作ってくれるかもしれない。

本格的に流行り出したら「我々だって丸いぞ」とピザに続いてドーナツ屋さんや、たこ焼き屋さん、お好み焼き屋さんなどもそれっぽい期間限定商品を出してお月見を一緒に盛り上げてくれるかもしれない。


ソーシャルディスタンスが必要な今は、各々思い思いのタコスを作ってSNSで共有し合うのも楽しいだろうし、色々な映えやオリジナルアイデアを盛り込める余白がある。タコスは寛大だ。
そしてもちろん、これまで通りの生活が送れるようになったら"みんなで集まってわいわい"の時にも「そのタコス美味しそう、一口ちょうだい?」なんてコミュニケーションが生まれる盛り上げ役にもなってくれるだろう。


「昨日お月見タコスしたよ!」
「うちもした〜。何挟んだ?」

なんて会話がもしかしたら将来聞こえるかもしれない、なんて壮大な夢を描きながら、私は今年の9月21日は、タコスを片手に中秋の名月さんと乾杯でもしようと思っている。



※こちらは、 #新しいお月見 の「お月見コンテスト」応募作品として投稿させていただきました。

ここから先は

0字

■どんなメンバーシップか 主に「ヒノマガジン」の読める範囲を広げるためのメンバーシップです。 メンバ…

眺めるプラン(ヒノマガジン)

¥500 / 月

覗き込むプラン

¥650 / 月

触れ合うプラン

¥1,000 / 月

包み込むプラン

¥2,980 / 月

サポート、嬉しいです。小躍りして喜びます^^ いただいたサポートで銭湯と周辺にある居酒屋さんに行って、素敵なお店を紹介する記事を書きます。♨🍺♨