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ヒロばあちゃんと私とおはぎ

「甘いの食べたら元気になる」

甘いものをあまり好まなくなった今でも、それは正解だと思う。


私は幼い頃、生まれた時からその町で育っているのにも関わらず、時々なんだか疎外感のようなものを感じていた。

小さな田舎町ならではの悩みではないけれど、町にいる子どもたちはだいたい両親ともにその町や周辺の出身の人が多く、祖父母と一緒に暮らしていたり、近くにおじいちゃんおばあちゃんが住んでいる人がほとんどだった。

対して私は、父親は北海道の生まれではあるもののその町の出身者ではなく、母親の実家が東京だったということもあり、どちらの祖父母も付近にはいなかった。
友達から「おばあちゃん東京にいるんでしょ〜すごーい」なんて言われても一体何がすごいのかわからず、そしてその言葉からなんとなく「自分はよそ者だ」と言われているような気がして、ちょっとさみしい気持ちになることもあった。

過去の投稿でも書いているように今でこそそんな風には思わなくなったけれど、これは、そんな自分のことをちょっと気にしていた小学生くらいの時の話。

「次の土曜日、ばあちゃんちの裏の山で遊ぼう!」

ある日の学校終わりにそんな声がかかった。
言い出したのはヒロくんだ。
ヒロくんのおばあちゃんの家は、学校や私たちの家があるところから車で20分ほど。限界集落とまでは言わないが田舎町のさらに奥地の山の中にあった。

ヒロくんの家はオープンというかとてもフレンドリーな家庭で、これまでも何度か友達を連れておばあちゃんの家に行ったことがあるらしく、いつものようにそこでみんなで山遊びをしようとなったのだ。
私は今まで誘われたことはあっても「迷惑になるから」なんて母に言われて泣く泣く断ることが多かったのだが、ヒロくんのお母さんの「全然迷惑じゃないから〜その間にこっちはこっちでお茶でもしようよ」という母への誘いの助け舟もあり、私はその日山に行くことを許してもらえた。


初めての”友達のおばあちゃんの家”にドキドキしながらも、みんなでヒロくんのお母さんの車に乗せてもらい、山の奥に向かう。

「じゃあ夕方頃また向かいに来るからね」

そう言ってヒロくんのお母さんは一度町に戻っていった。

山に住む通称"ヒロばあちゃん"は、孫が友達を連れて家に遊びに来ることを快く受け入れてくれた。
ヒロくんのおばあちゃんだから皆、ヒロばあちゃんと呼ぶ。
おばあちゃんの本当の名前は知らない。


ヒロばあちゃんは「まぁ〜よく来たねぇ」と孫やその友達を可愛がり、色々世話を焼いてくれるというタイプのおばあちゃんではなく「あらアンタたちまた来たのかい。ばあちゃんは畑やってるから、あんまり遠くまで遊び行くんでないよ」という感じで、程よく私たちをほったらかしてくれた。
普段親の監視下のもと「これはやっちゃダメ」とか「危ない!」とか言われながら遊んでいた小学生の私たちは、子どもだけで自由気ままに、好き勝手に冒険ができることに興奮していた。

のではあるが、とても楽しみにしていたしいつも学校では何の気なしに友達と駆け回っていたのに、私はその日なんだかうまくその"わいわい"に入り込めないでいた。
というのも、その日一緒に遊びに行った友達は、私以外は以前にも何度かヒロばあちゃんの家に遊びに行ったことがあって、みんな自分のおばあちゃんかのようにヒロばあちゃんと親しげに話していたし「今日はあそこに行ってみよう」なんてその周辺のことを知っているようなメンバーだったのだ。

そんな中、初めて訪れた知らないおばあちゃんの家と見慣れない景色。
前からその話を聞いて憧れていたというのに、私は緊張とともになんとなく縮こまってしまい、たまにやってくるあの「自分だけよそ者なんじゃないか」モードになってしまったのだ。
そんなことには気づかない友達は、さっそく散り散りに遊び回る。
ずっと羨ましかったものが目の前に広がっているのに、私の足は止まってしまった。


北海道の短い夏がもうすぐ来ようかというとても穏やかな晴天の中、ひとしきり立ちすくんだ私は、その先の野原に進んでいくことができず、1人ヒロばあちゃんが畑仕事をする家の方に戻っていった。

「あら、アンタ1人でなしたのさ」

「あ、えーと...。ちょっと暑くて、休憩」

「あそう〜。したら家ん中入ってなぁ」

私はそう言われ、1人家の中に入る。


静かな畳の部屋。和室の長押にはヒロばあちゃんの旦那さんだったのかなと思われるおじいちゃんらしき人の写真や、もっと古い白黒の、着物を着たおじいちゃんおばあちゃんたちの写真が並ぶ。
すごく若い人もいて、これはいつの時代だろう...なんて思いながらその写真を一つずつ眺めていると、ヒロばあちゃんが家に入ってきた。


「はぁどっこいしょ。あ〜こわいこわい」

「...こわいって、何が?」

敬語で話すべきだろうか、でもみんな普通に話してたしなぁなんて考えながらも私は恐る恐るヒロばあちゃんに話しかけた。

「さっきまでずっとかがんでたもんだから。もうばあちゃん年だからさ、あちこち痛くてゆるくないんだぁ」

ヒロばあちゃんはそう答えた。
私はなんとなく会話の内容から「こわい」というのは多分、疲れたとかしんどいというような意味なのかなと想像する。
「ゆるくない」もイマイチよくわからなかったが、多分楽じゃないというような意味だろう。
私はヒロばあちゃんの答えに「そっか...」と言いながらまたちょっとしょんぼりしてしまった。


やっぱり私はよそ者なのかもしれない。
お父さんもお母さんも「こわい」も「ゆるくない」も言わないから、なんとなくでしか意味がわからない。
よく喋る北海道出身ではない母と、北海道出身ではあるものの無口で家でも敬語で話したりする父からは、その土地特有の言い回しや方言を聞くことは少なかった。

異国の地に来たような、"ネイティブではない自分"に謎の置いてけぼり感を感じていると、ヒロばあちゃんはそんな私には特に気にもとめていないように、またどっこいしょと言って立ち上がった。
そして台所から戻ってくると、テーブルにどーんと大きなお皿を出した。


「ほら、アンタも食べなぁ。甘いの食べたら元気になるから」


そこにはヒロばあちゃんが作ったであろう大きな大きなおはぎがでんでんと並んでいた。
きっと今日私たちが来るのを聞いて、作っておいてくれたのだろう。
私は自分だけ先に食べていいのかな...なんて思いながら黙ってその大きなおはぎを見つめる。


うーん、おはぎか...。
そんなことを思った。
それまで私は、おはぎを食べたことがなかった。
存在は知っていたものの、もともとあんこがあまり得意ではなかったのと、お米にあんこをかぶせるって...こいつはご飯なのかお菓子なのか、一体何者なのだ...なんて思っていたりして、ずっと食わず嫌いだったのだ。

それでも、勧められて「いらない」とはなんとなく言えず、私はそっと手で一つ掴んでみる。
手づかみでいいのかな。でもお箸もないしな。
そう思いながら手に取ったおはぎはずっしりと重かった。

なんか私、このおはぎみたいかも...。
ずんと重たくて、何者なのかよくわからない存在。
そんなことを思いながら私がおはぎにかぶりつくべきかどうか悩んでいると、それを見たヒロばあちゃんが言った。

「台所に皿でも箸でもフォークでも、なんでもあるから好きに持ってきて食べればいいしょ」

ヒロばあちゃんは片手でひょいっとおはぎを取り、大きな口でぱくっと食べながら、もう一方の手でテレビを点けた。


遠くから聞こえる友達がはしゃいでいる声。
ちょっと大きめに流れるテレビのワイドショーの音。
テレビを見ながらおはぎを食べるヒロばあちゃんの横で、私も思い切っておはぎをあむっと口に頬張った。

あんこの控えめな優しい甘みと、その奥にあるもっちりとした食感。
私はそのおはぎを食べた瞬間、思わずぽたぽたと泣いてしまった。


どうして涙が出たのかわからない。
いや、本当はわかっていたのだが、そんなことで泣くなんてと私は恥ずかしいような気持ちになった。

ずずっと鼻をすすりながら無言でおはぎを頬張る。
ヒロばあちゃんは何も言わずにテレビを見ている。
私は初めて会った友達のおばあちゃんの前で、こんな風に泣いてしまったのが恥ずかしいやら気まずいやらで、涙を流しながらも嗚咽が漏れないように一心不乱におはぎを頬張った。

口の中がいっぱいになっていくごとに、自分のカチカチになっていた心が不思議と柔らかくなっていく。
大きなおはぎを食べ終わる頃には、私の涙は自然と止まっていた。

「...ごちそうさまでした」

「はい、お粗末さまでした〜」

ヒロばあちゃんは相変わらずこちらを見ずにテレビを眺めながら言う。
私はちょっと落ち着きを取り戻し、自分だけ先におはぎを食べてしまったことになんだか罪悪感を感じて、そして泣いてしまった手前そのままそこにいるのがちょっと気まずくなって立ち上がりながら言った。

「みんなのこと、呼んでくる」

するとヒロばあちゃんは言った。

「だいじょぶだから、好きに遊んできなぁ」


私はその言葉に頷き、家の外に走り出した。
ヒロばあちゃんは「わざわざ呼んで来なくたってお腹が減ったら好きに帰ってくるだろうから放っておけば大丈夫」ということを言ったのかもしれなかったが、私にはヒロばあちゃんの「だいじょぶ」は「色々考えないで、好きに遊べばいいんだよ」と背中を押してもらったようにも感じられた。


私はおはぎを食べたことによってパワーをもらえたのか、さっきまでの「自分はよそ者なんだ。何者でもない、ご飯でもないお菓子でもないおはぎと一緒だ」なんて感じていた重たい気持ちがすっと消えたような気がした。
おはぎにも、今まで食わず嫌いでごめんねと心の中で謝った。

ご飯だってお菓子だっていいのだ。美味しければなんでもいい。
自分が何者だって、みんなと遊んで楽しければ、なんでもいいのだ。

ヒロばあちゃんの「甘いの食べたら元気になる」は、正しかった。

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